nyasperブログ再開します。

桂離宮に行って来ました。京都に行く度に訪ねてみたいと思いながらもなかなか予約が取れなかったのが今回はスムーズに取れました。

建築家ブルーノ・タウトが桂離宮を見てあまりの美しさに涙を流したという日本最高峰のお庭。

京都は連日36度という異常な暑さ。バスで桂離宮前で下車。あまりの暑さにバス停前の中村軒でかき氷。これがなかなか美味。やっと身体を冷やして徒歩10分、桂離宮に到着。1時間毎に予約した20名が集合してガイドの説明を聞きながら60分のツアー。ここは、宮内庁の管理下に有るので皇宮警察の方も帯同。

 

 

○中村軒でかき氷
 
桂離宮は、17世紀、後陽成天皇の弟八条宮初代智仁親王により宮家の別荘として創建。二代智忠親王の時代には前田家の援助もあり現在の様な建物や庭園などが完成した。八条宮家は、その後、桂宮と名称を変え明治16年に桂離宮となり宮内庁の管轄となった。
総面積は69000㎡、中央には複雑な入り組んだ池があり、大小の5つの島を土、板、石の橋を渡し船着き場を設けた回遊式庭園と数寄屋風の和風建築で構成している。作庭は小堀遠州の弟子によるものとされている。
庭園には、築山、州浜、山里があり、切り石と自然石が巧みに利用されて、自然と四季を楽しむ工夫がある。
きらびやかなものは一つもない自然と調和した完成度の高い庭は、四季折々に来てみたいと思わせるものがあった。日本人の心にしっとりと来る庭だった。
 
 

 
 

 
 

 
 

 
 なぜか桂離宮には、キリシタン灯籠が7つある。この灯籠にはマリア様が彫られている。智忠親王の母親がキリシタン大名の息女であったためとも言われている。天皇家とキリシタンは、少し興味深い。
 
 

 
 

 
 

 
〇州浜

 
〇松琴亭

 
 

 
 

 
 

 
〇笑意軒

 

 
 
 ○園林堂

 

 

 

 

 

 

 

 

https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/katsura.html



 

 

 

北岳山(プガクサン)を背景に15万枚の青い瓦屋根が美しい青瓦台は韓国伝統様式の入母屋造り。

 
 本館

 

今の韓国のユン・ソンミョル大統領の選挙公約であった「青瓦台を国民の手に」により、大統領の官邸のチョンワデ(青瓦台)は、2022年6月から一般開放(無料)され、大統領執務室、接見室、会議室などが見学できる。1948年から多くの歴史的な出来事を見てきた青瓦台を見学してきた。観覧予約は、青瓦台のHPから出来る。1日2000人まで。

 

 

 
 

 
 
 
 
 

 
 

 
 

 
 大統領官邸

 
 

 
 

 
 

 

nyasper は、一時期、毎年のように通っていた韓国もコロナをはさんで調べたらこのブログに記録が無いから10年ぶり位の訪問かも。町中に活気が戻っている感じがする。

そして今年の流行はこれ!

HBAFのフライドアーモンドのお店が何軒も開店していて10種類以上の味のフライドアーモンドがある。そしてヤミツキになる味。もっと買って来るべきだったと反省。

 

 

実は、ソウルに着いた深夜、スマートフォンに緊急警報が届く。「北朝鮮より汚物爆弾がソウルに飛来しているので注意」の警報だった。昔、板門店の見学に行ったことがあってその時も南北間の緊張を感じたけれど、今もなおこんな原始的な形での緊張感が続いているのを見て、脅威というのは、どんな形でも作れるのだと思った。時々撃ってくるミサイルはもっと脅威だが、毎日こんな不衛生な物を風船で飛ばすお隣さんの存在は、確かに不愉快に尽きる。

千代田区お茶の水でみーつけ!

明治大学付近

 
神田小川町

 

 

 

 

 

 
 

 

今回は、昼の部。

中村萬寿、時蔵、梅枝の襲名披露公演。

千住博作の祝い幕は、赤い滝。

 第一部
上州土産百両首は、川村花菱の作。元ネタは、オー・ヘンリーの短編小説「二十年後」を下敷きにしている。獅童演じる板場の正太郎とドジな菊之助演じる牙次郎との友情が分かりやすく面白い。

第二部は、「義経千本桜」

第三部は、「妹背山婦女庭訓 三笠山御殿」
もともと飛鳥時代の大化の改新の蘇我の入鹿と藤原鎌足の因縁から物語は展開。七之助の橘姫と萬寿の求女。その二人に時蔵演じるお三輪は、純粋で可憐な女から、痛め付けられる女、嫉妬する女、犠牲となる女を演じる大役。その三人を繋ぐ紅白の糸の苧環(おだまき)。

nyasper いつも思うのだが、歌舞伎というのは時代考証はどうなっているのだろう。歌舞伎作者は、昔の話の良いとこ取りしながらも、飛鳥時代を江戸時代の感覚や装束で演じる。そして、江戸時代の情緒的な物語を現代のドライな感覚で鑑賞するnyasper 。こんな事が実は、異次元の世界に遊べる醍醐味なのかと、最近、思うけれど、ちょっと上手く説明が出来ない。少し前までは、思い焦がれる男の為に命を投げ出す女や、主君の為にに命を投げ出す家来よりも、それを裏切る悪人に惹かれていたが、最近は、よく歌舞伎にある無理な設定、Aさんは、実は仮の姿で、本当はBさんであるという。そういう時代錯誤とも言えるあり得ない感覚の世界や飛躍が、歌舞伎の面白さかもと思えている。

 
 

 

 

 

 

沈壽官は、現在15代目の薩摩焼の窯元。

1598年秀吉の2度目の朝鮮出兵により連れて来られた朝鮮人陶工80名の中に島津義弘率いる島津軍が連れ帰った中に、沈壽官家の初代となる沈当吉がいた。進んだ朝鮮半島の窯業技術が九州地域の窯業に影響を与えた。1867年のパリ万博には、日本を代表する焼き物として薩摩焼「SATUMA」として登場。その発展の中心には420年に渡る沈家があり現在に至る。その中には、意に反して連行されたが、島津藩からは武士の身分を与えられ、そして明治維新からは、独立した株式会社として守り続けた登り窯には、苦難や誇り、様々な想いが込められているに違いない。そしてここは、朝鮮と日本を繋ぐ伝承があり、司馬の言う造語「トランス・ネーション」がここには在る。司馬遼太郎は、14代沈壽官を「故郷忘じがたく候」で主人公として登場させている。

現在、この施設は韓国の名誉領事館となり日本と韓国の旗が正門に挙げられている。収蔵庫やギャラリーでは、白薩摩、黒薩摩の名品が展示され、額の揮毫は司馬遼太郎が行っている。収蔵庫にある窯元と司馬の手紙や日本民芸を繋ぐ写真なども展示されていて興味深い。

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 
 

 

https://chin-jukan.jp/https://chin-jukan.jp/

 

 

 

○nyasper's collection 
やっぱりこの景色に魅せられて今回、手に入れたタンブラーです。