大リーグでは、念願通りにドジャースがヤンキースを下し、ワールドチャンピオンになりましたが、うまく行かないのが我がホークス
敵地横浜で2連勝し、ホームの福岡で日本一を決めるかと思うと、まさかまさかの三連敗・・・
おまけに、現在26イニング無得点と打線が沈黙し、開幕2試合の勢いはすっかり吹き飛んでしまった感じです
ただ、福岡から横浜に舞台を変え、雨で1日休みも多かったので、気分を変えて直して日本一を勝ち取ってほしいと願ってます
いこう全員で。日本一へ
本編はここから
【2023年10月の関西編 その9】
2023年10月8日(日)、曇のち雨
この日は息子君が予定を空けてくれ、2人して息子君の運転の練習がてらレンタカーを借りました
ただ、この日は、昨日までの疲れが溜まっていたことと、昼辺りから雨が降る予報となっていたので、コンパクトに回れるコース設定にして~

この頃になると、すっかり運転技術も上達してきたので、運転は彼にお任せして、滋賀県甲賀市の土山宿にある東海道伝馬館を訪れました

因みに、土山宿とは、東海道五十三次の49番目にあたり、東の箱根と並ぶ西の難所として知られる鈴鹿峠の麓に栄えた宿場町で~

東海道伝馬館とは、街道や宿場、宿駅伝馬制を再考し、今後の発展に寄与していくために平成13年にオープンしたもので、江戸後期に造られた土山の民家を改装し、土山まつりのメイン会場や地域のイベン・やボランティア活動の会場として活用されているそうです

さっそく敷地内に足を踏み入れると~

母屋の反対側の建物に、誰かいるぞと近付くと~

『おお~っ
』

彼が誰かは知らないけど、一生懸命に仕事してたよ~
次に、問屋場に向かうと~
ここには江戸時代にそうしていたかのように~

往時の様子を伺うことができたよ~

また、この先には大名行列展示があると、書いてあったので~
先に進むと~

『おお~っ・・・
』

ここには、土山宿の本陣で待つ宿役人と~
宿に向かってやって来る大名行列の面々で~

大勢の人たちの後ろに~

あまりに多くの人たちがいたので、色々探し回った末に、藩主が乗る駕籠もしっかり見つけたよ~

その後、漸く建物内に足を踏み入れると~

『開館22年おめでとうございま~す
』

と思わず言いたくなる雰囲気のなか、当時の宿場町の模型を眺めました

前述したけど、土山宿は鈴鹿峠の麓に栄えた宿場町なので、江戸方面から京都方面に向かう旅人は、ここに辿り着くとほっと一息ついたんだろうなと、感慨深く思いました

その後、2階に向かうと~

ここには、東海道五十三次の展示物が数多くあったので~

興味深く1点1点覗いていくと~

江戸の出発地点の日本橋や~

大好きな藤沢(江の島)や~
難所の箱根や~

富士山が綺麗な吉原や~
ご当地、土山を経た末に~

京都(三条大橋)に辿り着くまでの様子を見ることができたよ~

また、食べ物編では、品川宿の海苔や~
小田原宿のかまぼこや~

府中宿の安倍川餅や~

吉田宿のちくわや~

桑名宿の焼き蛤や~

石薬師宿の鰻の蒲焼きや~

土山宿のお茶などが展示され、旅人たちも宿場町に到着すると、今の僕みたいにご当地グルメを楽しみにしていたんだなと思いました

また、更に進むと~

東海道五十三次の盆景が飾っていて、日本橋や~

小田原や~

箱根や~

京都(三条大橋)などが展示されてたけど、どれもこれも興味深く見入っちゃいました

ただ、そこまで歴史に興味ない息子君は、かなり退屈していたようで~

『ごめんごめん
』

と言いつつ、1階で合流しました
また、滋賀名物の飛び出し坊やもいたので、思わずパチリ・・・
滋賀に来ると、飛び出し坊やが気になるのよね~

その後、少し江戸時代の気分を味わおうと、東海道を少し歩くと~
往時の様子をそのまま伝えるかのように、昔ながらの建物がひっそり佇んでいて~
その先には、土山宿本陣跡を発見しました

因みに、土屋宿本陣とは、大名・公家・勅使らが宿泊した場所で、泊まる人の位が高いため、他の旅籠とは建物の規模が違い豪華な造りになっているとのこと・・・
この日は、あいにく工事中で中に入ることはできなかったけど~

参勤交代などにより、江戸⇔京都・大阪間を行き来するなかで、大名などの位が高い人たちがここに泊まっていたかと思うと、感慨深いものがあったよ~









その後、次の目的地に向かうため、土山宿を離れると~

「小佐治を元気にもちあげよう」
と書かれた建物を発見したけど~

『ユルイの大好き~
』

そうそう、こういう予期せぬ発見があるから、旅は楽しいのよね~
また、ここには佐治神社があったので~

せっかくならばと参拝することにして~

本殿の前に立って~

『家族みんなが、健康で幸せに暮らせますように
』

『僕に係わる全ての人が、健康で幸せに暮らせますように
』

と静かに手を合わせました

因みに、「この地は300万年もの昔は琵琶湖の底だった」との看板を見ていると、そういや「琵琶湖は少しずつ動き、いずれは日本海に繋がるんじゃないか」との説もあったなと思い出しちゃいました

ただ、その動きは当然遅く、僕らの誰もが当たってるかを知ることはできないけどね~

今回はあまり話が膨らまなかったけど、旅はまだまだ続きま~す
