なんとなく生きているだけで

 

でもつらみがある毎日

 

なんで毎日こんな気分なのかと

ふしぎなくらいだ

 

でも慣れ親しんだこの感覚は

 

ある人から見たら病んでいるのだろう

 

 

そういわれてそう思ってしまえば

 

なんて嫌な人生だろうと

絶望すら感じる

 

 

だけどだけど

 

生きてきたこの人生に

なにがあるのだろう

 

なにもないけど

なにかあった

 

とても思い出したくもないけど

これからも思い続ける

 

そんな人生は

つらいから、毎日痛いから

やめたほうがいいのか

 

 

でも明日も起きてごはんを食べて

トイレに行って会社に行く

 

 

そこで笑うこともあるだろう

でも、でも毎日、なにか思って苦しい

 

それってなんなのか

と怒りすら、感じてしまえば

どうにかなってしまうのかもしれない

 

 

私は何者か

 

誰か教えてくれるなら

 

その人は私が苦しい事も

知っているのかもしれない

 

そんな人がいるとしたら

私は成長できるのかもしれない

 

 

それって

やっぱり出会いをもとめて

出かけて話すしかないってな

 

へへへ

守られていたり

 

守られていなかったり

 

思うことは

ある

 

 

それは

 

ある基準があって

 

そこから判断した感覚によって

 

どう思うか決めているのかもしれない

 

 

つまり

守られていないと思うのは

 

今、基準よりよくないから

 

事実ではなく、そう言う感覚があるから

守られていないと思う

 

のかもしれない

 

じゃあその感覚って

なんだ?

 

 

ちくちく刺さるものがあるのして

 

私から「気持いから」と触りに行けば

守られている範囲の話

 

 

向こうから勝手にちくちくしてこようものなら

「気持ち悪い」あっちいって

と守られていないの話

 

 

もしくは

ちくちくしてくるものがやってきて

「ああ、このちくちくは、大切にしてほしい心の表れなのだな」

と思えば

「私が守ろう」の話

 

 

もう傷つくって

自分がどう生きたいか

 

によって

そう決めているのかもしれない

 

 

だからすべてそれでいいのだ

人生には

無だと思われること

 

買ったばかりの本を

読まずに捨ててしまったり

 

そんなことってよくある

 

実家から持ってきた

スコップを

だれかに持っていかれてなくなってしまったり

 

 

それに意味を見出そうとすると

 

なんだかよくないことが起きているように感じるけど

 

 

もしその出来事が

のちのち、何かを引き起こすことに

繋がっているとしたら

 

 

それに悪い意味をつけるのは

ほどほどにしておいてもいいと思う

 

 

何の気なしに手にした古本

 

そして、整理のため手放す

 

しばらくしてから

 

ユーチューブで作者さんをみつける

 

 

「あ!あの本の人だ!」

 

「この人があの本を書いていたんだ!」

 

 

それは、今になって

その人が私に必要なのであろうか

 

そして、その人の存在は

古本を買った何年も前に

 

私に触れていたのだ。

 

 

さらにさかのぼれば

まったく別の人ではあるが

 

私が助けた「あのひと」は

今になって、私が心の中で繋がれる

 

「応援者」

になっている。

 

 

きっと今は

ふてくされて

 

でもなんかよくわからなくて

無なことをしているかもしれない。

 

 

でもそれでいいんだ

 

ほんとうに見えない

 

目のないからこそ分かるような

 

繊細な糸が

 

私たちみんなにつながっている

 

ような気がする。