できること

できないこと

 

それを決めているのは誰なのか

 

 

能力はあっても

私は○○だから、、という人に

 

できることは

なんだろう

 

 

ともだちに音痴で困っている人がいました

 

合唱コンクールでみんなと歌いたいけど

自分は音痴だからと

 

引っ込んでいました

 

 

でも音痴そのものがなぜ

そういう風に、恥ずかしいと思っているのでしょうか

 

きっと周りの人に笑われたのかもしれません

(確かにわらわさるのです)

 

でもそれって人をくすぐる

てんさい的な音の出し方だから

 

面白いんだと思います。

 

ふっつうに歌って

上手いでしょ?

なんて感じだと

 

面白いどころか

つかれる

 

だから音痴だからと言って

恥じることはないのだけど

 

子どもの時って

やっぱウンチするだけで

恥ずかしめられるので

 

仕方のない事かと思います。

 

でもさ、

ウンチだってしないと詰まって

いたいいたいになるんです。

 

それは大人になって本当にそうなる人がいる

 

だったら出した方がいいと

そこで気づくのではないでしょうか

 

 

そして、世の中の大半の人は

音痴だから歌わないで、とは言いません。

 

また、その弱いところをつついて

悪口を言って下げてくる人もいるでしょう。

 

 

でも、現実はどうでしょう

歌うことに関して

なんら制限はありません

 

みんなと同じように

合唱コンクールで大声で唄えばいいと思います。

 

 

さた、私たちはここで

「でもみんなとはずれた音をだしたら迷惑かけるし」

などと、考えがちです。

 

 

はっきりいって

うるせーよ

 

やるのかやらないのかどっちだ

 

と思います。

 

で、その人は「やる」と決めたのです。

 

そこで私は

一緒に練習しました

聞こえる音と、出す声の音程を合わせるように調整して

みんなの声を聴きながら歌うようにする。

 

そして、違和感なくみんなと歌えるようになった。

 

 

ともだちならなおさら

一緒に歌いたい。

 

であれば

その人ができなくて困っているときは

 

何かその人の中にあるエネルギー

バランス感覚

生きる力、成長力

 

そんな風なものを信じてみては

いかがでしょうか。

生まれてから

この場所でしか生きてきていない

 

つまり

私は壮大な井の中の

蛙のような存在かもしれない。

 

 

すべての価値観をすてる

 

そういう人がいるように

 

それほど過去の世界によってしか

生きられないのかもしれない

 

 

だけどそれほどの

大きな価値観をつくったのは

 

自分たちの先祖だとするならば

その価値観を否定するのではなく

 

食べて消化して作り変えたい

 

 

そして実は

命としてはいつもそう生きているものなのかもしれない

 

 

だから

抗おうとするのではなくて

 

その過去に触れたことで

味わい、消化できるのだから

 

その苦しみは

新しい価値観へと進むために

必要なのかもしれない

 

 

世界がつながるようになって

侵略したり

 

抵抗したりする中で

 

いろんな想いが

生まれ

世界に広がっていった

 

先進とはいうけれど

 

その行いが生んだ感情的な想いはどうであろうか

 

物の豊かさと引き換えに

 

これからはのこされた想いを

消化していくときなのかもしれない

 

 

だからくるうしいけど

生きて

味わって

 

その芯に生きてきた

ともだちの命の在り方に

 

もう一度会う必要がありそうな気がする。

 

そしてそういう思いが

マンガなりアニメなり

ゲームにも現れたりしている

と私は思っていて

 

それが希望なのだ。

生きることの意味

 

それは確実に分からない

 

こうと決めたって

それがすべてというには

 

お粗末である。

 

 

知らないことにこそ

あるのかもしれない。意味とは。

 

 

知っていればなおさら

 

知らぬことが胸に刺さる。

 

 

であれば、考えるよりも

そういうものだと知ること

 

それでいいのではないでしょうか。

 

 

ふと手に取った

古本が

 

自分の人生のカギとなる

 

そんな自分の人生を形にしたような「もの」との出会い

 

それは自分が一人ではないことを教えてくれる。

 

 

この得体のしれない巨大すぎる人生の重荷が

 

じつは私だけではなく

他の命も抱えているということ

 

 

そしてその中でなにか希望を見出し

流れとなってその先へ行こうとしている。

 

 

私もその流れの一流なのだと知る。

 

 

その流れが見えたなら

 

手お差し伸べる人は何者であるか

 

私がなぜこの人を救いたがるのかが

 

分かるように気がして

 

そこには

なにとも言えない

 

人生の意味がある気がします。