二〇一五年秋、キム・ジヨン氏、三十三歳。既婚。三歳年上の夫:チョン・デヒョン氏との間にできた女の子:ジウォンちゃんをワンオペ育児中。ある日、ジヨン氏は夫に、まるで憑依現象のように彼女の母親そっくりの話し方をした。その日から、大学時代の先輩:チャン・スンヨン氏だと名乗ったり、たびたび他人としか思えないような行動をするようになった。驚いて精神科を訪れた夫は、カウンセリングを勧められ……。
まず、彼女が生まれた一九八〇年から二〇一五年までの軌跡が綴られています。
それは、本人が意識するしないに関わらず、母親の時代から女性であるということだけで、受けてきた差別で埋め尽くされています。
男子を生むことを望まれ(第三子も女だと判ると中絶)、家と夫と子供に尽くすことを強いられ、自らの夢をあきらめる母親。
娘は娘で、家では何事にも男子である弟が優先され、学校では女子は後回し、就職に臨めば女子であることを理由に採用を見合わせられるという現実に直面します。
結婚後も、妊娠、出産、育児に関して、様々な女性差別は続きます。
そういう理不尽なエピソードが延々と書き連ねられており、ご丁寧にも、”原注”として統計数値等の出典元の参照先が付されています。
そんな記載に、なんだルポかい?と少なからずゲンナリしながら読み進めると、ラストの「二〇一六年」の章で、それまでが、ジヨン氏のカウンセリングを行った精神科の専門医(m.)のカルテだということが判明します。
そこからが、まあ驚いたのなんの。
その医師の妻、自分より勉強ができると認める、高い意欲を持つ眼科専門医だった妻が、教授になることをあきらめ勤務医になり、結局は仕事を辞めていく過程を目の当たりにしているだけに、子どもを持つ女性が直面する困難に普通の一般男性より、理解があると自負しながら、妻の異変(小学生用の算数のドリルに精をだす)には目をつぶっていることに驚愕します。
あんた、精神科医やろ?
その上あろうことか、出産を前に自ら辞職を申し出たカウンセラー:イ・スヨン先生の行動に、出産後も体調や子供の病気など面倒が起こるかもしれないから、辞めてもらって正解だなどと口には出さないけど、不埒にも考えています。
この先生、ルッキズム丸出しで、専門職に雑用させてることに気づいてないし、彼女の有能さも理解してないみたい。
そして、最後の最後に、そんなイ先生を良いスタッフだったと褒めながらも、育児問題を抱えた女性スタッフは何かと問題があるから、後任には未婚の人を探そうという一文に、ヤラレタ感がMAXに。
これじゃぁ、少子化は免れんわな。
なるほどスゴイ小説でした。
そして、キム・ジヨン氏の母、強し!
いったい今が何時代だと思って、そんな腐りきったこと言ってんの? ジヨンはおとなしく、するな! 元気出せ! 出歩け! わかった?
【おまけ】
韓国では、女性が結婚しても姓を変えないと聞いていたので、もっと個人が確立されているのかなと、なんとなく思っていました。←無知
少し考えれば、儒教の影響を受けた国だから、男性有利なのは明白なのにね。
キム・ジヨン氏は、当時一番多い女性の名前で、平均的な韓国女性をモデルとして描かれています。
チョン・デヒョン氏も、一見何の問題もない、やさしい夫のように思えるところがミソですね。
特に悪い人には見えない。
だけど、その基盤としてあるのは……。
そこに問題が潜んでいることを指摘してるのが、この本のすごいところだと思います。
そして、情けないことに、日本もあんまり変わらないんだよな。
「保育園落ちた日本死ね!!」だもん。
業務と結婚生活、特に育児との両立が難しいことをよく知っており、そのために女性社員は員数に入れていなかった。だからといって社員の福利厚生の向上に努めるつもりはない。続けられない社員が続けられるための条件を整備するより、続けられる社員を育てる方が効率的だ
与えられた権利や特典を行使しようとすれば丸もうけだと言われ、それが嫌で必死に働けば同じ立場の同僚を苦しめることになる
加えて、未だ休戦中の韓国には「徴兵制」があり、ジェンダー・ギャップは、より複雑になっていると言います。
やっぱ、「平和」は無視できないんだよね。