自分は居場所がなかったんだよね
それで
無理に周りに合わせていたけど
それで自分を失ったのかもしれない
人が気になるのも
自分が、自分ではないから。
こんな自分では生きていけないと
勝手に自分で思って
「良い自分」であろうとした。
間違えた生き方をしていた
自分を殺して生きる社会なら
死んだ方がマシだ。
だから死ぬことも考えたけど
それは悔しい。
だから死なずに自分の居場所をつくる。
自分は居場所がなかったんだよね
それで
無理に周りに合わせていたけど
それで自分を失ったのかもしれない
人が気になるのも
自分が、自分ではないから。
こんな自分では生きていけないと
勝手に自分で思って
「良い自分」であろうとした。
間違えた生き方をしていた
自分を殺して生きる社会なら
死んだ方がマシだ。
だから死ぬことも考えたけど
それは悔しい。
だから死なずに自分の居場所をつくる。
駅なかのコンビニとか
パン屋さん
帰りにちょっと寄ってみたり
行きがけにランチを買って行ったり
便利な場所にあると
つい使っちゃいますよね
それどころか
なんかワクワクする。
自分の人生にも
通りがかりで寄ってみたら
なにかありそう
そんな感覚で面白いことがありそう
そのためには
楽しいことを
受け入れられる
姿勢が大事
これでいいのだ
なにはともあれ
そう思って生きていれば
お、ちょっと寄ってみようかなと
声かけてみようかなと
そんな些細な
関わりが生まれる。
きっとそうやって
助けた人が
いつか私を助けてもくれる
だから
情けは人のためならず
ありがとうは
自分の身を守る
言葉なのかもしれない。
からだの中から
出てくるもの
それをいいとか悪いとか
いってもしょうがないじゃないですかぁ
とはいえ
なんとなく小学生の時は
おトイレに行くと
個室には入れない人でした。
(がまんしよっと。。)
最近思うのですが
からだから出るもの
いろんないいこともある
私は小学生の時に
通りすがりの子どもに
つばをかけられたことがあります。
で、友達はいちもくさんに逃げ出したのですが
「おーいまってよ~」
(なにもそんなにげなくてもいいじゃないか)
とそこまでいやではありませんでした
つばってそういう「イメージ」がありますが
あやかることもできると思うんです。
そのつばをかけられることで
ちょっとうっとうしい友達が離れていった
とか
ばいきんマン
が離れていく
など
いいこともある。
岡本太郎さんが
「自分の中に毒を持て」
って言っていたと思います。
やはり
とりついて
食われるくらいなら
毒を吐いて
嫌われた方が
いいのではないでしょうか。