【平成最後の夏旅行編 その12】
今回も前話に続き、昨年夏の息子君との二人旅の話

今回は最終日、平成30年(2018年)8月14日の話ですよ~

さて、岩国を離れ、車を1時間ほど飛ばして、辿り着いたのは広島市

実は今回の旅の目的は、萩で明治維新の息吹を感じ、広島で原爆の恐怖を学ぶことにより、明治から昭和に至るまでの近代国家・軍国主義への歩み、平和のありがたさを感じることでした

とは言え、初めて広島に来た息子くんには色々遊ばせてあげたいなとの思いもあり、早速市内観光することにしました


到着したのは12時だったので、早速、お昼ご飯を食べようと、広島お好み焼き発祥の店「みっちゃん」に向かったけど~

結構な行列が出来てるじゃないの~

お好み焼きの店はラーメン屋とかより、回転が遅いので、泣く泣く断念しました~

では、どこにしようかなと思いつつ、店頭を見てると~


1945年8月6日8時15分・・・
広島市上空に達したB-29(エノラ・ゲイ号)が9,632mの上空から一発の原子爆弾が投下され、地上約600mの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。
火球の中心温度は摂氏100万℃を超え、1秒後には最大直径280mの大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000℃にも達したそうです。
爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧の爆風となり、これら3つが複雑に作用して大きな被害をもたらしました。
直径約5kmに達すしたきのこ雲は、17kmもの高さにまで達し、
広島市は壊滅状態。
広島市によると、爆心地から1.2kmではその日のうちにほぼ50%の方が亡くなられ、昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が死亡したと推計されています。
戦争は恐ろしい、原子爆弾なんてもってのほか・・・
平和への祈りを込め、静かに手を合わせました。
『75年間、草木も生えない』
と言われた広島市は、大勢の皆さまのご努力により、復興を遂げられました。
思いが募りすぎ、どう表現したらいいのか適切な言葉が見つかりませんが、皆さまのご努力にはただただ頭の下がる思いいっぱいです。
その後、テクテク歩き「おりづるタワー」へとやって来ました

「おりづるタワー」とは~

この地でしか伝えられない「哀しみ」があり、この地でしか感じられない「希望」がある。
試練を乗り越えてきた「人の強さ」を、何より「優しさあふれる未来」を、ひとり一人の瞳に描いてほしい。
との思いで、広島マツダ社が設立されたもの
ここに足を踏み入れるのは初めてだったので、ワクワクしながら中に入ると~
エレベーターに乗り、12階の「おりづる広場」に向かいました

ここは風が吹き抜け気分も爽快・・・

みんなリラックスムードで思い思いの時間を過ごしていました

でも、15分ほど眠ったら元気復活

せっかくの機会なのでいっぱい遊ぼうとのことで~


「おりづるの壁」は、世界中から集まる平和への想い、祈りを積み重ねて完成することを目的としていて~

『平和な世がいつまでも続きますように

』
童心に返って、すべり台にもチャレンジするなどいっぱい楽しんじゃいました

(因みに童心に返って僕も滑ったのは、ここだけの話・・・

)
僕らの祈りの思いを込めたおりづるは、このように沿道から眺められ、大勢の人の目を引くようになっています

息子にとって初めての広島だったけど、大満足のようでした

さ~、次回はいよいよ夏旅行の最終回

って、もうすぐ今年の夏が来ちゃうよ~
