【平成最後の夏旅行編 その5】
超大型の10連休も、残すこと後3日

1日経過する度に「後○日しかないわ~」と嘆いてますが、いよいよ残り少なくなり何だか寂しい気持ちでいっぱいです

と言っても、既にあちこち遊び回り、書きたいこともいっぱいあるけど、まずは昨年の記事をきちっと書いてから・・・

それにしても、随分後に記事になるんだろうけど、このドラゴンのこと知ってる人いますか~

答えは今年の年末あたりで・・・

『えへへ・・・

』
それでは、再び昨年夏、平成30年(2018年)8月12日の萩編へと戻ります

日本人の大リーグへのパイオニア的存在は野茂投手ですが、維新の志士のパイオニアは何と言っても吉田松陰

今回はそんな吉田松陰をメインに話を進めたいと思います

息子くんと炎天下のなか必死にチャリンコを漕ぎ、たどり着いたのは「萩藩校明倫館」


「明倫館」とは毛利家家臣の子弟教育のため、江戸時代中期の1718年に創立された藩校で、幕末における萩藩の躍進に大きな影響を与えました

そんな日本史に大きな影響を与えた入口前でのおちゃらけポーズ

『おいおい、維新の志士に怒られるよ~

』
とお互い笑いながら、平成26年(2014年)まで小学校として利用されてた本館に移動して~

吉田松陰は1857年に叔父から「松下村塾」を引き継いだものの、1858年に日米修好通商条約を批判して投獄された後、1859年に安政の大獄をにて処刑された悲劇の人

吉田松陰の死後、高杉晋作や久坂玄瑞らが命をかけて維新の道を突き進み、桂小五郎(木戸孝允)・伊藤博文らが維新をなしえたけど、ここでその思いが伝えられたかと思うと感慨もひとしおでした

『僕もいつまでも前を向いて頑張りますので、ずっと見守っていてください

』
その後、一体何個めかと思いつつも~

炎天下のなかの夏みかんソフトは程よい酸味と甘さがコラボして、本当に美味しかったよ~

その後、チャリンコは自転車屋さんに戻し、車に乗って~

また、ここには吉田松陰の銅像があったので~


恒例のアップ写真

この姿は凛々しいなと思っていると、息子くんが驚愕の事態を

『何と二人を持ち上げてるんじゃないの~

』
そんなことしちゃダメじゃないの~

その後、坂を下ると~

吉田松陰誕生の地にたどり着きました

息子くんは走り回るのに夢中になってました

さぞ、吉田松陰や維新の志士も驚きだったろうね~

【「青ブロ」のバックナンバー】
「吉田松陰終焉の地」(東京都)
「松陰神社」(東京都)