初見参の奈良観光は興福寺から | 青ちゃんのハッピー気分なブログ2(青ブロ2)

先日報道されましたが、囲碁の史上最年少タイトルホルダーの中邑菫女流棋聖(14歳)が、日本棋院から韓国棋院に移籍することが決まりました

 

中邑菫女流棋聖は、国内史上最年少の10歳で棋士になり、今年2月には史上最年少の13歳で初タイトルの女流棋聖を獲得した次世代を担うスター棋士で、より高いレベルの環境で活動することが必要と思い、決断するに至ったとのこと・・・

 

サッカーの日本代表チームやスペインリーグで活躍中の久保建英選手も高いレベルで自分を磨きたいとの思いから、10歳でスペインに渡り、22歳になった今、スター選手に成長したことは広く知られています

 

中邑菫女流棋聖は慣れない国で大変でしょうが、ご自身で決めた道をしっかり歩き、久保選手のように大活躍を期待しています

 

 

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【令和4年秋の関西への旅編 その10】

 

 

2022年(令和4年)11月5日(土)、晴れ晴れ

 

この日は息子君の予定が入ってなかったので、2人して電車に乗り、JR奈良駅までやって来ました音譜

 

 

僕は幼少期には大阪に住んでおり、奈良にも連れて来たことがあると親からは言われたものの、全く記憶になく・・・

 
 
なので、実質初めて奈良を訪れたみたいなものなのよ~てへぺろ
 
 
駅構内にはせんとくん、駅の外には奈良らしいポストがお迎えしてくれるなか~DASH!
 
 
JR奈良駅旧駅舎(昭和9年建築)を利用した奈良市総合観光案内所を横目に見つつ~DASH!
 
 
駅前広場を通り抜け~DASH!
 
 
レッツゴーグッ
 
 
さっそく、三条通りを歩いて行くと~DASH!
 
 
昔ながらの風情漂うアーケード、東向(ひがしむき)商店街を発見グッ
 
 
東向商店街とは奈良市の旧市街を代表する商店街で、東側はすぐ興福寺の境内となっており、通りの西側にのみ建物が建てられ、全ての建物が東を向いていたため東向と呼ばれるようになったとのこと・・・
 
こういう昔ながらのアーケードは2人とも大好きなので~DASH!
 
 
まだ10時前だったので、開店前の店が多かったけど~DASH!
 
『こういう通りは心が落ち着くわ~照れ
 
 
との息子君の、一体君は何歳なんだと思わせるような言葉を聞いてると~DASH!
 
『おお~っびっくり
 
 
せんとくんは知ってたけど、まんとくんもいたのね~口笛
 
因みに、両者のことを奈良県HP・まんとくんネットから丸めて引用すると~DASH!
 
せんとくん伸び盛りで元気いっぱいな男の子で、温故知新を地で行く好奇心旺盛なやんちゃな子
 
まんとくんは、時を超えて旅する、さすらいのタイム・トラベラーで、遷都1300年祭を前に奈良に現れた、美しい未来を作るため、遠い過去の知恵を今に運んでくれるみんなの友だち
 
ゆるキャラを見ると、いつも思うけど、こういうキャラ設定って、よく考えるよね~てへぺろ
 
その後、脇道を通り抜けると~DASH!
 
 
『おお~っびっくり
 
 
そこに広がっていたのは奈良八景の一つと言われる猿沢池音譜
 

 

猿沢池とは周囲360メートルの池で、興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景は美しいと言われ、評判通り素敵だなと思いつつ~DASH!

 

 
先を急ごうと~DASH!
 
 
テクテク歩き出すと~DASH!
 
 
もはや、「青ブロ」名物と言うべき急階段を登ると~DASH!
 
 
興福寺の境内に足を踏み入れました音譜
 
 
興福寺とは、法相宗の大本山であり、その前身である山階寺(やましなでら)は、飛鳥時代の669年に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、710年の平城遷都で藤原不比等の計画で移されるとともに、興福寺と名付けられたとのこと・・・
 
ここは古代日本の中心地だっただけに、710年の平城遷都とか、藤原鎌足とか、藤原不比等とかの話が次々と現れるなんて、正にここが歴史の舞台だと思うと、感慨深いものがありましたふんわり風船星
 
最初に登場したのは南円堂(なんえんどう)音譜
 
 
南円堂とは、西国三十三所の第九番札所として人々の参拝が多い御堂で、この堂は813年に藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父の内麻呂(うちまろ)追善のために建立され、江戸時代の1789年に再建されたもの・・・
 
 
やっぱり見事だなと思いつつ、テクテク歩き出すと~DASH!
 
 
『おお~っびっくり
 
 
目の前に広がったのは中金堂(ちゅうこんどう)音譜
 
 

中金堂興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で、寺伝では創建者を当時の日本の律令制度をまとめ、藤原氏の栄光の基礎を築いた藤原不比等(ふひと)とされていて、創建当初の中金堂の規模は当時の奈良朝寺院の中でも第1級

 

以後、創建より6回の焼失・再建を繰り返し、平成22年(2010年)の立柱式、平成26年(2014年)の上棟式を経て、平成30年(2018年)に再建落慶を迎え復元されましたふんわり風船星

 

 

正にこれこそ奈良文化、のっけから憧れの建物を見ることができて、嬉しかったよ~グッ

 

その後、再び歩き出すと~DASH!

 
 
『おお~っびっくり
 
 
可愛い鹿がちらほらいて、奈良らしいなと思っちゃいましたふんわり風船星
 
 
その後、東金堂五重塔のコラボ写真を撮った後に~DASH!
 
 
五重塔の写真を撮ったけど~DASH!
 
 
この五重塔は、奈良時代の730年に興福寺の創建者である藤原不比等(ふひと)の娘光明皇后の発願で建立されたもの・・・
 
その後5回の焼失・再建を経て、現在の塔は室町時代の1426年頃に再建された日本で2番目に高い塔で、古都奈良を象徴する塔と言われてま~すふんわり風船星
 
その後、東金堂(とうこんどう)に向かい、700円を払って拝観したけど~DASH!
 
 
東金堂とは、中金堂の東側にある金堂で、東金堂と呼ばれる西向きのお堂です。神亀3年(726)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って建立されたもの・・・
 
 
堂内に入ると厳かな雰囲気が漂うなか、室町時代に造立された本尊薬師如来坐像を中心に、日光・月光菩薩(にっこう・がっこうぼさつ)立像、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)坐像、維摩居士(ゆいまこじ)坐像、十二神将立像、四天王立像などが安置されていて、しばし見入っちゃったよ~ふんわり風船星
 
 
その後、国宝館に向かったけど~DASH!
 
 
国宝堂とは、僧侶が集団で食事をする食堂(じきどう)があった場所に建てられたもの・・・
 
 
館内には本尊千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)立像を中心に、奈良時代の阿修羅(あしゅら)像などの乾漆八部衆(はちぶしゅう)像や乾漆十大弟子(じゅうだいでし)像、華原馨(かげんけい)など多数の銅像があり、どれもこれも素晴らしく圧巻のひと言だったけど、特に阿修羅像は離れたくないほど、素敵だったよ~ふんわり風船星
 
 
その後、奈良公園に向かって、テクテク歩き出すと~DASH!
 
 
大勢の観光客に多くの鹿がまとわりつく姿を見つけると~DASH!
 
 
『おっ、これこれ・・・』
 
 
『奈良公園に来たからには、鹿せんべいをあげなきゃいけないよね~てへぺろ
 
 
と息子君に話しかけて~DASH!
 
 
息子君が手に持ったまま歩いていくと~DASH!
 
 
手元に近づいてきたので~DASH!
 
 
パリパリと美味しそうに食べてたよ~OK
 
 
息子君も童心に返り、スマホ撮影しながら次々にあげて楽しそうだったよ~OK
 
なお、ここには可愛い鹿がたくさんいて、鹿せんべいをたくさんあげたくなるけど~DASH!
 
 
足元には糞がいっぱい転がってるので、踏まないように歩くのは結構大変だよ~ゲラゲラ
 
 
その後、テクテク歩いて~DASH!
(これは振り返って撮ったもので~す)
 
 
大宮通りを西に向かって歩き出すと~DASH!
 
 
近鉄奈良駅に到着音譜
 
 
ここで気になったのは行基菩薩像(ぎょうきぼさつぞう)音譜
 
 
この像は渋谷のハチ公のような定番の待ち合わせ場所と言われてるんだってよ~グッ
 
 
「リニア時代は、奈良時代」
 
 
と書かれた看板を見つけたけど、リニアが奈良で乗り降りできるようになると、もっと観光客が増えるんだろうねOK
 
と言ってるうちに、そろそろランチタイムが近くなり~DASH!
 
 
西へ西へと歩いて行き、奈良ならではの食べ物を食べに向かいましたバイバイ