今回も前回に続き、「2023ユーキャン新語・流行語大賞」の話
大賞の「アレ(A.R.E.)」については、前回書きましたが、トップテンに選ばれたのは、「新しい学校のリーダーズ/首振りダンス」「OSO18/アーバンベア」「蛙化現象」「生成AI」「地球沸騰化」「ペッパーミル・パフォーマンス」「観る将」「闇バイト」「4年ぶり/声出し応援」の9語で~
殆んどの言葉は当然知ってたものの、恥ずかしながら分からなかったのは「蛙化現象」「観る将」の2語・・・
その中でも「観る将」については、結構将棋好きなのに、こんな言葉を知らなかったことは恥ずかしい限りで、もっと流行に敏感にならなきゃいけないなと思いました
ざんね~ん
本文はここから
【令和4年晩秋の関東編 その6】
『ヤバっ・・・
』
今回の水戸プチ旅行で、どうしてもランチを食べたかったのは洋食屋 花きゃべつ
ただ、当店は超人気店なので、11時半までに来店しないと食べられないと思っていたものの、道に迷ったせいで到着したのは11時50分・・・
到着時点では、既に店頭には何人も並んでいたうえに、設置された来店受付簿には結構名前が書かれていたので~
『どうしようか
』
と一瞬悩んだものの、それなら待ち時間を利用して、先に観光したらいいじゃないかとの考えが浮かび、名簿に名前を書き、次の目的地を先回りすることにしました
(その話は、本話の後半にて・・・)
その後、30~40分ほど経った後、店に戻ると殆んど人は随分減っていて~

既に順番も到来していたので、殆んど待たずに店内に入ると~
居心地のいい席に通されて、ホッと一息つきました

因みに、当店は先代から受け継いだ名物のオムライスを始め、常陸牛を使用した自家製ローストビーフやハンバーグなどを提供する洋食屋さんで、マスコミにも度々登場する人気店
さっそくメニューをしげしげと眺めたけど~
既にメニューは決まってたので、予定通りの料理をオーダーしました


この日はヘロヘロになるまで歩き回っていたので、さっそくビールをオーダーし、ひと口飲むと~
この日は結構寒かったものの、既に1万歩を大きく超えるほど歩き回り、身体も温まっていたので、冷たいビールが殊のほか美味しかったよ~

待つことしばし・・・
早速、サラダ&スープが登場して~
『いっただっきま~す

』
と言いつつ、パクパク食べると~
と言ってるうちに登場したのは、
だるま納豆ハヤシオムライス&常陸牛入りハンバーグ(1,380円)
(サラダ・スープ込みの値段です)
そもそも、水戸に来ようと思ったのは、前夜新橋で納豆ラーメンを食べてる時に、TVで観たこのオムライスのことを思い出したからで、彩鮮やかな姿をこの目で見た時は気分最高だったよ~

因みに
同店HPには~

メディアにも取り上げられるほど定番となった一皿には、水戸名物の納豆を使用し、
創業当時はまだ珍しかったハヤシソースとオムライスの相性もまた注目必至
アクセントに加えた柚子胡椒と、ハバネロマヨネーズが美味しさをさらに高める逸品です
と書かれているうえに~
後ろ側には140gの常陸牛ハンバーグが添えられてたけど~


もはや我慢の限界・・・
さっそく、オムライスをひと口食べると~
納豆とハヤシソースは想像つかない組み合わせだけど、これが合うんだよね~

因みに、みんな大好きな断面はこんな感じ・・・

こうやって見ると、納豆たっぷりなのがよく分かるよね~

また、断面が美しいハンバーグをひと口食べると~
常陸牛がたっぷり入ったハンバーグは、肉汁たっぷりで美味しかったよ~
その後、ハヤシソースをたっぷりかけて、またまた食べると~


『ヤバいくらい美味いよ~

』
肉汁たっぷりのハンバーグはハヤシソースとの相性もバッチリで、大満足のランチタイムになりました
当店はメチャメチャお薦めなので、皆さんも水戸に行かれる際は是非行ってほしいよ~
そして、話をランチ前にグイっと巻き戻し~

ランチ後に訪れようと思ってた方にテクテク歩くと~
いい感じの紅葉を見ながら、更に歩くと~
目の前にドド~ん
と茨城県立図書館が現れてきて~

左に回り込むと、昭和5年に建てられ茨城県のシンボルとなった
茨城県庁の本庁舎(現茨城県三の丸庁舎)が見えてきたけど~

年季の入った鳥居をササっと潜って~
弘道館鹿島神社とは、第九代水戸藩主・徳川斉昭が弘道館建学の精神(神儒一致)の象徴として孔子廟と共に創建した神社

すぐ傍には八卦堂もあり、この中には弘道館建学の精神を書かれた弘道館記碑が入っていると言われているけど~


時間に追われていたため、写真をパチパチすると~

先へと急いで~
漸く
弘道館に辿り着きました
水戸観光コンベンション協会のHPによると~

弘道館は、水戸藩の藩校として水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により天保12(1841)年8月に創設されたもので、当時の藩校としては日本最大規模を誇り、藩士に文武両道の修練を積ませようと、儒学・国学や武術をはじめ、医学・天文学・蘭学など幅広い学問を採り入れた、いわば総合大学というべきもの
第15代将軍となった徳川慶喜公も、父斉昭公の厳しい教育方針を受け、5歳の時から弘道館において英才教育を受け、慶応3年(1867年)の大政奉還の後、慶喜公が謹慎した至善堂(しぜんどう)が今も残っています

と言うことで、幕末史が好きな僕にとって、いつか来たいとの念願叶い感激すら覚えつつ~
さっそく中に入ると~
ここで見つけたのは、
徳川斉昭公・七郎麻呂(慶喜公)像
きっとこんな風に斉昭公は七郎麻呂に色んなことを教えたんだろうなと思うと、感慨もひとしおだったよ~

因みに、七郎麻呂は後の徳川家15代将軍の慶喜公となり、大政奉還後は新政府に謹慎後させられた後、公爵に叙されたことで貴族院公爵議員に列し、大正2年に77歳でその生涯を終えるなど、波乱に満ちた人生を送りました
と言うことで、さっそく歩き出すと、来館者控えの間である
諸役会所を眺めた後に~


更にテクテク歩くと~
正庁正席の間に到着

ここは、正庁正席の間に斉昭公が臨席をして、正席の間や二の間で行われた学問の試験や対試場で行われた武術の試験を見たところで、床の間には、弘道館の建学精神が示された弘道館記碑の拓本が掲げられているのよ~

と言うことで、更に歩くと
至善堂御座の間に到着

ここは、大政奉還後の明治元年(1868年)に慶喜公が静岡に移るまでの約4ヶ月間、厳しい謹慎生活を送ったと言われる部屋で、大政奉還したことがよかったのかなど、色々考えたんだろうなと思うと、何だか切なくなっちゃいました

また、ここには色んなものが飾られてたけど、足が止まったのは前話でも触れた
大日本史の複製本

結局、水戸藩は幕末には斉昭公が存在感を示したものの、藩内では保守派(諸生党)と改革派(天狗党)との抗争から統制を失い、藩士により桜田門外の変や天狗党の乱などを起こすとともに、藩論統一と財政難を克服することができず、幕末政局で主導権を握ることがでできませんでした

幕末期は、多くの志士が自分の正義を信じ、命懸けて戦ったことが今の世に繋がっており、ここも一つの舞台だったんだなとしみじみ感じつつ、弘道館を後にしました

時間は既に13時10分、飛行機のフライト時間(19時)までの時迫る
