寝ても醒めても ~ Nuit et Jour ~-sion











お客様で超美形のモデルである詠美が彼氏を連れてきた。
私のお店では男性のお客様を受け入れないが、
特別のお得意様のご紹介があった場合には例外だ。

ベッドの上に40代の男が横たわっている。
彼女お気に入りのエステティシャンに気を許したのか饒舌がとまらない。

昔の女との自慢話。
「看護婦さんて優しそうだと思うよね。でも付き合ったら地味でさ、
おもしろくもなんともないんだ。優しいだけってとりえにもなんにもなりゃしない。
棄てたら付きまとってストーカーさ。まったくいやになっちゃったよ。」

私は男の身体の異変を微妙に感じはじめた。
饐えた脂のような臭い、腐敗している。
これは。。。。この臭いを私はよく知っている。

私はかつてホスピスで看護婦をしていた。
マッサージの手から伝わる各所のリンパの腫れ。

癌だ。それもステージの進んだ......

私を棄てた男が無防備に横たわっている。
この腕に抱かれた時間もあった。
醜い別れも。
すっかり忘れていた他人。

思いを断つために、顔は美容整形、名前も職業も変えた。
私は這いずりあがった。
偶然の再会。

『このツボはいかがですか?』

「こりゃーいい。痛いがきくな。最高だ。セックスよりいいかもしれないな。
おっとごめん。詠美には内緒に。最近ちょっと疲れやすいんだ。
健康診断はきらいでね。こうやって癒されればそんなもの必要ないさ。
今度は詠美なしにきてもいいかな。」

紫苑のマッサージする手の力がさらに強くなる。
全身の血行がよくなるように。
全身にモノがさらに循環していくように。

$寝ても醒めても ~ Nuit et Jour ~-saint_michel.jpg


 サトシがマンションの前で待っていた。私を認めると、
「ヤァ」
 と弱々しげに笑って手をあげる。
 切れ長の眼、おもねるような表情。サトシ、あなたはなにも変わってないのね。
 でも、だからといって私もそうであってはいけないのだ。きりっとサトシを睨みつけて、
「ホントに今日で最後だからね、わかってる?」
 乾いた声で言うと、
「うん」
 とうつむいて応えた。
「じゃあ部屋にいこう」

 私の名は七瀬。中学のころ母に、
「お父さんとお母さんは大恋愛だったの?」
 と訊いたら、
「そんなことはないわよ」
 と笑われた。百人一首を覚えたばかりで、

 瀬をはやみ 岩にせかるゝたき川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ

 という歌から名づけられたのかと胸ときめいていたのに……。
 いろんな困難があって、別れを強いられることがあっても、必ずまた会おう、一緒になるんだ。父も母もひたむきに愛し合って私が生まれたのだ、と私は思ったのだ。

「でも、あなたは七夕と関係あるから七瀬なんですって。なんでも、七夕の夜に牽牛が織女に会いに行くために渡る天の河の瀬のことらしいわよ。お父さんが得意げに言ってたわ」
「えっなんで? 私4月生まれなのに」
 私が言ったら母はとぼけて
「さあ、不思議な話ね」
 と赤い顔してうつむいた。

 サトシはついこの間まで私の婚約者だった。同じ大学のふたつ年上で、彼の卒業のころ知り合った私たちは、すぐに仲よくなった。彼はステディな関係を望んだけど、それは私が断った。私はまだ若かったし、社会人と学生という環境の違いもあったから。

 でも、彼は本当によくしてくれた、本当にやさしかった。サラリーマンなのに、デートもバカンスも私のスケジュールを優先してくれたし、出張に行ったらいつも何かしらおみやげを買ってきてくれて、私の就職の相談だって本気で私のことだけを考えてサポートしてくれた。
 イケメンで、キャンパスにはたくさんのファンがいて(だから会社でも女子社員にモテモテに違いなくて)、私はずっと女の子たちのやっかみの対象だった。さわやかで頭がよくて、就職した会社も人気企業でバリバリ仕事しているようだし──。

 それに“肌が合う”っていうのだろう、ベッドの中でもやさしくてたくましくて、私は彼に抱かれるとき、大きな海の中にたゆたうヨットのように、すっかりの安心感に包まれて幸福そのものだった。

 学生のころ、私は自分に自信をもっていたから、彼は“もっとも大切なカレ”ではあったが、正確にいえば“カレたちの中のひとり”にすぎなかった。私は決して“都合のいい女”でもなかったし、もちろん“尽くす女”でもなかった。

 そういう女であってはいけなかったのだ。

 私のためにかしずき、なにくれとしてくれる男たちに対して、私は最大限の笑顔をむけて喜んであげる。それがなによりのお返しであって、それ以上のことをしてはいけない。
 男たちは私の笑顔を独り占めしたいと願うのだ。
 もし私が誰かにそれ以上のなにかをしてあげたら、その相手も含めて、私の偶像は地に墜ちたことだろう。

 はたちも年上のおじさまとの恋。
 恋というには傲慢だけど、お金があってなんでも買ってくれて、カレたちには到底届かないレストランやコンサートに連れて行ってくれて、なによりやわらかく妙なるテクニックに陶酔した。

 年下の学生のカレも嫌いじゃない。
 おじさまのお相手が終わった後、電話1本でなんにもしらずに私を迎えにくる無垢なカレを、どれだけ愛おしく思ったことか。

 卒業して就職してみると、私にだってサトシが本当に希少価値であるのは理解できた。そのせいもあって、夏の間べったり過ごしたらタイミングよく彼がプロポーズしてくれたので、速攻で「イエス」といって私たちはフィアンセになった。それだけじゃおもしろくないから、婚約式と披露パーティまでやって世間に見せびらかしてやった。

 問題は私だけにあった。彼がステディを望んだ頃(私は「ノー」と言ったけど)から、彼が浮気もせずに私ひとりになっていることは(女ならだれだって、だけど)わかっていた。でも、私はいろんな男と遊んでいた。だって私にこそ(若かったから)無限の可能性があると思っていたのだ。しかし、どうやら私の浮気はビョーキだったかもしれない。

 女の子たちや世間でもてはやされている男に出会うと、とにかく「落とさなきゃ」と思ってしまう。そりゃ学生時代はまだ自覚もなくって、誘われてフィーリングがあえば「ガンガン」仲よしになっていた時代もあったけど、彼と知り合ったころには「ちょっと」、それから「たまに」になって「めったに」までなっていたのだけど、「なし」にはならなかった。

 有名人には血が騒いだ。いまにして思えば勘違いなのだけど、有名人は選び抜かれた男なんだから得るところがあって、そういう男からはオーラがもらえると思いこんでいたのかもしれない。

 偉大なる監督の息子で甘いマスクのKは鳴り物入りでプロ球団に入ったけれど、実力がなければいつまでも一軍にいるわけにもいかない。ファームで練習していても夜は暇だし、金も体力もたっぷりあるから夜な夜な遊びまわっていた。
 大学でKと一緒だった美砂ちゃんが企画して、ファームの男の子たちと花のOL合コンが行われた。美砂ちゃんと私は学生のころからの遊び友達で、婚約していることも承知で声をかけてきたのだから、私が(それこそ意気に感じて)張りきったのは当然だった。

 細かい経緯はどうでもよく、私はKと寝た。私がそれを黙っていても、せまい世の中のことだから、サトシが知ることになったのはすぐだった。

 なんとサトシは激高した! 私は驚いた。それまでにも私はほかの男(中にはサトシの後輩だっていた)と寝ていたが、サトシはずっと知らんふりを通していたからだ。だから彼の怒りがわからなかった。

 私は逆ギレして全部を放り投げた。婚約はキャンセルした。週末同棲していたマンションからはさっさと出て行って、自分の引越もした。職場も転属させてもらった。ケータイの番号もアドレスも変えた。髪も切った。服のセンスも違うものにした。私は自分をリセットしたのだ。
 あ。Kは稚拙だったので一度きりでしかない。念のため。

 別れて3ヶ月たったあたりから、どこで調べたのか、マンションのポストにサトシからの手紙が入るようになった。私はすべて封も切らずに集合ポストの横にあるダストボックスに捨てた。メイルも入ってきた。着信拒否にした。
 そうして別れて半年ほどたったころになって、美砂ちゃんから電話がかかってきて、サトシが「一度だけでいいから会って、もう一度話したい」と言っているから会うだけ会ってやってくれと頼みこまれたのだ。

「コーヒーにする? それともビールにする?」
「そんな……そんなやさしい言い方されると気分がなえるから、いいよ」
「あら、なえちゃだめなの? 私はなえてくれた方が好都合よ」

 食卓の向うに座っているカレの前に、背の高いグラスを置いた。私は大きなマグカップに半分ほどビールを注ぎ、両手でもって飲んだ。

 静寂──。

 気分を変えるために、ふーっとため息をつく。

「で、なんなの? 私にどうしてほしいの? 最後なんだから手短かに言って」
「七瀬は最後にしたいのか?」
「最後にしたくないといったら?」
「どういうことなんだよ?」
「サトシがなにもなかったことにすればいいのよ。私はなにもなかったんだから」
「なにもなかったわけじゃないから、こんなになってるんだろ! なんで混乱させるようなことを言うんだ。いいかげんにしてくれよ!」
「なにも混乱させることは言ってないわ。いい? サトシが言ってるのは“事実があったかなかったか”なの。だけど私が聞きたいのは“なにが真実か”ということ。ふたりにとって大切なのはヤッタとかヤラナカッタとかじゃない、愛してるか、もう愛してないか……だと思うわ」

 サトシが首を振る。長い髪が白い額にサラサラ揺れる。いい感じだ。でも顔の色は青黒い。

「そうかもしれない。だから、七瀬が浮気をしたかどうかを、ボクは訊いていないだろう。だってキミは“した”って言ってるんだからね。しかも、悪いと思ってないと言う……」
「あら、“悪いと思ってない”なんて言ってないわ。思ってはいないけどね」
「ほら、言ったじゃないか」
「あなたの誘導尋問でね、ふふふ……」
「もういい。そんな媚びた眼で見るなよ。卑怯じゃないか」
「なにが卑怯よ。媚びるのは弱い女に残された武器じゃなくって?」

「わかった、それはいい。でも話が進まない。いいかい、キミが言う“なかったことにすればいい”は、そのままでは不可能だ」
「どうして? わたしもはっきり言うけど、なにも私の浮気なんて初めてというわけじゃないでしょ? いままで2年以上も目をつぶっていてくれたのに、どうして急にダメだっていったの? それこそ信じられないわ」
「目をつぶっていた? そうじゃない。そのころキミとボクはなんの契約もしてなかった。互いに自由な人格であるのだから、キミがどんな男と寝ようがボクが抗議する権利はなかったんだ。でも、婚約というのは契約だ。結婚の前段階ではあるが、ふたりで共同体を作っていくのだからそれぞれの義務が生まれてくる。結婚すれば貞節を守る義務が法的にも──」
「そんなこと聞きたくもない、なにが法的よ。第一、不自然だわ。婚約する前だって、あなたは私の浮気が楽しかったわけじゃないでしょ? 不愉快に決まってる。なぜそのときにヤメロといわなかったのよ。言ってくれたら反省して、行動も慎重になって、こんなことにはならなかったと思うわ」
「ヤメロといって聞く耳を持っていただろうか、キミは? “ジョーダンじゃない”と感じて“つきあってられないわ”と思ったんじゃないかな」
「あら? 私にフラレたくないから黙っていたの? そんなに軟弱だったんだ? フーン、ホントに別れてよかったわ」
「だってキミは、ボクが浮気していたら別れていただろう?」
「そんなことないわよ。やってみなければわからないことじゃない? それとも浮気しなかったことも、本意じゃなかったの?」

 私はサトシが浮気をしたら、別れていただろうか?
 そうかもしれない、と感じた。私は自由。でも、私が愛してかわいがる対象は、私だけのものじゃなきゃイヤ! 子供じみたエゴの固まり。それが私。

「そんなことじゃないさ。我慢していたのではなく、キミを愛していたから。愛していたら、浮気なんかできるわけないじゃないか!」
「臆病なのね」
「愛すれば誰だってそうなる」

 なんですって? 愛すれば臆病になって浮気できなくなるというの?

「じゃあ、私はサトシを愛してなかったと言うのね」
「そんなことは言っていない」

 なに? ちょっと待って。サトシはなにを言ってるの? 愛していれば浮気なんかできないと言いながら、私が浮気しても“それは愛していないからだ”と言わないのはなぜ? 私の心の中では浮気するサトシは許せないのに、サトシは私を許すというの? どうしてそんなことができるの?

 サトシは私が考えていたより何倍も大きく、私を愛してくれていたのだ! 私はジーンときていた。
 サトシはいまも私を愛している。私だってそうだ。
 それなのに、なぜ「なにもなかった」といってくれないの? そのひとことだけで、まっすぐ彼の胸に飛び込んでいけるのに!

「私が間違っていたのかもしれない。結婚したら豹変する男は最低だというでしょ? だから結婚もしていない、まだ婚約しただけなのに態度を一変させたあなたに、私はびっくりしてパニックになっちゃったの。冷静な判断なんかできなくなって、なにもかも放り投げてしまったの。そうよね、そんなちっちゃな女の子のようなことじゃダメよね」

 彼が破願した。真っ白い歯が光る。本当にほっと安心した顔。私もいいことをした幸福感に満たされた。

「そうか。七瀬がびっくりして不安におびえた気持ちが、いま分かった。謝るよ。なぜボクが怒っているのかを、きちんと説明してキミに理解してもらうことが最初だったんだよね。手順を間違えただけじゃなくて、少し感情的すぎた」
「いいのよ、私たち、まだ若いんだから、間違いもあればやり直しだってきくのよ。やり直しのために、私はどうしたらいいの?」

 サトシの眼がうるんで、涙があふれてきた。声もウルウルになった。

「ありがとう。そうだね、もう一度スタートしよう。じゃ、ボクが七瀬を愛していくための条件を言うよ。簡単だ、キミが“悪かった、ごめん”とひとこと言ってくれるだけでいい。それだけだ」

 ──なぜ!?

 それじゃ私が悪いことになってしまうじゃないの。
 私は悪くない。ただ知らなかっただけ。許してくれるんじゃないの!?

「それはできないわ。私は悪いことしてないんだもの。あなたが“してはいけない”というから、これから私は従うわ。だから“もうしません”といいます。でも悪いことをしていないのに謝るのはヘンだわ」
「いいことをしたと思ってるの?」
「いいも悪いもない、私はしたいことをしただけ。自然なのよ。でも、サトシが決めたことには従うわ。だから、もうしない」

 サトシの顔色から血の気がすーっと引いた。唇がわなないた。

「善悪は法律が決めるものじゃないんだろう? キミの行為の善し悪しをボクが決めるのだっておかしい。人間ならなにがいいか悪いか、生まれつき判断できる能力を持っているはずだ。それこそちっちゃな女の子じゃないんだから……」
「そうか、いいこと思いついた! 映画で見たんだけど、サトシ、名前を変えて、『ごめんなさい』って。そうしたら『サトシ』って呼ぶのと同じように呼び捨てで呼んであげるわ、『ごめんなさい』って」
「なにを言ってるんだ! ちゃんとした大人になれよ」
「今だけでいいのよ、今だけ」
「だめだ。ふざけるのはいい加減にしてくれ」
「じゃあ、ちょっとの間だけ目をつむっていて! この次あなたが眼を開けたとき、私は眼を閉じる前となんにも変わってなくって、あなたの前にいるわ。裸のままの私が、あなたの前に。昔も今も私は変わってない。昔の私をあなたは好きになったんでしょう? あのころは悪さしていたけど、今の私はもうしてないわ。ううん、もう絶対にしない。ね? 今の私がもっと好きよね?」
「なにを言ってるんだ! もう、全部が台無しじゃないか!」
「だから、もうヤメて! お願い、私を苦しめないで!」

 サトシの顔が能面のように動かなくなった。こんな顔は初めてだ。
 醜い、いや、それを超えて恐ろしい。

 静かに立ち上がり、持ってきたバッグを開けてなにかを取り出し、バッグを落とすと、サトシはそのまま私に倒れこむようにからだをあずけてきた。チクリとした痛みが下腹部に走った。

「七瀬、ごめんな。死んでくれ、キミは世の中にいちゃいけないんだよ。そんなキミをボクは好きになって、大好きになって……だからボクがキミを葬らなきゃいけないんだ」

 眼球が飛び出しそうになるほど目を見開いて、サトシはあえぎ、私たちのからだはさらに密着する。暑い。どっと汗が噴き出してくる。

「サトシ、なに言ってるの? どうしたの?」
「キミを刺した。キミが話を聞かなければ、キミの前で死のうと持ってきたナイフ。ボクはキミを刺した」
「なに? ウソでしょ? ウソといって!」
「言いたいけど言えない。ホントのことだから」
「私なんかを刺して刑務所いって、サトシ、もったいないわよ」
「七瀬、愛してる! 愛してるよ! ボクはこういうことでしか、キミを引きずって生きていけない。これでキミを忘れないでいける。ずっとキミに謝りながら生きていける」

 下腹部の内側で、グルッと硬いものが回転した。一瞬、背骨の上から下までを真っ赤な焼き火箸が貫いた。からだが爆発した痛さが襲ってきた。からだのものが流出していく感覚がする。悪寒が襲う。寒い。猛烈に寒い。私はサトシにすがった。

「サトシ、私、死ぬみたい。私、あなたを愛してるわ。誰も愛してないまま死んでいきたくないもの。愛してる、サトシ!」
「七瀬、ごめんな」

 私を抱く腕に力が加わった。
 私にはそれを受けとめる弾みは残ってない。

「サトシ、目をつむってほしかったけど、見開いた眼のあなたもすてきよ」

 そう言ったつもりだけど、声にはならなかった。

「七瀬、ぼくは刑務所になんかいかない。キミと一緒にこのまま死ぬよ」

 完全に力が抜けた。なにも見えない。
 ただ、白い世界が広がっていく。
$寝ても醒めても ~ Nuit et Jour ~-bell.jpg


(シャリン)
木製ドアの向こうに鈴の音が聞こえた。

(ん?)
ソファで紅茶を喫していた相手の顔が、かすかな怪訝に揺れた。
私はゆとりの笑顔で告げた。
ドアの向こうに私の後宮があるの。食事を待っているペットが催促しているわ。私たちの今夜のお娯しみにはお名残惜しいけど、『The midnight bell』が鳴っているから……。
相手がそれに肯いて立ち上がると、襟のあいた白いシャツから、いま浴びたばかりのシャワーのシャボンにゲランの香水が匂った。
ふたりでエントランスのロビーまで歩き、私はドアに手を伸ばす相手の背にかぶさるようにして、耳朶のうしろに軽く別れのキスをし、甘い言葉をささやいた。

サロンから木製のドアを開けると、思った通り(シャンシャン)と鈴の音を鳴らし、スーが堪えきれないかの様子で私の膝のあたりにまとわりついた。見上げる瞳がキラキラと、すがりつきたい一心のようで、愛しさが突き上げる。のどをくすぐると、スーは嬉しそうに(くーんくーん)となく。
(やはりカラーの鈴はいいアイデアだった)
私はつぶやく。

ある夜ベッドの中で、プレゼントされた小さなパッケージのリボンをなにげに捨てようとして、私は(いいこと)を思いついた。小物入れのトレイから根付けの鈴をとって、そのリボンに通し、私はスーを呼んだ。
「スーちゃん、おまえに手作りの首輪をしてあげよう」
「このかわいい鈴は、音もほら、おまえのように甘く私をいざなう」
「呼べば飛んでくるおまえが、これでますますかわいくなる」
ひとことひとこと語りかけながら、ベッドの高さから私を見上げているスーの首に、ピンクのリボンでできたカラーをつけてやる。スーは尾を振るようにして全身で喜びをあらわした。

首まわりにゆとりがある首飾りをネックレスというのに対し、窮屈な首輪はカラーと呼ぶ。だから、スーのカラーの間に指を入れて引っ張ると(ガホガホ)と苦しげにあえぐ。苦悶する顔を見下ろすのも悪くない。

私の白い歯をスーは見たのだろうか。頭の毛をつかんで躯の底に潜りこませた。(チャリン)と鈴が鳴り、ミルクを舐め啜るような音が始まった。息張ると(アワアワ)(グゥオ)の喘鳴と(リンリン)の鈴、躯の底が鳴る。苦しいのか、首が細かく震えているようだ。私はこころ踊って、さらに力を入れて圧した。

(ゼイゼイ)(エーンエーン)(シャンシャンシャン)

音が次第に高調して、突然止まる。私は躯が浮いたように感じて、力が抜けた。スーは気を失った。



そちらの後宮……いえ、正確にはその前にある表御殿で接待していただくのも楽しいのですが、私のこじゃれた山荘もそれなりではないでしょうか、と相手は言っていた。窓のすぐ下から瞬いている都会の見慣れた夜景に目をやって、呼吸をひとつ置く。
やはり高雅な方の趣味は違います、と招待を謝して、私はいつも通りに相手を招き入れた。

ふたりの間でいくつかのビジネスの打ち合わせを済ませ、ケータリングされた夜食を食べる。デジェスティフのグラスをとって、相手のすわるソファのそばに行き、そのままカーペットにゆっくりと腰を降ろす。

目の前に膝がある。

私は鈴の音があまり好きではないのです、と言われた。故有りげに木製のドアをチラと見て、微かに眉根を寄せる。私は気づかないふうを装って、膝に手をかける。私を見下ろすその顔は魅惑的だ。少しずつ表情が変化していく風情も。

いえ、本当にお嫌いですか? ほら、鈴が鳴っています……いま、私のカラーの鈴が。あなたの腕に力が込められるたびに。

(シャリン)