エミーのブログ -21ページ目
赤ちゃんの頃から
おかあさん、おとうさんに
泣くことを
仕事の様に
心得ている私たち
鳥は毎日鳴くけれど
それに意味はあるのか
赤ちゃんが
泣かなかったら
助けたいのに助けられない
嘘で泣いていたら
ほんとうに困っているときに
泣いても助けてもらえないかもしれない
鳥はなんで毎朝なくのだろう
私たちは
毎日なかなくて
いいのだろうかと
心配だ
ないてないのに
だれかに助けてなんて
もらえるのだろうか
それとも
助けてほしくないから
なかないようにしているのかな
その場合って
なきたい気持ちは
どうなっちゃうんだろう
ほんとうは
なくほうがいいのに
なかない鳥は
どうなっちゃうのだろう
鳥が毎日なかなくなったら
なんかさみしい
怖いかも
なのに私は
いつも
なかない
どうやってないたらいいかも
わかんないもんね
だから
カラオケに行って
お気に入りの曲を歌うのかもしれない
でもせっかくなら
部屋の中じゃなくて
鳥みたいにそとでなけたらいいな
みんなでピーピーないたら
なんか楽しそう
意味なんてないかもしれないけど笑
カラスがなくほどに
意味はあるのかもしれない
現状から
変りたい
そう思う苦しみの若者に
おじいちゃんは
今のこれが人生よ
と言っていた
そう思うと
楽しいのかもしれない
受け身の人生
積極的に進むことが
必要なのかもしれない
たとえ
向かい風は
ここに留まることを
楽なことの様に感じさせるが
ずいずいと前に出る事
それが
人生を楽しむことなのかもしれない
おしくらまんじゅう
押されて泣くな
遊びの中には
世の中の生き方を教えているような気もする
世間の波に押されて
泣いていては
いけないぞ
一生懸命押し返す
それでこそ
生きることがたのしくなるのかもしれない
目には見えない事
音でも聞こえない事
でも体のどこかで
感じている
もし感知できないところで
自分が動いているのなら
どうすれば
自分の生きたいように
生きれるのだろうか
自分で
さわることも
できない
それを
どうやって仲良く
協力したらいいのだろう
なにもない
そういう存在には
どうしたって
触れられない
でもあるとしたら
そしてそれが私の
命にかかわっているとしたら
そのなにもない存在に
どう付き合っていったらいいのだろうか
それが祈りとなって
踊りとなって
音となって声となって
なにもない存在へ
伝わるともわからないのに
贈るのかもしれない
だとすると
毎日が
その何もない存在への
祈りと
感謝と
恐れをもって
また今日も踊るように
祈るように
生きるのかもしれない
良い一日になりますようにと

