新入社員かどうかはひと目でわかる。
suitsが新しく着こなしがぎこちないというよりも、十人が十人、必ずぴかぴかの新しい黒のlow-heeled shoesを履いているからだ。
井の頭線東松原のplatformから、朝のrush hourの車内に新入社員の女の子が飛び込んできた。長い髪からshampooの、新調の服から染料の、靴と鞄から新しい皮革の匂いが揮発し、blouseの下ににじむ汗とCologne waterとがないまぜになって、若さの華やいだ香りがあたりに広がった。人なみに押されてぶつかるように私のそばに来た女の子の黒いsuitsの肩先には、白い桜の花片がくっついている。
ーー日本の桜も当分見納めだわ。
駒場の見慣れた時計台を窓の外に見やって、そう思った。
週が明けた月曜日になると私は成田からNYに飛び、本社とNYSE(New York Stock Exchange)で3ヶ月間dealing業務の研修を受けることになっていた。すでに社内のExaminationにはpassしていたから、研修後の私に異存がなければ、そのまま秋の新学期からMIT(Massachusetts Institute of Technology)のMBA(Master of Business Administration)courseに進むことも可能になる。高校時代に遊びすぎて文2に逃げたものだから、同級生が霞ヶ関に行くのを横目に日本橋界隈に就職したのだが、そろそろ私もcareerをつけようと思ったのだ。
金曜日、こちらでは最後の出社日である。
終業後、同期のみんなと上野を歩いて散る花と人混みを愛で、山下の料理屋で私の送別会を兼ねた飲み会をしてもらった。和牛のしゃぶしゃぶを食べ、室町裏の行きつけのclubでの2次会をupして、気づいたら御幸通りを歩いていた。振り返ったら、もう英二しかついてきていない。
「英二くん、もう一軒いく?」
「はーい。ボクは先輩についてならどこへでもついていきます」
私がぼそっと誘うと、英二はかん高い声で冗談めかしく応えた。
男を華奢というのは適切ではないかもしれないが、英二のからだも性格も憂いを含んでいるように愛らしい。その優しげなからだと白い肌は見ていて飽きない。長い睫毛が伏し目がちなったりしたら、ちょっと男にしておくのがもったいないくらい。
英二の目の縁が赤い。
ーー英二、もう酔ったのかしら?
もっとも、私もちょっとふらついている。もうそんなに飲んでもしょうがないので、ふたりで資生堂のbarに入った。
就職した投資consultant会社は、外資系らしく実力成果主義で、入社2年目の私に数十億円の裁量権を与えてくれる半面、同期の英二には私の補助業務を担当させていた。それは英二が私立大学卒だからというのではけっしてないが、ともかく英二としては気持ちを切り替えて、私が何ヶ月か早く生まれたことを口実にメ先輩モをassistすることに抵抗感を持たなかったようだ。
英二はいざ私に付属されると、よく仕えてくれた。かゆいところに手が届くというか、外見通りのメ女性的なモ気配りで、私の仕事環境をcomfortableに保つことにつとめてくれて、本当にいいメ女房モだった。
「英二くんは来週からどうなったの?」
「それが、まだ決まってないんですよ。困っているというより不安ですよね」
なんども聞いたことではあるが、切羽詰ってきて困惑の色がありありとしている。会社も、英二を一本立ちさせるのは尚早と思い、誰かに付けるとしても年度途中では難しいと苦慮しているようだ。それにこのpair systemというか、Boss-Secretaryの関係はFigure SkatingのPairのように、いったんグツがはまるとsmoothになって分かちがたい関係になるものである。退職や転職をともにするのは不思議ではなく、結婚しないまでもadulterousな関係を継続しているのはザラである。
「先輩、MITに移る前に一度帰ってきてくれるんでしょう」
「わかんないわよ。それにprivateでは帰ってきても、会社とは関係ないしね」
「それはそうですけど、ご相談もしたいですし」
「mailがあるじゃない。たまにはskypeもしてあげるから、気を落としちゃダメよ」
慰めてあげるが、英二はメソメソしはじめて、酔ったせいか話がグルグルまわって埒があかない。
ーーま、そこがかわいいともいえるんだけど。
「ほんとうに先輩ほど優秀で優しい人はいなかったと思います。ボクどうなるんでしょうね」
もうウルウルしている。
「英二くんもExamination受けてAmericaに来ればいいのに」
「そんなぁ、ボクは先輩ほど頭よくないですからムリですよ」
「じゃあ、どうしたいのよ?」
そういうと、「ああ」と頭を抱えこんでしまった。
ーーそろそろ終電の時間だわ。
「きょう決めなきゃいけないことでもないから、お開きにしようか」
すると、涙をためた眼で「ええっ?」と怪訝な顔をする。
「どうしたの? もう一軒はダメだよ。帰るよ」
「本当に帰っちゃうんですか」
ーーそっか、”最後の一夜”を期待しているのか。
「英二くん、それはないよ。キミがかわいくないからじゃなくて、今までだってkissひとつしてないじゃない? そのことはもうすこし私に考えさせて。ともかく、今日はオシマイ!」
きっぱり宣言して立ち上がると、英二は恨めしそうに私を見上げた。
それから慌てて気づいたようにneckltieを緩め、首にしていた細いnecklaceをはずす。
「これ、ボクと思って、先輩のankletにしてください。これからもずっと仰ぎ見ていたいですから」
ーーかわいらしい。
それは女性用の細いchainで、小さな十字架がついた銀のnecklaceだ。英二は相好をくずして、「もらってくれてありがとう」といいつつ、私にそれを手渡した。
私はまた椅子にかけて、黒のpantyhoseの足首に二重にして留めようとしたが、酔ったせいかうまくいかない。何度も試みたが、次第に面倒くさくなってきた。
「ねえ、なんだかはまらないわ」
「えっ、短いですか?」
英二ががっかりしたみたいに訊く。
「短くはないんだけどね」
そういいつつ視線を床に下ろして合図すると、さすがに英二は意味を理解した。
すぐにtableの下にもぐって四つんばいになり、留め具にはめようとしている。姿は見えないけれど、失敗した雰囲気や、必死になって作業に集中している一生懸命さが、pantyhoseを通して手にとるように伝わってくる。
英二の指が、私の足首に、足の甲に、chainを留めようと動くたびに何度も触れる。まるで私がfragileででもあるかのように、優しく、柔らかく、私の皮膚を撫でる指ーー。
ふと想像をした。彼はどんな表情でその瞬間を迎えるのだろう。
からだの奥がきゅんとする。肌の記憶がよみがえる。
やがてtableの下からくぐもった声が聞こえてきた。
「できました」
私はtableの下に向けて、ささやいた。
「そのままで」
英二の動きが止まる。私はいったん足をひき、pumpsの先で英二の手を追った。手のひらがわかった。動きが止まった。英二は手のひらを上に向けて広げたようだ。私はその上にゆっくりpumpsを載せて踏み込んだ。英二の手のひらが私の足を包もうと喘いだ。
「これでいいのね」
「はい」
ふるえたようなかぼそい声の後を追うようにして静かな嗚咽がfloorを這い、私の足の甲にぽとりと何かが落ちるのが感じられた。
春の夜の甘い香りが、一瞬、私の鼻先をよぎっていった。