「碓氷峠鉄道文化むら」その第3回でございます。
てか、こんな早朝からブログUPしてるなんて、ホント情緒不安定よね、あたし。
それでも平日は屈折してるけれど、休日はまるっきり心身共に不安なっしん。
てかさ、会社イヤなだけじゃん(^ ^;
閑話休題、第3回目は鉄道展示館東館に静態保存されているEF62型電気機関車と、
西館に保存されている国産アプト式電気機関車、ED42型でございます。
あたしがずっとずっと小さかった頃、沿線を走る普通列車はまだ43系客車(たぶん)を
EF62型電気機関車が牽引するスタイルでした。
そんな列車を幼いながらも眺めて過ごしたあたしにとって機関車と言えばEF62型なのです。
確かに好きな機関車はいろいろとあるけれど、このEF62型こそが「The 機関車」なのです、あたし的に。
それでは早速・・・
EF62-54 東洋電機汽車會社製
54両製造されたEF62型電気機関車のそのラストナンバー54号機でございます。
このEF62型、「信濃路のクライマー」の異名を持つ機関車ですが、
これは最大勾配区間だった碓氷峠を含む信越本線を直通する列車運転が
出来るように開発製造されたことによりますね。
当然、急勾配運転に対応した特殊な設計が行われていました。
碓氷峠本務機として開発されたEF62型ゆえ「信濃路のクライマー」という愛称がついたのでしょうね。
EF62-54 東洋電機汽車會社製
実はあたし、EF62と言えばこの54号機が1番好きなのです。
もちろん稼働状態で残った最後の機体だったってこともあるけれど、
列車無線アンテナを前面に装備したスタイルが恰好良かったのです。
それにしてもこの東館、当時の検修車庫をそのまま使ってるだけあって、
機関車の周りには取り外されたパンタグラフやパンタシューや
さまざまな工具類が置かれていて、現役機関庫かと思わせる雰囲気です。
そんな小道具類(?)も夢中でシャッター切ったあたしでした。
さて鉄道展示館西館に移動してみるとそこは東館と違って真新しい作り。
そしてその中に鎮座ましますのは初の国産となるアプト式電気機関車ED42でございます。
アプト式というのはですね、山岳鉄道やなんかに見られる、
レールの間にもう1本のラックレールを敷設してそのラックと機関車側のピニオンギアを噛み合わせて
勾配を克服してゆくってスタイルの鉄道なんですけれど、
66.7‰という碓氷峠の急勾配を克服するために永年、横軽でも活用されてきました。
レールの真ん中に敷設されているギザギザなのがラックレールです。
このギザギザに機関車のピニオンギア、簡単に言うと歯車を噛み合わせて
山道を登って行くワケですね。
その向こう側に見える鉄角パイプみたいなのが第三軌条ですね。
第三軌条というのは文字通り3本目のレールなんですけれど、
ここを電気が流れています。電線のレール版みたいな感じですかね。
ED42-1 準鉄道記念物
日本では当初、ドイツから数々のアプト式機関車を導入してきましたけれど、
このED42型は純国産第1号機となるアプト式機関車ですね。
粘着運転による横軽新線開通によってEF63が実戦投入されるまで、
横川機関区にのみ集中配備され、文字通り横軽の雄として君臨してました。
ちなみに横川側に3両、軽井沢側に1両を連結し、4両1組で碓氷峠を通過する列車を押し上げました。
ED42-1 コレクターシュー(集電靴)
ED42型は天井に巨大なパンタグラフを1基装備しているけれど、
これは駅構内等での架線からによる集電用のもので、
アプト区間では車体の両側に取り付けられたコレクターシュー(集電靴)で
前述の第三軌条から集電して走るようになっていました。
これは当時の碓氷峠のトンネルは蒸気機関車用に掘られたためアーチが低くて
通常のように架線を張ってパンタグラフから集電できるだけの高さがなかったからです。
車体中央部の台車から覗くピニオンラックギアです。
このギアとラックを噛み合わせて山道を上り下りするわけですね。
以前はこのピニオンラックを見ることが出来ませんでしたけれど、
西館に展示されるようになってから覗きこめるようになりました。
これがアプト式機関車最大の特徴ですもの、見せてくれないとねぇ。
このED42-1、一時は大宮工場で復元され動態保存機として本線走行も行ったようですけれど、
今ではふたたび静態保存状態になってしまっています。
もう動くことはないかもしれないけれど、こういった貴重な機関車が綺麗な姿で保存されてるってスゴイですよね。
さて次回からは野外展示されている24両もの貴重な車両を順次ご紹介いたしますわ。
いいカマ揃ってるんですよねぇ~! ホント、お楽しみに。