沈壽官は、現在15代目の薩摩焼の窯元。

1598年秀吉の2度目の朝鮮出兵により連れて来られた朝鮮人陶工80名の中に島津義弘率いる島津軍が連れ帰った中に、沈壽官家の初代となる沈当吉がいた。進んだ朝鮮半島の窯業技術が九州地域の窯業に影響を与えた。1867年のパリ万博には、日本を代表する焼き物として薩摩焼「SATUMA」として登場。その発展の中心には420年に渡る沈家があり現在に至る。その中には、意に反して連行されたが、島津藩からは武士の身分を与えられ、そして明治維新からは、独立した株式会社として守り続けた登り窯には、苦難や誇り、様々な想いが込められているに違いない。そしてここは、朝鮮と日本を繋ぐ伝承があり、司馬の言う造語「トランス・ネーション」がここには在る。司馬遼太郎は、14代沈壽官を「故郷忘じがたく候」で主人公として登場させている。

現在、この施設は韓国の名誉領事館となり日本と韓国の旗が正門に挙げられている。収蔵庫やギャラリーでは、白薩摩、黒薩摩の名品が展示され、額の揮毫は司馬遼太郎が行っている。収蔵庫にある窯元と司馬の手紙や日本民芸を繋ぐ写真なども展示されていて興味深い。

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 
 

 

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○nyasper's collection 
やっぱりこの景色に魅せられて今回、手に入れたタンブラーです。