お久しぶりです。

 

福祉の仕事をしているのですが

 

そこにいる利用者のおじいちゃんは

 

私を見つけると手招きして

 

えんえんと昔の自分の話だったり色んな話をします。

 

聞き取りづらいので他の人はあまり聞く耳を持たないようにしているのですが

 

私はその居場所が好きなこともあって毎日ずっと聞いていました

 

 

最初は聞いてあげているつもりだったんですが

 

聞いているとおじいちゃんなりに

僕のことを思ってくれているのだとわかりました

 

 

理屈では説明できないのですが

 

ずっと聞いてると

なんか勇気がわいてきて

 

おじいちゃんに

「全然話聞いてくれないじゃん!」

って言えたんですね。

 

自分でも自覚していなかったのですが

おじいちゃんに話を聞いてほしかったんです。

 

 

それが言えたのですが

おじいちゃんは

「ん?」

となって話を聞く耳をもってくれたのに

私は黙ってしまいました。笑

 

 

私はおじいちゃんに話を聞いてほしかったのに

だまって言えなかったんです。

 

思い返せば小さいころから

だれにも自分のことを相談したことがなかった!

そんなふうに感じました。

 

う~ん、情けは人の為ならずとはこのことか。

大人になったら泣くことって減るけど

 

まったく泣かない人ってのもいる

 

 

でも私としては

大人になっても泣く方が健康にはいいのではないかと思う

 

 

では泣かなくなった大人の人たちとは

一体どうしたのだろうか

 

 

泣くことはほかの人にとって迷惑であり

泣くと怒られたり煙たがられたりするならば

 

泣かないように

努めるかもしれない

 

 

泣かないとどうなるのか

 

本心は泣きたいほどつらい

 

その心は形を変えて

出てくる

 

そんな気がする。

 

そして風船のように膨らんでいく。

 

そして、もし風船に弱いところがあれば

そこから割れて破裂する。

 

 

風船がからだだとしたら

体のどこかに負担がかかり

 

痛めることになる。

 

 

 

泣いてしまえば

どうしたの、何かできることはない?

 

と助けてくれる人が

「いるかもしれない」

 

だけど泣くことを止める人には

 

「そんなものいない」

と感じているのかもしれない。

 

 

でも泣いてみない事には

助けてくれるかもわからない。

 

 

泣いてみてだーれも助けてくれない

としたら、

自分がその鳴き声の心に

寄り添って

あやすしかない

 

 

だったら泣き叫んでもいいじゃないか

どうせ自分が面倒見るなら

 

泣かせてあげよう

 

泣いて泣いて

 

歌にでものせて

流しちゃおう

 

それでもどうにもならないんだから

 

泣き続けながら

 

とりあえず生活しよう

 

車で一番前を走っていると

 

後ろにくっついた人が

 

何やってんだ早くいけよ!

と思ったり

 

 

でも前の人からしたら

進めない事情があるから

 

そんなこと言われてもいけません!

 

となる

 

 

先が見えていないと

なぜ前の人が行かないのかわからないので

 

行けるだろ!と

勘違いしちゃう。

 

 

この先に何があるか

 

不安な視点から見れば

きっと自分だけ赤信号でひっかかる!

とアクセルを踏むこともあるでしょう

 

 

でも先の予測が立って

次の信号は赤だろうから、今急ぐ必要はないのだ。

 

と見ることもできる。

 

 

なにはともあれ

その人が、そう見ているなら

それを行動にどう表すのかは、その人しか理解できない。

 

 

だから変な話、

まわりの人がいくら

おかしい!

と言っても

 

その人が何か見えているのなら

見ていることに合わせて行動してしまうだろう。

 

 

目に見えない部分で起きていることが

感じられることもある

 

そういったものは

あからさまに見れば

 

なんでそうなの!

という行動に見えるが

 

何か感じている人からすれば

おかしなことではない

 

 

だから自分を信じるというか

なんとなくそうした方がいい気がする

ということは

 

それに任せてみるのもいいかもしれない。