【GW中の防府への一人旅編 その4】
平成30年5月4日の防府の旅もいよいよ4話目
電動アシスト自転車にも漸く慣れ、スイスイこいでいくと~
市内には至るところに、このような看板があり、道に迷わず便利であるとともに~
『こんなに見所あるなら、根性出して根こそぎ見なきゃ』
と、ユル~いブログを書いてる筈が、いつものようにど根性物語へと変身
ここには3mもの高さがある大仏さんが鎮座され、優しく包み込んでくれました
そして、次に訪れたのは、「周防国衙跡(すおうこくがあと) 政庁域」で~
この広々とした公園は奈良時代から平安時代にかけて、周防国の役所があったと推定されており、当時は賑わっていたのかと思うと、昔の時代にタイムスリップしたくなっちゃったよ~
その後、自転車でしか通れないような道を根性で進むと~
「馬神様」を発見
「馬神様」は江戸時代中期に風邪・筋・神経痛に苦しむ民を救おうと、神を祀り、藁で馬を作り供えたところ、たちまち治癒したそうです
その後、新緑美しい大木がある防府駅前にやって来て~
これまた新緑美しい大木前にある銅像を発見したので近づくと~
『おお~~っ』
と言うことで、ここで簡単に種田山頭火のことを紹介すると~
1882年(明治15年)に当市で生まれ、1940年(昭和15年)に58才で生涯を閉じた俳人で、五七五や季語にとらわれない自由律俳句の第一人者
「あてもなく歩けば月がついてくる」
「こんなにうまい水があふれている」
「どうしようもないじぶんがあるいている」
「まつすぐな道でさみしい」
「また見ることもない山が遠ざかる」
等々、奥深い句がたくさんあるんだよね~
また、ここには広い公園があって、楽しそうに子供達が遊んでいて、嬌声も聞こえてきたよ~
その後、イオン前を通過して~
「三田尻御茶屋」とは、1654年に建設された毛利藩の公館で、参勤交代や賓客の宿舎として利用されたそうだよ~
公館に相応しく、立派な佇まいをしていたよ~
また、ここには毛利藩の城下町や御茶屋の地図もあり、勉強になりました
因みに、三田尻御茶屋では、係の女性が丁寧に案内してくれて~
手を洗うと音響発生装置である水琴窟では、何度も音を聞かせてくれたり~
幕末の政変で京を追われた三条実美を始めとする七人の公卿が2か月間身を潜め、高杉晋作ら、幕末の志士も大勢訪れたそうなのよ~
と言うことで、幕末史が大好きな僕には、とても有意義な時間になりました
その後、公園を抜けると~
三田尻御舟倉跡に到着
ここは萩と防府を結ぶ萩往還の終点で、藩主の御座船や軍艦が常置され、江戸時代中期までの参勤交代時にはここから船で移動していったそうです
とここまでも相当頑張って来たと思うけど、防府市の見所はまだまだあり、「かっとび号」をさらに漕ぐと~
望東尼については、本シリーズ1話目に説明書きしているので、興味ある方は見てみてね~
小鳥神社の看板を見つけたので、自転車を下車し、ちょっと散策
ここには鞠生松原があったけど、ここは江戸幕府との戦いに挑む、薩長連合軍が集結した場所なので、幕末ロマンに浸りつつ、至福の時間を過ごしたよ~
また、小鳥神社は~
僕も静かに手を合わせ、今の平和な世の中の礎を築いた幕末志士に思いを馳せました
その後、若干迷子になりながらも、大楽寺南墓地にたどり着き~
楫取男爵家など、歴史に残る方々のお墓がたくさんあって~
「花燃ゆ」の主人公である楫取美和子(文)さんのお墓に静かに手を合わせました
1985年に27才の若さで亡くなった夏目雅子さんのお墓を訪れ、美人薄命とは言うものの、あまりに若く旅立った夏目雅子さんに想いを馳せました
それにしても、こんなに綺麗な彼女が「西遊記」の三蔵法師役を引き受けたのは衝撃的だったけど、今見ても綺麗だよね~
って、綺麗と言う言葉を連呼しすぎかな~
その後、僕のチャリンコ旅はまだまだ続き、先ほど登場した楫取素彦・美和子夫妻の終焉の地に到着したところ~
綺麗な絵が貼ってあったよ~
その後、種田山頭火の生家跡を訪れると~
と言うことで、電動アシスト自転車で巡る防府市の旅はこれにて終了し、防府天満宮前にある「うめてらす」に自転車を戻しました
それにしても、この記事書くだけでも大変だったけど、よくこれだけ回ったもんだと自分で自分を褒めてあげたくなっちゃったよ~
次回、防府編は最終回
お楽しみのディナータイムだよ~