【官兵衛が愛した中津編 その3】
寺社町を抜けると、そこには中津観光の目玉である
「福沢諭吉旧居・記念館」がありました
駐車場の入口には、「学問のすゝめ」で有名なフレーズである
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり」が掲示されていました
そして、広々した駐車場を歩き~
(この日はこの広々した駐車場が満車で、駐車するのに10分位待つほどの人気振りでした)
まだまだ歩くと~
そして、漸く旧居が見えてきたので~
入口から中に入りました
すると、目の前には胸像が飾ってあったのですが~
この像を見ると、息子くんがボソッと一言『痛そう』と言い
僕は、今までこういう胸像を見ても、そんな感想を持ったことはなかったですが
言われてみれば、確かに体がちょん切れていて痛そうだよね~
それにしても、子供の感性って面白いよね~
そして、いよいよ見学し始めましたが~
何を思ったのか、息子くんがダッシュし始めたので
『家が壊れるから止めなさ~い』とこっぴどく怒りました・・・
この年頃の男の子は、元気が有り余ってるんで、油断も隙もないですね~
(ここは出口まで真っ直ぐで、おまけに板が敷かれていたので、楽しそうではありましたが…)
それにしても、この旧居はよく手入れされており~
諭吉が過ごした少年時代の雰囲気を今に伝えてくれてました
そして、奥には諭吉自身が改造した土蔵があって、二階に上ると~
『出た~』
一瞬座敷わらしかと思いましたが
(そんな筈ないか・・・)
よくよく見ると、少年諭吉が勉強してる姿でしたよ~
因みに、少年諭吉はこの部屋で日夜を問わず勉強していたそうです
そして、この隣には記念館がありましたが
ここには「学問のすゝめ」の初版や諭吉の手紙や写真等が展示されていて
なかなか見応えありましたよ~
そして、話を福沢諭吉旧居に行く前に少し戻しますが、「円応寺」に立ち寄りました
「円応寺」とは、通称「河童寺」と呼ばれており
1587年に黒田官兵衛が開基し、黒田家が福岡に移った後も
細川家・小笠原家に大切に庇護されてきたそうです
このお寺も色んな事を見てきたんだと思うと、感慨深いものがありました
そして、ここに立ち寄った理由はこれ
実は、ここには「河童(かっぱ)のお墓」があるそうなんです
その後、「河童のお墓」を探しにいくと~
遂に発見しました~
九州には壇の浦の戦いに敗れた平家の落武者の霊魂が河童となり
田畑を荒らすなどの悪戯を働いたことなどの伝説が各地にあり
中津にも河童の神通力で村の平和が守られたという、言い伝えが残っているそうです
因みに、このお墓は黒田二十四騎の一人、野村太郎兵衛のものとも言われているそうですが
真偽の程はいかがでしょうか
当寺には可愛いお地蔵さんがあったのでパチリ
これから寒くなるので、この帽子は重宝ものでしょうね・・・
また、この近辺には「解体新書」等の資料が保管されている「大江医家史料館」等
まだまだ観たい場所が数多くあったのですが、残念ながら時間切れ
それにしても、中津の町中にはこうして福沢諭吉の言葉があちこちに掲示されていましたが
今でも中津には福沢諭吉の想いが根強く残っているんですね~
次編は、いよいよ皆さまお待ちかねの中津名物料理の登場ですよ~