暴力はよくない

 

そんなのは言うまでもないですが

無くならないのも暴力です

 

でもあるんだったら

使い方次第ということで

 

暴力によって人のものを奪うのはよくないけど

 

守るために暴力を持つことはよいことなのか

 

その力を持ってしまった以上

必要に駆られて使ってしまえば

 

やはりどこかで恨みを買うのではないでしょうか。

 

暴力には力ではなく

屈しない力があるのだと考えています。

 

 

私は父親に恨みを持ち、仕返しの様に暴力で立ち向かいました。

その時に父は何も言わずその暴力を受け止め

 

ただ淡々と仕事で使うものだから壊さないでほしいと言ったり

仕事に取り組んでいました。

 

それも一つの屈しない力だと思います。

 

 

また、合気道では

相手の力を受け流し、相手と自分を結ぶ

そして相手に何か笑ってしまうようなエネルギーを感じさせたりもします。

 

幼さが故に、何もうまく行かなくなって

暴れたくなる時もあるでしょう

 

そんな時に、うるさい!と力でねじ伏せるのも

ひとつの手ですが、

 

もし抱きしめて安心させてあげられたら

ほんとうはどうしたかったのか丁寧に聞いて

 

出来ることを一緒にさがして

一緒に歩くのもいいのではないでしょうか。

頑張る理由が何であれ

 

何かを行動することはいいことと

思って何か成果を出しましょう

 

そんなのは今の常識と言えるのではないでしょうか。

 

 

ですが、

何もしないで寝ているだけの人生に

罪の意識があり、

そのさいなまれる気もちから逃げるように

 

あ~○○しなきゃと

気が向いてもいないのに

していることありませんか。

 

 

その当然と思っている行動が

実はその背景にある罪悪感を強化し

 

なお行動しなきゃ価値がないように感じさせることもあるのではないでしょうか。

 

 

みんなが働いているのに

自分は何もしていない焦り

 

 

でもその焦燥感に根拠はなし

 

ひとつ言えるのは、もし世界の権威が

そんな自分に対し

 

それでいい、そんな風に安らいでいる君のことが好きだ

とむしろ働かないでほしいとまで言われたら

 

 

どんな気持ちになるでしょうか

 

私などは、そんなことあるわけない!

と卑屈にひねくれて、泣きながら

どうせ私は。。!と閉じこもっています。

 

 

ですが本当に私を大切に思う

神様みたいな人がいたとして

 

今は休んでほしいと

そう思うことはあると思います。

 

 

まずは休め

 

それは頑張りすぎて

自分には価値がないからと

 

むしろその思いを強化しているときです。

 

何もない、

お金も稼げない

飯食って寝てるだけ

 

 

そんな自分が

自分に価値がないからと

 

働けよと脅すのはやめなさいと

 

言いたくもなるでしょう。

 

 

見ているこっちがつらいん。

 

そんなふうに大好きな人は思うこともある気がします。

 

 

たとえ自分は自分のことが好きじゃなくたって

実際にまだなにも働くことも

 

人とまともな会話すらできなくたって

 

そんな自分を否定して

直そうとするのは

 

本来の姿を知る神様からしたら

なんとか助けたいと思うものでしょう。

 

 

そんな折、自分の記憶がなくなったら

自分はどうするでしょうか

 

毎日の行かなきゃいけない会社も

それすら忘れてしまっていたら。

 

 

意識的にその世界をのぞいてみようとしても

罪にはならないと思います。

あんなことやこんなことを言われて

 

へこたれやすい私です。

 

 

あいつは嫌なやつだ!

 

と卑屈になって、心を閉ざし、言った人を敵と認定します。

 

 

ある意味、くじかれた心とでも言えるでしょう。

 

 

その心が再び立ち上がるには何が必要なのでしょうか。

 

 

おいしいものを食べたり

誰かに慰めてもらったり

 

いろんなことができると思います。

 

 

だけど、孤独で誰にも優しくしてもらえなかったら・・

 

結構立ち上がるのってきついです。

 

 

でも一つだけ自分の内側にあるもので、

孤独だろうが、

まわりに1人も優しくしてくれる人がいなかろうが

 

立ち上がるまで行かないにしても

冬眠の様に暖かい日差しが出るまで

こころを保温しておくことはできそうな気がします。

 

 

テレビゲームのドラクエ6で「くじけぬ心」ってアイテムがあったのを思い出します。

 

世の中では何度でも起き上がることが

もてはやされますが

 

起きた先ですぐ叩かれるようじゃ

起きるのも骨が折れます

 

そういう時は立ち上がるのではなく

こころを次の春が来るまで保温する心掛けで

いいのではないかと思います。

 

それは自分を労わること

やさしい居場所を

ちいさいながら、確保するということです。

 

きっと僕たちのご先祖様も

氷河期のような寒い時代に

 

小さい家を守って生き延びてきたのではないでしょうか。

 

きっと自分たち人間の中にも

そうして次の立ちあがる日まで

とりあえず生き延びる

命の設計図が受け継がれていると思います。