体の中に


エネルギーがあるけど

うまく使えているかどうか


よくわからないって感じだったけど


流れるように

体の中に

いろんなものが

漂っていて


その気体のような

液体のような


触ってもふわっと

触れられない


体をなさない

ただ漂い流れている


そんな存在?


に体も、今なにしているか

という理由も


委ねて

漂うに任せる。


あかちゃんが

すやすや寝ているのに近いかも



そんなふうに

ある意味ぼけーっと

ふらふらしていると


なんか元気になる。

こころのお部屋のはなし

 

わたくし、

会社の後輩に

 

「おれのおばあちゃんに似てますね」

っていわれるくらい

 

そういう良さがあると

自負いたしております。

 

 

ところで。

 

いつぞやの話で

夜中に騒ぎまわる若者たちの

音でノイローゼになったおばあちゃんがいました。

 

 

「自分の人生は

人に見せるものではありません」

 

そのように人生相談の回答者が言っていたこともあります。

 

 

私の部屋の窓のそとでは

 

見知らぬおじさま方が

せっせと工事をしています。

 

 

それは騒音ではないのですが

気になると言えば気になる。

 

 

しかし、それを気にして

なにもできないとなると

 

私の生活はままならないでしょう。

 

 

耳なし芳一のように

まどに御札をはっておけば

 

気にならなくなるのかもしれません。

 

 

さて、

こころのお部屋というものは

 

窓辺とその内側、外側

ということです。

 

私のこころの内側に

私の生活があります。

 

外側には他人の生活があります。

 

それを窓をとおして

みている。

 

 

動物園の動物と、観客のようでもあります。

 

 

そして、動物園でも、

 

オランウータンのおりのそばで、おいしそうにものを食べないでください。

 

そういった注意書きがあります。

 

それは、オランウータンも食べたくなり

ストレスになるからだそうです。

 

 

つまり、

私たちだって

 

窓の外でなにかしている人がいたら

気になるし、

 

自然と反応があるということ。

 

 

おばあちゃんのことを気にせず

騒いでいた若者は

 

生活が苦しいのかもしれません。

 

おばあちゃんの窓辺に来て

たすけて~!!

って言っているのかもしれません。

 

 

動物園の飼育員さんに

 

私をかくまってほしいと

そこまでの大変さを感じているのかもしれません。

 

 

そんな叫びが

おばあちゃんには

苦しくて

 

でもどうすることもできないし

 

それでノイローゼになったんじゃないかって

 

母なるやさしさというか

なんというか

 

 

だから、べつに誰も悪くないんだけど

うまく助かってほしいなと

 

願うばかりです。

魚、鳥、人間

 

ヒレがあって泳いだり

 

羽がついていて

飛んだり

 

人にはなにがあるのだろう

 

泳ぐように、自由に

 

飛ぶように、自由に

 

私たちは、歩く?

 

 

どこにだって行く

 

宇宙にだって行く

 

 

行かなくてもいいのに

行きたくなる

 

気になって考えたら

行ってみないと気が済まない。

 

 

ごはんを食べることも忘れて

そこにいったらどうなるんだろう

 

気になって

すべてがそのことでおおわれる

 

 

人にあるものは

歩くことと

 

想像すること

 

 

人の自由さは

その辺にありそう

 

 

だから、移動できることが

とても好き

 

 

でも、

なぜだかここにばかり

いるようになった

 

同じ考えにとらわれて

なにもできず

生き方に

しがみついている

 

 

どうしたのだろう

私や

 

 

あんなに

歩き回り

 

あそこはここはと

行ってみることを想像して

 

あしたはここに

と言っていた気がするのだけど

 

 

毎日毎日ぼくらはてっぱんの

 

面白くもない毎日に

自ら足を運んでいる

 

(毎日面白くないはいいすぎだけど)

 

とんでもなく

大きな力が

 

私のこころに

何か魔法をかけたのだろうか

 

それとも

私自身が、かけた魔法なのだろうか

 

 

ときどき

なんでもないのに

 

ふしぎと出会い人がいる

 

 

むかしから知っていたかのように

あなたがこれから何をするのか

そして

わたしがあなたとなにをするのか

 

なんとなく

信じられる

 

 

何をするのかはしらなくても

会えばわかる

 

 

そして、

その瞬間は

 

人生において

二度とも訪れない

 

だけど私の心に

核心としてのこる

 

 

なぜ出会うのか

ほんと知らんけど笑

 

 

出会うことが

それそのもの

 

意味なんてあるといえばあるし

ないと言えばない

 

 

だけど

感じた心は

 

ひとつの疑いもなく

その出来事を

 

知っている。

 

 

だから、

何か

 

あからさまなものがなくったって

 

それはそれとして

 

歩いていくんだね。

 

何を信じてかって

 

その先にある出会いをさ。