“ The road to hell is paved with good intentions ”
「地獄への道は善意で敷き詰められている」
この言葉は、イギリスの諺らしいのですが、「多くの政策が、それなりのもっともらしい納得性や正当性のもとで実行されるものの、結果は往々にして悲惨に終わる」という寓意によく使われます。
例えば途上国への経済「援助」が、(無料の商品・サービスに勝てる商売はありませんので)結果的にその国の産業振興を遅らせ場合によっては阻害さえし、最悪社会に不可欠な人々の自信や意欲を喪失させる事もあります。
良かれと「思われて」とられた行為・政策の結果が、期待していたものとは違って逆に事態を悪化させるっていう事はよくある話です。
「崇高な意図や正当性だけでは、行動原理としては十分ではない」ということでしょうか。
○ 「規制」
何か問題が起こると、大体誰か(他人)のせいにしたがるのは世の常です。
今や「行き過ぎた」市場経済、「行き過ぎた」グローバル化が槍玉に上がっているようでして、加えて政府の無策に対する不満からか、逆に政府の「介入」を期待、正当化するような安易な政府依存の機運が満ちているようで、とても危険な気がします。
(この道はいつか来た道。)
そもそも「行き過ぎた」と言う場合、一体何と比較して「行き過ぎた」と言われるのでしょうか?
逆に言うと、「適切な」というのは、どういう状態を指すものであり、どうすればそういう状態が持続的に継続可能であるというような処方箋がそもそもあるのでしょうか?
「適切な規制・ルール」があれば問題は解決されるが如く思われがちですが、人の行動原理としての「動機付け」を考慮していない規制やルールは作ったところで、ろくでもない結果に終わるのは見えているようです。
例えば06年に施行された日本での「消費者金融会社に対する貸付金利の上限規制」。その目的は利用者、中でも貧困層が借り受ける場合に過度の金利を課せられないようにするというまさに崇高な意図(加え銀行、クレジットカード会社からの圧力)から出てきたものなのでしょうが、結果は単に「利用者に対する貸付が制限されて減少」、その結果、多くの貧困層は逆に厳しい選択に迫られて、規制外の非合法な貸金業者(ヤミ金)に走らざるを得ないという状況が出ています。まさに地獄への道です。
又、最近では雇用形態としての派遣、非正規雇用の問題がクローズアップされており、これも「規制」で正規雇用への義務付け、あるいは解雇事由の厳格化の動きなどもあるようですが、雇用主の行動様式側から考えると逆に雇用機会の縮小化、それも企業側の国際競争力の観点を考慮すると長期的な日本国内での雇用機会の減少につながるような危ない「規制」のような気がします。
○ 安易な「政府依存」
過去5回にわたりこのコラムでは、09年度シンガポール政府予算の中での「景気対策」の一部につきご紹介してきたわけですが、その目的は個々の政策の是非を問うものではなく、政策決定における政府・国民の基本認識、つまり「グローバルな競争の中で生き残りうる産業の誘致、創出、維持なくしてシンガポール国は生き残り得ない」という(まあ当たり前といえば当たり前なのですが)基本認識をスタート地点にして、じゃあその為にはどうすればいいのかということで合意が形成されていく過程をご紹介したかっただけです。
といってシンガポール政府のやり方を絶賛するわけでもないですし、ましてや日本政府に見習え等と言う気はちっともございません。所詮無理ですし。
この国のあり方はこの国固有の事情から出てきたもので他の国が真似をするという類のものではないでしょう。(強いて言えば行政の電子化・効率化に関しては非常に優れていますので、こういうところはさっさと真似てやってしまえばいいところかと思います。)
シンガポールですら結果的に今までは成功していますが将来も持続するのかは誰にもわからない(というかどんな国にも永遠はないという事)でしょう。
逆に、今の日本のような国で、それこそメディアがまくしたてて、政府に経済問題でのリーダーシップを求めるような風潮を煽るほうがかえって危険な気がします。
「先進国」では、あたかも国家が全ての問題を管理統制できるかのような幻想が時にして横行するのですが、冷静に考えればそんなスーパーマン政治家などいるわけないですし、ましてや生活が保障されている役人に自らを賭している企業家よりも経済的により有効な判断を下せるとは思わないと考えるほうがまともでしょう。
勿論政府が担うべき機能は多々あるわけですが、その多くは広い意味での「社会の安全」(と、その根っこになる「教育」)に関わることに限定されるような気がします。
「減税」と「規制緩和」と「セーフティーネット」以外で政府に「景気対策」を期待することに果たして意味があるのか疑問です。
国家支出が肥大化したり規制が増えてきたりという場合は大抵ろくなことになりません。
ましてや、政府が個別の経済問題に深入りしすぎると泥沼化さえし、又前回指摘しました「保護主義」に陥らざるを得ない社会契約構造を孕んでいますので、それこそ地獄に向かう危険性すらあります。
~前回の続きです。
前回は又しても「Jobs Credit Scheme」(雇用対策の目玉の一つです)の話にはいきつかず、当地の社会保障制度(CPF)の話になってしまいました。
今回こそ、「Jobs Credit Scheme」についてのお話です。
2009年度政府予算で初めて導入されましたこの制度につき再度簡単におさらいしますと、
「当地社会保障制度である中央積立基金(CPF)加入の各従業員につきその月給の12%(但し上限は一人当たり月300ドル)を国が雇用主である企業に直接補填するというものです。」
要は、政府が企業に対しシンガポール人従業員雇用コストの一部を肩代わりする事で、企業側の(CPF対象)従業員の解雇や給与減額への誘因を減じる事を狙ったものです。
この制度の特徴として面白いのは、なんといっても
○ 国民に対して直接支払われるのではなく、国民を雇用している企業に対して支払われる、
という点でしょうか。
従いまして、企業化していない独立自営業者、例えば個人経営の飲食店や商店、あるいはそうそう、タクシー運転手(シンガポールには現在8つの法人タクシー会社があり24千台強の車両がタクシー登録されていますhttp://www.lta.gov.sg/。東京が55千台程http://www.taxi-tokyo.or.jp/ですので人口比、面積比共に東京より多いです。ただビジネスモデルが日本とは違い、タクシー会社は車両とシステム(このシステムが驚くほど秀逸でして最大手のComfort((上場会社です))は近年そのシステムを引っさげて中国にも進出しています)を提供するもので運転手は雇用しません。運転手はタクシー会社から車を借りて利用料を払って自ら営業する独立自営業者です。)等は、このスキームからは直接的にはメリットは享受できないということになります。
ところが、だからといってこの政策に対して、「独立自営業者側から非難轟々というわけではない」というところがシンガポールの世論形成の面白い(というか物分りがいい?)ところでしょうか。
むしろタクシー運転手や個人経営の飲食店主や商店主等からは、自分たちのビジネスは「利用してくれる人があってはじめて成立する」という極めて全うな理解からして、「利用者減少を食い止める事につながる措置」であれば、(自分たちには直接的便益はなくても)、
それはそういう性格のものとして支持するという意見が大勢のようです。
大人ですなあと感じると同時に、仮にこれが日本で行われた場合、果たして日本のメディアはどのように報道し、又いかなる世論形成がなされるのかしら、とふと思った次第です。
一つはっきり言えることは、当地におきましては、
「<グローバルな競争>の中でも生き残り得る産業(企業)が自国にあって、はじめてシンガポール国は存続・発展が可能であり、雇用の維持・創出も偏にそういった産業(企業)の持続・発展にかかっている。」
という社会了解が揺るぎないものとしてあるということでしょうか。
従って、雇用確保という場合も、「いかにして自国に所在する企業の競争力をグローバルな観点で比較優位なものとして保たせるか」に政策の重点が置かれることになります。
この「Jobs Credit Scheme」に限らず、税制面での措置(現行18%という、既に他国比かなり低いレベルにある法人税率の17%への更なる引き下げ及び過去支払い法人税繰り戻し枠と期間の拡大)にしても、基本発想の出発点はここにあるようです。
対して日本での雇用確保議論におきましては往々にして、単に「企業を叩く」あるいは「企業と従業員とを対立項」として論じるような、(まあ国民感情的には受けはいいのかもしれませんが)あまり建設的とは思えない感情論が先行しがちです。
少なくとも「自国産業・企業の世界市場の中での競争力・比較優位性」という観点が欠落しがちな気がして違和感というよりも、その危機意識の薄弱さに逆に危機感を感じるのは私だけでしょうか・・・・
もっとも、今回の「Jobs Credit Scheme」に対して何の反対意見もなかったのかというと決してそんなことはありません。
反対意見の主たるものは、
① 支援対象企業に、その業種、業容、業績、成長性あるいは外国資本かどうか等々の選別基準がなく、CPF対象従業員を雇用してさえすれば全ての企業が対象になるというやり方に対して、「金をどぶに捨てることにならないのか?」とか、
② 賃金の12%相当の補助といっていながら、上限が月S$300(逆算すると月給S$2,500)では、「中所得者以上にとっては雇用保護にはならず逆に解雇が促進されはしないか?」(例えば月給S$5,000の従業員がいた場合、その人を解雇し、月給S$2,500の2名を雇えば同じS$5,000の給料負担に対しS$300ではなくx2のS$600の補助がもらえる計算になる)とか、
③ CPF対象従業員の雇用コストが支援対象という事は、要はシンガポール人(及び一部永住権者)従業員のみを対象にしており、外国人従業員は対象にならないのでシンガポール人優遇、外国人切捨ての「保護主義とみなされないか?」
等々。
いずれも、それなりに考えさせられる意見かと思います。
① については、そりゃそうかもしれないが、さすがに政府にそこまで企業を選別する能力はないし、やるべきでもない、ということでしょうか。
② については、仮に企業側がそういう判断をするのであれば、それはそれでしょうがない、ということでしょうか。どんな政策にも財源上の制約はあるし、あらゆる階層を救済する政策など、そもそもないということかもしれません。
③ については、国家の役割とは畢竟、「国民の生命と財産を守る事」でしょうから、雇用確保にあたっても守るべき対象は、まずは自「国民」でしかない、と考えるのが自然なのでしょうか。ただ「保護主義」という切り口で語られると、一体どこまでが「普通で」どこからが「おかしい」という話になるのかの線引きが難しいです。というか、国家と国民との契約関係を考えると、果たして「保護主義」に陥らないことなどが、そもそも構造的に可能なのかどうか疑わしい気もします。
ただその場合、「国際貢献」とか「対外援助」とかいうのは一体どういう文脈の中で考えればいいものかと悩むところです。
前回は又しても「Jobs Credit Scheme」(雇用対策の目玉の一つです)の話にはいきつかず、当地の社会保障制度(CPF)の話になってしまいました。
今回こそ、「Jobs Credit Scheme」についてのお話です。
2009年度政府予算で初めて導入されましたこの制度につき再度簡単におさらいしますと、
「当地社会保障制度である中央積立基金(CPF)加入の各従業員につきその月給の12%(但し上限は一人当たり月300ドル)を国が雇用主である企業に直接補填するというものです。」
要は、政府が企業に対しシンガポール人従業員雇用コストの一部を肩代わりする事で、企業側の(CPF対象)従業員の解雇や給与減額への誘因を減じる事を狙ったものです。
この制度の特徴として面白いのは、なんといっても
○ 国民に対して直接支払われるのではなく、国民を雇用している企業に対して支払われる、
という点でしょうか。
従いまして、企業化していない独立自営業者、例えば個人経営の飲食店や商店、あるいはそうそう、タクシー運転手(シンガポールには現在8つの法人タクシー会社があり24千台強の車両がタクシー登録されていますhttp://www.lta.gov.sg/。東京が55千台程http://www.taxi-tokyo.or.jp/ですので人口比、面積比共に東京より多いです。ただビジネスモデルが日本とは違い、タクシー会社は車両とシステム(このシステムが驚くほど秀逸でして最大手のComfort((上場会社です))は近年そのシステムを引っさげて中国にも進出しています)を提供するもので運転手は雇用しません。運転手はタクシー会社から車を借りて利用料を払って自ら営業する独立自営業者です。)等は、このスキームからは直接的にはメリットは享受できないということになります。
ところが、だからといってこの政策に対して、「独立自営業者側から非難轟々というわけではない」というところがシンガポールの世論形成の面白い(というか物分りがいい?)ところでしょうか。
むしろタクシー運転手や個人経営の飲食店主や商店主等からは、自分たちのビジネスは「利用してくれる人があってはじめて成立する」という極めて全うな理解からして、「利用者減少を食い止める事につながる措置」であれば、(自分たちには直接的便益はなくても)、
それはそういう性格のものとして支持するという意見が大勢のようです。
大人ですなあと感じると同時に、仮にこれが日本で行われた場合、果たして日本のメディアはどのように報道し、又いかなる世論形成がなされるのかしら、とふと思った次第です。
一つはっきり言えることは、当地におきましては、
「<グローバルな競争>の中でも生き残り得る産業(企業)が自国にあって、はじめてシンガポール国は存続・発展が可能であり、雇用の維持・創出も偏にそういった産業(企業)の持続・発展にかかっている。」
という社会了解が揺るぎないものとしてあるということでしょうか。
従って、雇用確保という場合も、「いかにして自国に所在する企業の競争力をグローバルな観点で比較優位なものとして保たせるか」に政策の重点が置かれることになります。
この「Jobs Credit Scheme」に限らず、税制面での措置(現行18%という、既に他国比かなり低いレベルにある法人税率の17%への更なる引き下げ及び過去支払い法人税繰り戻し枠と期間の拡大)にしても、基本発想の出発点はここにあるようです。
対して日本での雇用確保議論におきましては往々にして、単に「企業を叩く」あるいは「企業と従業員とを対立項」として論じるような、(まあ国民感情的には受けはいいのかもしれませんが)あまり建設的とは思えない感情論が先行しがちです。
少なくとも「自国産業・企業の世界市場の中での競争力・比較優位性」という観点が欠落しがちな気がして違和感というよりも、その危機意識の薄弱さに逆に危機感を感じるのは私だけでしょうか・・・・
もっとも、今回の「Jobs Credit Scheme」に対して何の反対意見もなかったのかというと決してそんなことはありません。
反対意見の主たるものは、
① 支援対象企業に、その業種、業容、業績、成長性あるいは外国資本かどうか等々の選別基準がなく、CPF対象従業員を雇用してさえすれば全ての企業が対象になるというやり方に対して、「金をどぶに捨てることにならないのか?」とか、
② 賃金の12%相当の補助といっていながら、上限が月S$300(逆算すると月給S$2,500)では、「中所得者以上にとっては雇用保護にはならず逆に解雇が促進されはしないか?」(例えば月給S$5,000の従業員がいた場合、その人を解雇し、月給S$2,500の2名を雇えば同じS$5,000の給料負担に対しS$300ではなくx2のS$600の補助がもらえる計算になる)とか、
③ CPF対象従業員の雇用コストが支援対象という事は、要はシンガポール人(及び一部永住権者)従業員のみを対象にしており、外国人従業員は対象にならないのでシンガポール人優遇、外国人切捨ての「保護主義とみなされないか?」
等々。
いずれも、それなりに考えさせられる意見かと思います。
① については、そりゃそうかもしれないが、さすがに政府にそこまで企業を選別する能力はないし、やるべきでもない、ということでしょうか。
② については、仮に企業側がそういう判断をするのであれば、それはそれでしょうがない、ということでしょうか。どんな政策にも財源上の制約はあるし、あらゆる階層を救済する政策など、そもそもないということかもしれません。
③ については、国家の役割とは畢竟、「国民の生命と財産を守る事」でしょうから、雇用確保にあたっても守るべき対象は、まずは自「国民」でしかない、と考えるのが自然なのでしょうか。ただ「保護主義」という切り口で語られると、一体どこまでが「普通で」どこからが「おかしい」という話になるのかの線引きが難しいです。というか、国家と国民との契約関係を考えると、果たして「保護主義」に陥らないことなどが、そもそも構造的に可能なのかどうか疑わしい気もします。
ただその場合、「国際貢献」とか「対外援助」とかいうのは一体どういう文脈の中で考えればいいものかと悩むところです。
前回の続きです。
前回こそは今般のシンガポール政府景気対策の目玉の一つである「Jobs Credit Scheme」についてもっとお話したかったのですが、話が政策執行上の社会インフラとしての情報管理処理能力の方にいってしまい、当地社会保障制度であるCPF(中央積立基金)Boardの情報管理処理能力の高さの話になってしまいました。
(因みに、シンガポール行政レベルの所謂IT化は世界最先端かもしれません。もしかしたらこういうところがこの国の強さの鍵かも?興味ある方はhttp://www.igov.gov.sg/ご参照。)
ついでですので、このCPF制度について概要をかいつまんでお話いたします。
まず第一に、この制度は、日本(や他の先進国の多く)のような公的社会「保険」制度ではありません。
Central Provident Fund(CPF)は中央積立基金と訳されますが、制度としては「強制貯蓄制度」と訳すと性格がわかりやすくなります。
シンガポールでは、原則すべての国民が給料の20%(給料額・年齢によって差はあります)を国の管理下にあるCPFの個々人の口座に積み立てることが義務づけられています。
加えて、会社勤務の場合は雇用主が各従業員給与の(現在ですと)14.5%を各従業員のCPF口座に支払うことが義務づけられていますので、一般の給与所得者の場合、毎月自分の給与額面に対し34.5%が自分自身のCPF口座に積み立てられていくことになります。
尚、これは罰則規定を伴う義務ですので、日本のような徴収漏れなどはありません。
(因みに、雇用主側からみた従業員の社会保障負担(現行14.5%)という観点では、日本の雇用主側社会保険負担が現在13%程度ですので、まあ似たり寄ったりというところでしょうか。)
この制度は、老後に備えて貯金するという発想のもとでシンガポール国独立(1965年)前の1955年に始まりました(HDBという名の住宅供給制度と共に、建国の父リー・クアンユーが導入した卓見した偉業の一つかと思います)。
現在では、主に年金・医療費・教育費・住宅購入費などの国が認める用途に限って引出しができるしくみになっています。尚、残高に対して国が最低利回り保証をしており現在は年率2.5%が最低でも付利されます。勿論無税です.
このしくみの「保険」制度との決定的な違いは、基本的に個人ごとに貯めて、また個人ごとに使うという点です。
貯金だと考えるとあたりまえと思われるかもしれませんが、日本を含めた「保険」方式を採用している国では、皆から集めた社会「保険料」で、その時々にその時々の老齢者に年金を払い、病気の人に医療費を補助しており、加入者全体のリスクを持ち合うしくみをとっているのはご案内の通りです。従い、「相互扶助」という美名の大儀はいいのですが、例えば医療費については、利用者側のコスト意識が働きにくく、過剰または非効率に利用されるモラル・ハザードの問題に出くわします。
(一方、自分の口座で賄われる場合は、利用抑制や、あるいは同じ治療を受けるのにより安い病院を探そうという効率性が図られやすくなるものの、社会的弱者には酷な制度の為、別の制度上の救済策で対応されます。とはいえシンガポールの政策の特徴は、常に「動機付け」が重視され、自助努力ありきから始まりますので、なんでもかんでも100%丸抱えといった措置がいきなり出てくることは普通ないようです。通常はこのような場合第一義的には「家族」に扶助義務がいくようですが、冷静に考えてみると当然といえば当然のような気がします。意外と「家族」問題というのは古くて新しい、けどとても重要なものかもしれません。)
加えて、社会「保険」制度の場合、制度の前提としての人口動態がその制度の持続可能性を左右しますので、日本のような少子高齢化が世界最速で進んでいながら、有効な対策が未だに打ち出せない国においては、社会「保険」制度自体について「不安」とか「不信」というよりも、今や社会保険というよりも実体は「講」のようなものと受け取られているかのようで「しらけている」感すらあります。
尤も、この社会保険制度に対する「不安」「不信」そして「しらけ」を決定的にしたのが、社会保険庁の5000万件にのぼる年金記録散逸問題だったでしょう。
一体どうやったらこれだけの数のデータをでたらめにできるのか、逆立ちしても思いつきませんし、報道当初から不思議だったのが、年金記録の全容を捉えていないのだとすれば逆に何故5000万件が散逸件数だと言えるのか素朴な疑問として今も残っています。ところで、この問題は今一体どうなっているのでしょうか?
(どなたかご存知のお方がいれば教えてください)
○ 「不安」「不信」
「不安」の原因は往々にして情報がないので「わからない」という事実に起因することが多いと思います。もっとも「わかって」しまって更に不安になることはあるでしょうが、少なくとも情報開示がないことによる「不信」の醸成は、きちんとした情報を開示することにより防げるはずです。
当地CPFは、個人貯蓄ですので当然ながら個人の残高はCPFのHPhttp://www.cpf.gov.sg/にいけばオンラインでいつでもわかります。
一方日本の社会保険料については、国民皆保険といいながらも払っている人や払っていない人が混在し、又「保険」という性格からして個々人の既支払額残高が(的確に情報管理され開示されていたとしても)一体どういう意味を持つのかも曖昧です。
社会保険料に加え、かねてより疑問なものに生命保険料(普通の人にとっては生涯でする買い物のうち住居に次ぐ高額な買い物が生命保険でしょうか)があります。毎月支払う保険料のうち一体いくらが自分の保険に使われて、一体いくらが保険会社の収入(経費及び利益)として差し引かれているのかのブレークダウンが普通はありません。(最近になって一部良心的?先進的?な保険会社がこの情報開示をやっているようですが、)
一体何故か?又当局も何故こんな重要な情報開示を見過ごしてあげているのか?本当に不思議です。
社会保険料についても「実はxx割は社会保険庁の経費です」と言われたとしても、ありがちな気がしますので注意しておきましょう。
やはり、まずは情報開示からなのでしょうか。
~次回に続きます。
前回こそは今般のシンガポール政府景気対策の目玉の一つである「Jobs Credit Scheme」についてもっとお話したかったのですが、話が政策執行上の社会インフラとしての情報管理処理能力の方にいってしまい、当地社会保障制度であるCPF(中央積立基金)Boardの情報管理処理能力の高さの話になってしまいました。
(因みに、シンガポール行政レベルの所謂IT化は世界最先端かもしれません。もしかしたらこういうところがこの国の強さの鍵かも?興味ある方はhttp://www.igov.gov.sg/ご参照。)
ついでですので、このCPF制度について概要をかいつまんでお話いたします。
まず第一に、この制度は、日本(や他の先進国の多く)のような公的社会「保険」制度ではありません。
Central Provident Fund(CPF)は中央積立基金と訳されますが、制度としては「強制貯蓄制度」と訳すと性格がわかりやすくなります。
シンガポールでは、原則すべての国民が給料の20%(給料額・年齢によって差はあります)を国の管理下にあるCPFの個々人の口座に積み立てることが義務づけられています。
加えて、会社勤務の場合は雇用主が各従業員給与の(現在ですと)14.5%を各従業員のCPF口座に支払うことが義務づけられていますので、一般の給与所得者の場合、毎月自分の給与額面に対し34.5%が自分自身のCPF口座に積み立てられていくことになります。
尚、これは罰則規定を伴う義務ですので、日本のような徴収漏れなどはありません。
(因みに、雇用主側からみた従業員の社会保障負担(現行14.5%)という観点では、日本の雇用主側社会保険負担が現在13%程度ですので、まあ似たり寄ったりというところでしょうか。)
この制度は、老後に備えて貯金するという発想のもとでシンガポール国独立(1965年)前の1955年に始まりました(HDBという名の住宅供給制度と共に、建国の父リー・クアンユーが導入した卓見した偉業の一つかと思います)。
現在では、主に年金・医療費・教育費・住宅購入費などの国が認める用途に限って引出しができるしくみになっています。尚、残高に対して国が最低利回り保証をしており現在は年率2.5%が最低でも付利されます。勿論無税です.
このしくみの「保険」制度との決定的な違いは、基本的に個人ごとに貯めて、また個人ごとに使うという点です。
貯金だと考えるとあたりまえと思われるかもしれませんが、日本を含めた「保険」方式を採用している国では、皆から集めた社会「保険料」で、その時々にその時々の老齢者に年金を払い、病気の人に医療費を補助しており、加入者全体のリスクを持ち合うしくみをとっているのはご案内の通りです。従い、「相互扶助」という美名の大儀はいいのですが、例えば医療費については、利用者側のコスト意識が働きにくく、過剰または非効率に利用されるモラル・ハザードの問題に出くわします。
(一方、自分の口座で賄われる場合は、利用抑制や、あるいは同じ治療を受けるのにより安い病院を探そうという効率性が図られやすくなるものの、社会的弱者には酷な制度の為、別の制度上の救済策で対応されます。とはいえシンガポールの政策の特徴は、常に「動機付け」が重視され、自助努力ありきから始まりますので、なんでもかんでも100%丸抱えといった措置がいきなり出てくることは普通ないようです。通常はこのような場合第一義的には「家族」に扶助義務がいくようですが、冷静に考えてみると当然といえば当然のような気がします。意外と「家族」問題というのは古くて新しい、けどとても重要なものかもしれません。)
加えて、社会「保険」制度の場合、制度の前提としての人口動態がその制度の持続可能性を左右しますので、日本のような少子高齢化が世界最速で進んでいながら、有効な対策が未だに打ち出せない国においては、社会「保険」制度自体について「不安」とか「不信」というよりも、今や社会保険というよりも実体は「講」のようなものと受け取られているかのようで「しらけている」感すらあります。
尤も、この社会保険制度に対する「不安」「不信」そして「しらけ」を決定的にしたのが、社会保険庁の5000万件にのぼる年金記録散逸問題だったでしょう。
一体どうやったらこれだけの数のデータをでたらめにできるのか、逆立ちしても思いつきませんし、報道当初から不思議だったのが、年金記録の全容を捉えていないのだとすれば逆に何故5000万件が散逸件数だと言えるのか素朴な疑問として今も残っています。ところで、この問題は今一体どうなっているのでしょうか?
(どなたかご存知のお方がいれば教えてください)
○ 「不安」「不信」
「不安」の原因は往々にして情報がないので「わからない」という事実に起因することが多いと思います。もっとも「わかって」しまって更に不安になることはあるでしょうが、少なくとも情報開示がないことによる「不信」の醸成は、きちんとした情報を開示することにより防げるはずです。
当地CPFは、個人貯蓄ですので当然ながら個人の残高はCPFのHPhttp://www.cpf.gov.sg/にいけばオンラインでいつでもわかります。
一方日本の社会保険料については、国民皆保険といいながらも払っている人や払っていない人が混在し、又「保険」という性格からして個々人の既支払額残高が(的確に情報管理され開示されていたとしても)一体どういう意味を持つのかも曖昧です。
社会保険料に加え、かねてより疑問なものに生命保険料(普通の人にとっては生涯でする買い物のうち住居に次ぐ高額な買い物が生命保険でしょうか)があります。毎月支払う保険料のうち一体いくらが自分の保険に使われて、一体いくらが保険会社の収入(経費及び利益)として差し引かれているのかのブレークダウンが普通はありません。(最近になって一部良心的?先進的?な保険会社がこの情報開示をやっているようですが、)
一体何故か?又当局も何故こんな重要な情報開示を見過ごしてあげているのか?本当に不思議です。
社会保険料についても「実はxx割は社会保険庁の経費です」と言われたとしても、ありがちな気がしますので注意しておきましょう。
やはり、まずは情報開示からなのでしょうか。
~次回に続きます。