5話に亘って書いてきた水戸の話も、今回いよいよ最終回となりました
今回の冒頭コラムは水戸市が属する茨城県の話
日本には映画やテレビドラマなどのロケ誘致フィルムコミッション(FC)が全国133団体あり、全国ロケーションデータベースに登録されたロケ広報地は本年(2023年)11月21日現在で11,522ヶ所あり、都道府県では1位は長崎県の869ヶ所で、以下茨城県(707ヶ所)、香川県(700ヶ所)、佐賀県(681ヶ所)と続いているとのこと・・・
茨城県は2021年以降、「ゴジラー1.0」や「東京リベンジャーズ」のロケ地となったそうですが、この度「ゴジラ-1.0」の県内ロケ地巡りと爆破シーン体験を組み合わせたバスツアーを開き、県内外から集まった人たちは楽しい時間を過ごしたそうです
僕も東京在住時は「麒麟の翼 劇場版・新参者」のオフィシャルツアーでロケ地巡りをしたことがあり、楽しい思い出が今でも脳裏に残っています
皆さんも、機会があればこういう企画に参加してみてはいかがでしょうか
本文はここから
【令和4年晩秋の関東編 その7】
だるま納豆ハヤシオムライス&常陸牛入りハンバーグを堪能した後、テクテク歩き訪れたのは宮下銀座商店街
何故、ここを訪れたかと言うと~

とは言え、ここにはご多分に漏れずに急階段があり、既にヘトヘトだったものの根性出して階段を登って~

『ふ~、疲れた~

』
いやいや、ここは水戸初代藩主徳川頼房公が、父徳川家康公の御霊をこの地に祀ったのが始まりと言われる神社なので、弱気の発言はご法度だと思い~


いつものように勇ましい狛犬を~

パチパチしちゃいました


その後、正面にある社殿に向かって静かに歩を進め~

心穏やかに手を合わせて~

『このままコロナが収まりますように

』
『ロシアによるウクライナ侵攻が終わりますように

』
徳川家康公は世の中が安らかなることを求め、その実現に努めたことから、僕もしっかり願いを込めました

コロナの願いは叶ったけど、ウクライナの願いは未だ叶わず・・・
まだまだ願いを込めなきゃいけないですね

その後、急階段を転ばぬように慎重に降りると~


ディープでレトロな商店街、うまいもんストリートと呼ばれる
宮下銀座商店会の散策開始


宮下銀座のHPによると~

天保年間の古地図には、現在の宮下銀座商店街よりもっと東側の通りを御宮下と名付けられていることが記されているそうで、
宮下は
御宮の下との意味で名付けられたと妙に納得しちゃいました

「水戸の夜は宮下銀座でディープな時間を味わってください

」
と同HPに書かれている通り、味わい深い店が多く~

水戸みやぎん寄席も、時間があれば立ち寄りたいなと思ったものの、帰りの時間が迫っているので~

泣く泣くスルーして~

宮下銀座を後にしました


とは言え、鳥居の横にある糸久 宝くじ たばこ店が気になって~
『あはは・・・

』
煙草を持ってる招き猫だなんて、面白すぎて~

『ユルイの大好き~

』
と、お決まりのフレーズを口にしちゃったよ~

その後、水戸駅に向かって歩いて行くと~

クリスマスイルミらしき飾り付けがしてあって~

遂に
水戸駅に到着しました

とは言え、帰りの電車の時間まではもう少しあったので、既にヘトヘトだったものの左手の階段を登ると~

目の前に現れたのは、前話で書いた
弘道館
『間違ってトンネルを通らなければ、こんなにスムーズに行けたんだ~

』
との思いと~

『いやいや、間違えなければ東照宮・宮下商店会に行けなかったじゃないか~

』
との思いが交錯していると~

『何をウダウダ言ってんだ~

』
と徳川斉昭公から叱責されたので~

(って言うのは、当然冗談だけど

)
これじゃいかんと気分を切り替えて~

先へ先へと急ぐと~

二の丸角櫓と書かれた立て看板を発見し、こりゃ是非とも見たいなと思いつつ~


テクテク歩いていると~
歴史ある門が現れたなと思ったものの、ここには何と
水戸市立第二中学校と書かれていて~

二の丸内に中学校があるのは珍しいなと思っていると~

『おお~っ

』
ここで発見したのは
大日本史編纂の地碑
大日本史については、これまで散々書いてきたので説明は割愛するけど、ゆかりの地はあちこちあるなと思っちゃいました

また、ここにいたのは
安積 澹泊(あさか たんぱく)像

安積 澹泊は皆さん初耳の人が多いと思うけど、実は
水戸黄門に登場する格さんのモデルになった人物で~


澹泊は好学心に富んでおり、大日本史の史館総裁に就任するなど大活躍したそうだけど~

何故『この紋所が目に入らぬか

』

の人になったかは、作者のみぞ知るですかね~

その後も、なかなか
二の丸角櫓が見つからないなと思いつつ~


テクテク歩き続けると~

発見したのは、戦国時代から自生していると言われる
水戸城跡の大シィだったけど、この椎の木は水戸光圀公や徳川斉昭公や徳川慶喜公が蟄居する姿など、水戸藩の栄華盛衰を見届けてきたんだろうね


その後も周辺案内図を見ながら歩いて行くと~


二の丸北側の虎口と言われる
杉山門を見つけたけど~


二の丸御殿跡が校舎になってるなんて、スゴいなと思っちゃったよ~


その後も本丸に向かって歩いて行くと~

JR水郡線の上を跨いで~

本丸跡にある
水戸第一高校を発見したので~


校内に入ると~


旧水戸城の現存するただ一つの建造物である
旧水戸城薬医門を発見したけど、この門は恐らく本丸の表門ではないかと言われており、またまた感慨深くなっちゃったよ~


その後、再び二の丸に帰ってくると~


ここからは駅に向かって一直線・・・

水戸第三高校を横目に見ながら、更に歩くと~

ここで発見したのは水戸藩初代藩主の
徳川頼房公像だったけど~


この日は各所で銅像を見てきたけど、最後の最後に初代藩主に会うことができて、嬉しかったよ~


その後、道の脇に
棚町城下門を発見して、予期せぬタイミングで次から次へと歴史的建造物が現れるなと思いつつ~


一気に坂を駆け下りて、更に歩くと~

義公(徳川光圀公)生誕の地こと
水戸黄門神社(義公祠堂)を発見して~


正面に回り込むと~


『黄門様、混とんとした今の世を世直ししてください

』

と無茶振りとも思えるお願いをしました

その後、駅のそばに近付くと~


最後の最後に、漸く
二の丸角櫓を発見することができ、大満足だったよ~

その後、駅前広場に戻ってくると~

『お帰り~

』
行きと同じく
黄門様ご一行が出迎えてくれたけど、何とか時間内に戻って来れてまたまた嬉しかったよ~

その後、
水戸駅内に入って~

テクテク歩くと~

『ねば~る君だ~

』
やっぱり水戸に来たら、ねば~る君に会いたくなるよね~

(って言っても、テレビでも観る機会が殆んどないので、すっかり忘れてたけど~

)
その後、予定していた14時53分発の
ひたち16号に飛び乗って、羽田空港へと向かいました

(この列車に乗ると、17時には羽田空港に着くのよ〜

)
『メッチャ美味いよ〜

』
メロンの味がするメロンパンは初めて食べたけど、今まで食べた中でも5本の指に入るほど美味しかったよ〜
因みに、この日の歩数は軽く3万歩を越えたうえに、かなり急いで回ったので、同じコースを巡られる際は+2時間かかると想定しといてください
また、本編は思わぬ長文になり、書いてる僕も疲れました
最後まで読まれた方は当然お疲れだと思いますが、お付き合いいただき、ありがとうございました
「令和4年晩秋の関東」編は、次回最終回で~す