やさしいひと

 

やさしいけど、やってしまう人

 

やらかしてしまって

怒られがちな人

 

 

やさしいって

なんだろう

 

 

ある人の吐くぐちを

聴き続けて

その人が

怒りだしたら

 

悪者になって

やさしい人が

 

わるものになった。

 

 

じゃあ、

ぐちをいったひとが

悪いの?

 

 

ぐちを言う人は

上役に嫌なめにあわされていたとしたら

 

 

上役がやっぱりわるいのか

 

 

でも、それってどこまで続くの

 

理不尽なおもいと

そのしわよせ

 

どこまでいったらスッキリに戻るんだろう

 

 

因果応報とか

罪と罰とか

 

わからないけど

続いている、人の歴史が

 

わたいたちの

こころのなかに

 

渦をつくって

とぐろになって

 

しかし幸せになろうと

奮闘している

 

 

それならば、

人の過ちも

私の過ちも

 

どちらも未熟なわたしたち

 

かといって

泣き寝入りしたら

 

また私が

だれかにしわよせる?

 

じゃあ、つかずはなれず

 

見守ろうか

 

そんな人がいて

わたしんちも

 

そんなこんなですわ。

 

いたってこれから

まだまだ成長の身

 

 

とてもじゃないけど

さ、とてもじゃないけど

 

みんなでこれでよかった

なんて言えやしないけどさ

 

 

でも、心が平和であることは

どうやら

自分の中にみつけだせるものらしい

 

私が、記憶を失ったのなら

もし、反撃する手も足もうしなったのなら

 

攻撃なんてする必要がなくなるかもしれない

 

とにかく

周りの人がいてよかったなぁ

 

生きてるけど

いつなんどき、命の世話を

してくんないかもしれないのに

 

みんな、命がつながるようにって

世話してくれてんだもん

 

 

なんでもあるから

できないって思っちゃうのかも

わからない。

 

ナンニモなかったら

 

なんでもありがたいのかもしれない。

 

 

ともだちだって、

何人いても

 

たくさんの言葉で

たくさんほめられたって

 

とてもじゃないけど

自分のことで精いっぱい

 

 

なんにもいらないとは

言えないほど

私はよくばりだし

 

怖いし

溜めておきたくもなる

 

 

でも、なんにもなくて

それでも

 

生きちゃった今までがあるから

 

なんとなく

ありがたいなあと

 

思い出す

こともある。

 

 

だから、何にもないのに

生きてきたのに

 

これからはさ

ありがとうって

いいたいのね。

 

だれかに。

 

今日、いまその辺の

言いたい人に。

与えることと

 

受け取ること

 

 

僕は小学生の時

 

ともだちとのらねこを捕まえて

 

エサをやるから来いよ!

 

 

そんなつもりで

 

ねこをとっつかまえて

 

連れてこうとしたら

 

ともだちはひっかかれて

血を流していました。

 

 

 

うちのお父さんは

 

赤ちゃんの僕に

キスしようとして

 

僕はぎゃん泣きしていました。

 

 

とある民族の昔話で

 

何かの罪をおかした人が

 

許されるかどうかの判断を

 

その人が道においた食べものを

 

動物が食べてくれるかどうかで

判断する。

 

そんなお話を聞いたことがあります。

 

 

与えたいけど

受け取ってもらえない

 

それがその人にとって罰になる

 

 

だれにもこの愛をうけとってもらえない

 

悲しい。

 

 

でも、よく考えたら

相手がいらないものを、無理に受け取ってもらうことは

 

ありがとうともうれしいとも言われずに

 

それをつくり続けることにもなる

 

だったら「いらない!」って言われた方が

 

なるほど、じゃあこれはいらないのね。

と次のやることを考えられる。

 

 

だから悲しい事じゃなくて

相手のうけとってくれる「かたち」をみつけるヒントなんだ。

 

 

でも、子どもの時

おとうさん、喜ぶかなって映画のDVDをわたしたけど

そっけなくされて悲しかった。

 

それで、もういい!って

自分で勝手にそのDVDをゴミ箱に捨ててしまった。

 

 

ぼくは愛されてないんだ、なんても思ってました。

 

 

お父さんは愛しがたい!

 

キライ!

 

と思っていました。

 

 

それだけに、

受け取ってもらえることが

うれしい。

 

 

お父さんに、いいねと言われると

うれしい。

 

 

だから、お父さんがいいねって本当に思うこと

がわかってよかた。

 

傷ついたのは

ほんとうのお父さんの喜びになりたかったから。

冬の山登り

 

一回だけいきました。

 

さむくて怖くて

先輩は埋まりながらもずんずん進んじゃうし

 

でも頂上には人が思った以上たくさんいて

そこからスキーでおりてる人もいて

 

まじか!

人間ってすげ~な

 

先輩とも

あんなふもとから、歩いてここまで来たんだよね

 

人間ってすごいよね

って話をしていました。

 

 

私は人生って雪山登山みたいだなぁ~って思うんです。

 

 

マンガで「岳」っていう

山で救助活動のボランティアをする主人公のお話なんですが

 

みんなそれぞれの思いがあって山にのぼるんだけど

 

途中で動けなくなったり、

すべって落ちちゃったり

 

色んな事故があって

主人公が助けに行くんだけど

 

助かる命もあれば

山で見届ける命もある

 

 

わざわざ山になんて登らなきゃいいのに!

と僕は子どもっぽく思うのですが

 

主人公は

「よく頑張ったね」とか

「また山にきてね」

 

って言うんです。

 

なんだか、

人生もそんな山登りのような気がして

 

意気込んでのぼり始めるんだけど

途中で猛吹雪になって

もうだめだ。。とうずくまってしまったりする。

 

でもそんな時でも

 

どこかで助けたい!って追いかけてきてくれる

主人公みたいな人がいたり

 

そのまま埋まって見つけられないかもしれない。

 

だから山登りは計画を立てて、周りの人に言ってから行きましょう。

と言われるのだけど

 

何にも言わずに行っちゃうこともある。

 

一人で頑張ってる時とか、

ほんとうは助けてほしいのに

 

自分ががんばらなきゃ!って背負い込んでいると

 

その声を漏らさないように、漏らさないように

迷惑になるから

 

1人で行っちゃうこともある。

 

 

でも山はそんな時

それを振り落すように

 

厳しい自然の偉大さを持って

私に大きなインパクトを与える。

 

そんな装備で大丈夫か

 

1人でのぼれるほど甘くはないぞ

 

色んな「道理」を教えてくれる気がします。

 

 

それが滝に打たれるように

 

生きることに

真剣になるというか

 

雑念にむしばまれていた心が

スッキリするような気がします。

 

 

人生にも、

理不尽なことで、自分の心が

悲しみにあふれ

 

閉ざされた氷の中に

自分を閉じ込めてしまうような

 

そんな時もあります。

 

 

山登りとはいかなくても

 

心を震わせて

 

おおわれた雪の感情をふり払って

 

叫んでみませんか。