【官兵衛が愛した中津編 その2】
中津市に訪れ、最初に行ったのは
赤い壁が印象的な「合元寺(ごうがんじ)」 で~す![]()

「合元寺」とは、1587年に空誉上人が開山したお寺で![]()
他のお寺と同様に創建当時は白い壁をしていました![]()
「軍師官兵衛」をご覧になっている方には記憶に新しいと思いますが![]()
当寺は黒田官兵衛が豊臣秀吉の命により![]()
前領主である宇都宮重房を中津城で射ち果たし![]()
当寺で待機していた家臣たち200人を殺し![]()
白い壁は討ち果たされた者たちの血で、真っ赤に染まったそうです![]()
それ以来、この壁には何度塗り替えをしても血痕が浮き出てくるため![]()
ついに赤色に塗り替えざるを得なかったそうなんです![]()
それにしても、この壁にそんな逸話があるなんて、怖いですね~![]()
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ここには、大勢の人たちが訪れていましたが~![]()

みんなが中に入った隙をついて、『はい、チーズ
』
まずは、正面にある本堂を眺めつつ~![]()

左を見ると、その家臣たちを祀った「延命地蔵菩薩堂」があり![]()
戦国の世の出来事とはいえ、凄惨な出来事での死者の方々に静かに手を合わせました![]()
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また、ここには「六地蔵」や~![]()

「お願い地蔵」もあり~![]()

家族一同幸せに暮らせるようお願いしました~![]()
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そして、その凄惨な出来事を物語るかの如く、当時の刀痕は今でも現存し![]()
平和な世の中のありがたさを教えてくれました![]()
それにしても、赤壁のお寺というのは、全国的に珍しいと思いますが![]()

こんな悲しい話の末に、こんな色になったなんて![]()
歴史を知ることって大事なんだな~と思いました![]()

その後、この道をどんどん歩いていくと~![]()

中津城の模様がついたマンホールを見つけました~![]()

そして、次に訪れたのは「円龍寺」![]()

当寺は通称「閻魔さまのお寺」と言われ![]()
山門を入って左手に「観音堂」「閻魔堂」がありますが~![]()

その右奥には~![]()

インドの神話に登場する世界の統治者夜魔である「閻魔大王」と![]()
「葬頭河婆(そうずかのうば)」が睨みを利かせていました![]()
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この怖い顔を見ていると、何も悪いことをしてなくても![]()
『ごめんなさ~い』と言いたくなるような迫力がありました~![]()
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因みに、「閻魔大王」とは、こんな怖い顔をしていますが![]()
「地蔵菩薩」の化身として、人々を救うために出現したと言われているんですよ~![]()

そして、何で当寺に「閻魔大王」が安置されているかというと![]()
江戸時代に中津藩士が、ある家の娘を奪ったものの、箱根山中で鬼女に食われ![]()
その夜立ち寄ったお堂に安置されていた「閻魔大王」に祈念し![]()
その懺悔心から大阪の大仏師に「閻魔大王」を彫ってもらい![]()
この地に持ち帰ってきて、日々拝んでいたそうです![]()
因みに、閻魔様の隣にある2つの顔は、閻魔大王が持つ杖(人頭杖)で![]()
赤い顔は全ての悪を見通し、白い顔は善を見通すと言われてるそうですよ~![]()

そして、炎を吹けばアウト、白蓮華が出たらセーフだそうですが
炎が出たら地獄行きなのか~と思ったら、何だかおっかないですね~
最後に、「閻魔大王」の横にいる「葬頭河婆」とは![]()
三途の川の番人とも言うべき鬼婆ですが、夜中に見たらおっかなそうですね![]()
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中津の旅は、まだまだ続きますよ~![]()
