講義のない夏休みのある日、小鳥遊練無は暑さを避けにやってきた図書館で、「ぶるぶる人形を追跡する会(一般参加を歓迎)」の案内板の前で足を止めた。そこで、フランソワと名乗る初対面の女性に声をかけられ、参加するはめに。昨夜、香具山紫子から、”ぶるぶる人形”と呼ばれる大学構内に出現する踊りながら燃え尽きる紙でできた人形を、見に行こうと誘われていたところだった。
「ぶるぶる人形にうってつけの夜」
「刀之津診療所の怪」 のラストで名乗られる「フランソワ」の由来が知りたくて読みました。
なので、<Vシリーズ>のテーマに入れました。
この短編集では、<Vシリーズ>関連は、これだけやけどね。
なるほど~、と納得。
こっちを先に読むべきやったんや。
れんちゃんたちと睦子叔母様が、同年代と判明。
ふむ、ふむ、この頃から文字の対称に、こだわりを持ってはったのね。
”ぶるぶる人形”の謎を解くというのがこのお話なんだけど、それはさておき、れんちゃんとしこさんに会えただけで大満足でした。
だけど、その割に、れんちゃんが医学生だったこと忘れてました。
ちなみに、「ぶるぶる人形ツアー」で訪れる3つの建物(図有り)は、すべて対称になっています。
そして、なんと3つ合わせると、これも対称のあの人の名前になるではありませんか。
これミスリードやけどね。
気づかなくて、他の件でググってたら偶然みつけてびっくり。
でも、ミスリードにさえ気づかないなんて、やっぱりミステリィは苦手。
アカンや~ん。
でも、形以外に、見えるものは、この世にないのよ
どちらかが魔女
何の理由もなくパーティを開く西之園家の”TM(トラディショナル・メソッド?)コネクション”の今夜のメインテーマであるミステリィを語る会に集まったのは、萌絵・睦子叔母様・犀川助教授・大御坊安朋・喜多助教授、そして、大御坊にエスコートされてきた大学の同級生:木原恵郁子。彼女が披露したのは、SF研にいたころ毎日のように、ストーカーされていた男の後をつけると、いつもあるビルで姿を消すという謎だった。
大御坊さんがフツーのスーツ姿で登場にびっくり。
言葉遣いまでフツー。
謎もね、まぁフツー。
犀川先生がその前に披露する「最後の晩餐」の絵に見つかった釘のほうが、私にはへぇーでした。
これも知らなくて、ググっちゃった。
犀川先生には悪いけど、すぐ見つかるのだ、現代では。
世の中、いつもいつも、すぐに答えが見つかるわけじゃないんだよ
双頭の鷲の旗の下に
母校である中高一貫の私立T学園の文化祭を訪れた犀川と喜多。同じ頃、萌絵と国枝桃子も、そこで開催される建築家:黒沢基章の講演会が目当てでやってきていた。文化祭の準備で内緒で学校に泊まっていた一年CクラスのSとHは、翌朝、窓ガラスに散弾銃のような穴が開いているのを目にする。
最初Sは、若かりし頃の犀川先生の思い出話かと思っちゃった。
作者の「思う壺」ですね。
萌絵は、「思う壺」の由来を知らんかった(「どちらかが魔女」参照)みたいやけど、私知ってます。
ドヤ。
こちらの解答は、喜多先生が図解で説明してくれてますが、それよりも、歴史は繰り返すじゃないけど、いつの時代にもSとかKのような少年が存在することに、ニヤリとさせられました。
そして、国枝先生の旦那さんにも遭えて、ニコニコです。
先入観というものは恐ろしい。思考は、最初の印象によって無意識に限定される。その不自由さが問題を複雑にし、解決を遠ざけてしまうことが多いのだ。
上記3作品が、シリーズ関連です。
ゲームの国
――名探偵・磯莉卑呂矛の事件簿1――
私:名探偵・磯莉卑呂矛(いそりひろむ)とアシスタント:メテ・クレナモが、一之大島に招かれた理由は、起こってもいない事件のためだという。二十六年前、九人の人を殺した殺人鬼:車田飛六は死刑となったが、「人情と立法の狭間に、我は蘇る」という不思議な言葉を遺していた。そして、磯莉たちが翌朝目覚めると、密室殺人が……。
これはねぇ、苦手なやつ。
アナグラムに、横溝正史のパロディに、ダジャレに、なぞなぞ。
あっ、将棋もかな。
そして、森作品を読むにあたっての注意事項が、どっさり開陳されていました。
ものごとの本質は、表面からは見えない。いつでも、それはとても小さな兆候なのだ。どんなに細かいことも見逃してはならない。可能な限り広く神経を配り、細かく観察し、そして正しく分析するのだ
最初は僅かな思い込みでも、それらの積み重ねが、あらぬ方向へと思考や推理を導くのだ。問題を難解にするものは、自分の間違った認識なのだよ
可能な限り、現実的にものごとを考えなければならない
そもそも犯罪の動機などすべて、だから何なのか、という程度のものにすぎん。否、人間のすべての行動、すべての営み、この人生もそして社会も、全部がそうだ。だから何なの? それ、なんぼのもん? 違うかね?
はぐらかし、はぐらかされ、生きていくのだよ。それが、すべての行動の動機であり、また、無関係でもある。私はここにいて、ここにいない。AはBであり、すなわちBでない……、わかるかね?
とこれらを踏まえて、森作品に臨めば楽勝
のはずなんだけど。。。
注意力散漫な私は、以下の言葉に慰められます。
知らん者は、知らんで良い。我知らずを知るが大切なのだ。
最後の4作品は、シリーズ以外。
私の崖はこの夏のアウトライン
左目の思い出。
卒業文集
六年一組の卒業文集は、満智子先生への感謝であふれていました。
良い先生に巡り合えましたね。
恋之坂ナイトグライド
イーグル、アルバ、チュチュ。
鳥も遊ぶんや。
これも、ググるまで気づかなかったダメダメ青子です。
でも、それが解ると好きかも。
素敵な模型屋さん
いつの時代のどこにでもいる模型屋さんになりたかった夢をかなえた僕は、次の僕にリレーされる?
【おまけ】
巻末のイラスト付きの羽海野チカの解説が、言い得て妙。
トリックが苦手なのに、何故か惹かれるとこも私と同じ。
「よくわかる事ができない」
それなのに楽しくて
「ずっと読んでいたい」
これが森作品の魅力なんだろうな。
特に「ゲームの国」なんて、戸惑いを通り越してムカつきながら読んでる私には、自分のあほさにイライラして悔しいかぎりです。
でも、読んでしまうのだ。