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1911年から16年にかけて発行された青鞜社の機関誌『青鞜』は日本のフェミニズム運動の濫觴(らんしょう)といわれている。その発刊の辞にリーダーの平塚らいてう(1886~1971)はこう書いた。
「元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である」と。
らいてう(雷鳥)は高山にのみ生きることのできる孤高孤絶の鳥である。しかし、らいてうは生まれながらにして孤高であったのではない。彼女にアルプスの孤峰にひとりいるものと思わしめたのは父であり男であり社会の強制である。
平塚は御三家紀州藩出身の高級官吏である父と御三卿田安家の御典医の娘であった母との間に生まれた。本名は明(はる)。欧米遊学の経歴をもつ父は自由な雰囲気の家庭環境を許したが鹿鳴館時代の終焉ともに極端な国粋に転じてしまい、明を反動の牙城御茶ノ水の女高師附属高女に押し込めてしまった。これへの反発からか平塚は真っ当な学問への情熱にとらわれ日本女子大に進み、さらにいくつかの学舎を転々として哲学や宗教(禅)に傾倒し、ついに文学と遭遇してturning pointを渡ることになった。
1907年、彼女は帝大文科を出た生田長江たちの行う「閨秀文学会」に参加し、森田草平(1881~1949)と出会う。森田は恋愛スキャンダルの王様であり、後にはゴシップの帝王となる人物である。彼は岐阜で生まれ金沢の四高を恋愛スキャンダルで放校され、一高に入りなおして帝大に進むが森田の子を産んで上京した親戚の娘と同棲し、第二子ができて女を岐阜に帰したあとに中学の教員となるが、大家の娘と関係して進退谷ったころの出会いであった。
森田の講義を明は大きな黒い眼をくりくりさせて凝視するのである。それは彼女の癖であった—事実だれにでもそうした—。もちろん恋愛逆上せ(のぼせ)性の森田は燃え上がった。明の稚拙な処女小説『愛の末日』を絶賛する手紙を送り、性懲りもなく繰り返す「恋の火遊び」生活を始めたのだった。数えでらいてう23歳、森田草平28歳である。

二人の初めての逢曳は1908年2月1日だった。湯島の天神下を歩きつつ草平が、
「愛の末日の先はどうなるんですか?」と訊くと、明は
「自由になります、それは死によって。死はすべてを自由にいたしますわ」と答えた。
男は眩暈を覚えた。そんな“高等な女”がいて今のいま自分の前に対していることの現実感がつかめなかったのである。現実が現実であることが胸に染み渡ったとき男は死を決意した。
「そうだ、愛に死ぬのだ!」、と。
愚かな男は急きこんで
「君は愛のために死ねるのですか」と問うた。賢さに背伸びしようとする女は
「もちろんですわ」と破顔して答えた。宙に舞った男は愛の完成を夢想して
「ではこれから」と待合に誘った。
「なぜ?」
「愛の成就のために」
「だからこそ清いままでいるべきじゃないかしら」
睨むように、訴うるように、潤んだ大きな眼に冬の白い月を映して、女が言った。
しばしの沈黙のあと首を落として
「そうだね」と男が言った。

3月22日の夜、田端駅から二人は終列車にのった。この汽車は大宮止まりで氷川の森なかの旅館に泊まった。草平は体を求めた。明がとがめるように「ここで死ぬのですか」と訊くと、草平は伸ばした手を引いて壁側に半転した。明は5歳年上の男を翻弄し唯々諾々とさせることに快楽した。
23日の夜は那須塩原に宿った。「今日で最期じゃないか」と男が求めた。女は口を閉じたまま憐れむように男を凝視した。もうすぐ男が自分を殺し、そのあと自分のために男は死ぬ。命の果てまで一人の男の心を支配する官能に女の精神は高揚した。一方は思い上がりの極みに目くるめき、もう一方は悄然の底に沈んだ。寝るとも起きるともない時間が過ぎて外が白んできた。
朝となった。連れ立って雪の残る山に入った。陽だまりの崖上で二人は対峙した。明は銘仙の袋から懐剣を取り出して草平に渡した。
「さぁ、約束しましたわ。私を殺して!」
「あぁ」
懐剣の鞘をはらった。
「もう一度お願いする。僕たちの愛の完成のために僕たちは死ぬと言ってくれ」
「それは無理。私は愛のために、そして精神の純潔のために、哲学的に死ぬのです。でも、先生には感謝してますわ。さぁ、こちらこそお願い!」
「………」
大きく孤を描きながら投げ捨てられた懐剣が谷底に吸い込まれていった。
「これは心中じゃない、僕は君の自殺幇助をするために雪の山に来たのではない」
森田は一人で蹌踉と山を下りた。それからしばらくして平塚も放心のまま湯治場に下りてきた。塩原には生田長江と母が待っていた。明が田端駅の前のポストに投函した決別の手紙には行く先が塩原とは書かれてなかったが、生田から連絡を受けた平塚の家が警察に手配し、朝二人で旅館を出たことが通報されていたのである。
 
塩原心中未遂事件は新世紀絶好のスキャンダルとなった。新聞はあることないことを書きたて、平塚明は満都の好餌となって嘲笑憫笑された。日本女子大同窓会桜楓会は明を除名した。(復籍したのはなんと1992年である)。これ以降、明はスキャンダルまみれの名を棄ててらいてうと名のる。
森田草平は教員を馘首された。養わねばならない子もいれば女もいる。糊口をしのぐためにこのスキャンダルを材料とした小説を書くしかない。師の夏目漱石がそう勧めた。平塚家は思いとどまってくれるように言ってきた。らいてうは「どうか思いっきり冷笑罵倒してくれ」と願ってきた。
草平は悩んですべてを漱石に相談すると、漱石は
「彼女こそUnconscious Hypocriteではないか」と言った。

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夏至の夜の祭り。
一年で一番短い夜に出逢った、
際立って美人の女性との物語。

パリ郊外のエクスクルーシヴなカントリークラブ会員の集い。
高級官僚、会社役員、弁護士、医師、そしてよくわからないセレブ達。

ブルネットの髪にノワール(黒)のドレス。
40代にみえる。
訊けば、子供は3人と。
一番上が29歳、次が24歳、ともにNY在住。
一番下が6歳の女の子。
絵の中から現れたように傍らにいる。

そうか、やはり50代か。
20歳の年齢差などなんとでも
乗り越えられそうだ。
モデルと思ったが、、、
フード関係のマーケッティングマネージャーとか。

ヴィクトリィは私に潤んだ目で語りかけ、
腕をとって耳打ちする。
「あなたはなんていう名なの?」
『はるき』
「アルキ??」
『日本人だからね。Hを発音するんだ。』
「ハルキね。ハルキ。遠い異国の香りがするわ。」
舌足らずにする発音もかわいい。

女友達とやってきたヴィクトリィ
焼けた肌がまぶしい。
長い睫毛を伏し目がちにして一瞬遠い目をして言った。
「ハルキ、画家であった夫は3年前に他界。
最後はもう10年以上、闘病生活だったのよ。」

末の6歳の娘は夫の忘れ形見か。
「ノン、命尽きる前の忘れ形見なんかじゃないわ。彼の死後の嫉妬よ。」

この美しい妻に世話をさせるために残した娘。
自分の亡き後に他の男に奔る足にちょっとした戒め、、、、

瞬時に悟って私は身震いした。
母も娘も、、、、

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エステティシャンである涼花さんの手が一瞬止まった。
私の左の乳房の下にKのつけた傷跡を見つけたときだ。

「もしやあの、Kさん、ご存知ですか? 
以前、N賞のレセプションパーティで
お話しされてらっしゃるのをお見かけしたように思ったのですが。」

ーあぁ、それは奥様とお話ししていたのでしょう。
私は懸命にゆっくり、できるだけ静かに、答えた。
それでも、全裸の身体はどこか紅く火照ったのだろうか。

業界で有名な女誑しのKとの情事は絶対に秘密にしなければならない。
尻軽で色狂いのおばさんにされてしまう。

Kに愛されるようになって私は敏感になった。
愛撫されるごとに女オンナっぽくなり、つややかにぬめるようになった。
その身体を涼花さんの前にさらしている。

「お客様のお身体の声が聞こえるのですよ。マッサージをやってますと。
恋をされている方の身体はすぐにわかりますの。」

ーなんだかとっても眠いし、それに手足もしびれてきたようだわ。

「お客様。マッサージの前にお出ししたハーブティーのせいでしょう、
きっと。」

ぼーっとしていく頭に中にKの言葉がグルグルまわる。
── 瀟洒なエステサロンをやっているとか聞いた。
どこにでもいるフツーの女さ。手を出したのは気まぐれだったのだろう。
男には時としてそんなことがある。
ただちょっと、嫉妬が度を増しているというか……。
奥さんはいいのよ、もう愛してらっしゃらないのがわかるから。
でも、他の女に本気になるのだけは許さない、と。怖い顔して睨むんだぜ。──

「お客様にサロン特製のお顔のパックをしてさしあげますわ。
はじめだけちょっとぴりぴりひりひりくるかもしれませんが、
ご心配はいりませんわ。」

ーびんかん肌だから私は、、、、
もうモノも言えなくなった。力がはいらない。
いたるところKの刻印に爛れたが身体が、いま曝される、、、、