正産期に入ってから出産までのことを、とても長くなりますが記録しておきたいと思います。
********** 正産期に突入 **********
臨月に入り、12月中旬に妊娠37週をとうとう迎えました。
正産期に入ったらいつ産まれてもおかしくないのですが、
・初産は遅れがちといわれる
・私の友人の1人目の出産は、やはり予定日超過だった人が多い
・私の実姉も1人目は予定日超過
・そもそも私自身が、予定日超過(予定日の6日後)で産まれている
ので、そうすぐには出産しないだろうなぁ と思って、
毎日ドキドキしながらも、焦っても仕方ないし・・・とのんびり構えていました。
また、自分が産まれたときとだいたい同じ体重で自分も出産する、なんていうジンクス?みたいな
ものも何度か聞いた事があります。私がお嫁に行く時に母からもらった
私の母子手帳を見てみると、私はちょうど3000グラムくらいで産まれていました。
このジンクスにあてはめたとして、赤ちゃんの体重が1週間に100グラム程度増加していくとして、
検診で言われている推定体重からして、
お正月明けの・ちょうど予定日あたりが出産になるのかなぁ・・・と思いました。
産科の主治医からは、お産につながるよう毎日たくさん運動するようにと言われていました。
毎日1~2時間、坂道か階段を含めるようにして近所をお散歩しました。
確かに、運動するのは筋力・体力の向上につながるので、分娩を乗り切るにはとても大切な事です。
ですが、運動したから早くお産につながるのかどうかは・・・
友達の経験話や、ネットの情報をみても、あてはまらない人もいるし関係ないよなと思っていました。
(たくさん歩けば、下向きの重力が働くので赤ちゃんの頭が骨盤のほうへ下がるのを促す
のかもしれませんが、産まれるタイミングというのはあくまでも赤ちゃん次第だと思っていました。)
********** 前駆陣痛 **********
クリスマスイブの日。38週にすでに入っていました。
振替休日で、主人が家にいる日でした。
朝起きて数時間くらいしてからでしょうか、下腹部痛(左腹あたりが痛い)を感じ、お腹が張りました。
しばらくすると治まるのですが、30分とか1時間に1度くらいの頻度で1日中度々やってきました。
・お腹が張りっぱなしということは無いし、痛みも時々だけ
・痛みといっても、立ち止まって少し顔をゆがめる程度の痛みで、しゃがみ込んだりするほどではない
・随時、胎動はある
・時々血圧を測ったけど、今までと特には変わらない数値
・時々エコーサウンダーで心拍数を確認したけど、140~150くらいで問題なし
・出血は無い
これらのことから、危険な張りや痛みではないだろう、おそらく前駆陣痛だろうと思いました。
ただ、ここ数日の血圧が上も下も5~10くらい高めになってきていて、
家庭血圧の範囲内であるとはいえ今後の推移が気になっていたし、
エコーサウンダーで心拍をちゃんと拾える位置が数日前よりも数センチ下に下がってきていたので、
徐々に・確実にお産に近づいているのだなと思いました。
前駆陣痛がそのまま本陣痛へとつながりお産になる方もいますが、
本陣痛が起こるのは前駆陣痛から数日後だったり、もっと後だったりすることもあります。
この日はそんななか夫婦で外出して、近所のイルミネーションを見ながら散歩して、
ケーキ屋さんでケーを買って、2人で家でパーティー料理を作って・・・
思い出深い出産前のクリスマスイブの一日になりました。
その日以降も、不定期に強めの腹痛が来たり、座っているだけなのに腹痛や張りが来たり、
お腹の中で下方向に圧迫感を感じたり、長めに散歩をすると強い腹痛が来たり。
明らかにそれまでとは体の調子が違いました。今日か、明日か、1週間後なのか・・・
ほんとにお産っていつやってくるか分からないんだなと思いながら過ごしました。
********** 出産予定日の到来 **********
今日か明日かとドキドキしながら、クリスマスが過ぎ、年末が・お正月が過ぎて・・・
出産予定日前日の妊婦検診を迎えました。
子宮口がまだあまり開いていない状態で、このまま経過するようならば
翌週の検診で入院(誘発分娩)の予定を立てましょうと、主治医から言われました。
1日でも早く自然に産まれてくれたら嬉しいけど、焦ってもどうしようもないしなぁ
と気持ちを切り替えて、その病院で予定日超過のため計画分娩した方々の情報をネットで探しました。
40週後半の検診で入院の日程を決め、41週半ばで入院。2~3日、経口薬や点滴で誘発してみて
それでも分娩に至らなければ、正産期が終わる前(42週に入る前)に帝王切開で出産。
日程的にはそんな流れのようでした。
計画分娩の日程に自分の気持ちの照準を合わせるようにしたら、焦りも減り、少し気楽になりました。
そんな気持ちで迎えた出産予定日。
週末で、主人も出勤は無く、私の体調にも特に変化は無く元気・・・だったので、
安産祈願の初詣に何箇所も、たくさん歩いてたくさん階段も上って、アクティブに出かけました。
夕方から夜遅くにかけて、お手洗いに行くとナプキンに茶オリが付くようになりました。
出血の気配のあるおりものは、妊娠初期以来の事でした。
これが、おしるしなのかな?と思いましたが、軽い茶オリで、胎動も元気だし、
体調にも特に変化が無かったので、様子見しました。
********** おしるし **********
出産予定日の翌日の朝、起きてトイレに行きお尻をティッシュで拭うと
多めの白いおりものにややピンクがかった血が半々くらいに混ざった状態になっていて、
生理の始まりのような小さめの血のかたまりが水の中に落ちているのに気付きました。
やっぱり、間違いなくおしるしでした。
軽い生理痛のようなものを随時感じるようになりました。
大半の方は、おしるしから2~3日で本陣痛または破水などの出産が始まるようなのですが、
1週間後くらいに始まる場合もあるようなので、とりあえず落ち着かなきゃ、という感じでした。
********** 入院 **********
おしるしが始まってから4日後の未明に、若干不規則とはいえだいたい10分おきに、
それなりの痛みが襲ってくるようになりました。
しばらく様子を見ようかなと思ったのですが、痛みと寝不足のせいか、
朝の血圧が高血圧の範囲になってしまいました。
この日の午後に妊婦検診の予約をしていましたが、用心して病院に連絡し、入院準備を持ち、
救急で朝に診察を受けました。
NSTの結果、陣痛の強さや頻度だけみるとまだ自宅待機のレベルなのですが、
予定日を超過していて血圧も高くなってきているようなので、
経過観察をするためにもこのまま入院しちゃいましょうという事になりました。
子宮口はわずかに開いているだけで、赤ちゃんも下がってきておらず、
明日から陣痛促進剤を使ってお産につながるか試みる事になりました。
早ければ明日、出産しているかもしれない。
入院準備をして来たとはいえ、急な展開でした。
入院当日は特に処置はないものの、骨盤のレントゲンの他、
血圧測定・赤ちゃんの心拍数確認・NSTで陣痛の確認などを度々して、
あっという間に一日が過ぎました。40週5日での入院でした。
その夜は、消灯して眠って数時間後に、お腹の痛みで起きてしまいました。
立ち上がって呼吸を整えながらお腹をさすらないと耐えられない強さの痛みでした。
(後日助産師さんに、これが本陣痛のお産の始まりだったと言われました。)
眠くてベッドに横になってうとうとしても、定期的に10分以内に痛みが襲ってきて、
その都度起きあがって対処しないとしのげない。そんな眠れぬ夜を過ごしました。
夜中から陣痛室へ移動してもよかったのですが、
病室のほうがスペースも広くて行動に自由がきくので、朝までは病室で過ごしました。
********** 出産 **********
翌朝から、陣痛室へ移動です。誘発をする前の診察で、
子宮口が3センチ開いていて赤ちゃんの頭も下がってきている事が分かりました。
夜中からの陣痛でお産が進んだようです。
NSTにも使う分娩監視装置で赤ちゃんが元気なのを確認して
(この装置は出産するまでお腹に付けたままです)、午前中から誘発剤を少量ずつ、
様子をみながら点滴していきました。
私は誘発剤の効きが良いほうらしく、子宮口も順調にどんどん開いてきて、
お昼前には無痛分娩の麻酔も開始しました。硬膜外麻酔は、叫んでしまうようなレベルの痛みを、
うぅ~とうなり声を出せばしのげるレベルの痛みに和らげてくれました。
私にとっての効き方はそんな感じでした。無痛と言っても、完全に痛みが無くなる訳ではありません。
昼過ぎには子宮口も全開になり、破水もしました。
主人が到着できる夕方より前に出産してしまいそうな勢いでした。
ですが、順調に進んだのもそこまで。問題が発生してしまいました。
子宮口全開後にいきみを開始するのですが、何度も何度もいきんでも、
赤ちゃんの頭が子宮口から先へ降りてきませんでした。
昨日のレントゲンで、骨盤と赤ちゃんの頭の大きさの関係には問題はなく、
なかなか出てこない明確な理由は医師でもはっきりしないようでした。
足を踏ん張ったりレバーをつかんだりできて、いきみやすくなるからという事で、
いきみを始めてから1時間後くらいに、陣痛室のベッドから分娩室の分娩台へ移動しました。
分娩台の上で、足を踏ん張ったり、立ち膝の姿勢をしたり、果ては和式トイレのような格好をしたり。
どんなスタイルで頑張って力の限りいきんでも、進捗がありませんでした。
しかもいきみはじめてからまもなく、恥骨のあたりに陣痛とは別に
常に途切れることない強い痛みを感じるようになっていました。
継続する強い痛みのせいで、陣痛の痛みの波が自分では分からなくなっていました。
なので、いきむタイミングも自分では判断できなくて、
精神的にもイライラの極致で取り乱してしまうくらいでした。痛みで大きな声も何度も出しました。
麻酔科の医師も常に近くにいてくれましたが、恥骨のあたりに硬膜外麻酔が効かず痛いのは、
赤ちゃんの頭が骨盤などにちょうど当たっているからかもしれないとの事でした。
すでに、陣痛室と分娩室をあわせて、陣痛の波に合わせて2時間近く、
100回以上はいきんだと思います。体のあちこちの筋肉の疲れも感じはじめていました。
幸いにも赤ちゃんの心拍数は落ちずに正常値を保っていましたが、
私も疲れ果て、このまま同じように自力でいきむだけじゃ、もう産まれないんじゃないかと思いました。
助産師さんに、吸引分娩をしてほしいと訴えました。
それがきっかけかは分かりませんが、しばらくして産科の医師より説明があり、
吸引分娩をする事になりました。
(その時の私は、説明なんかいいから早く準備して早くやってよ、くらいに思っていました。
そのくらい痛みに耐えきれず気持ちに余裕が無くなっていました。)
その頃には主人も病院に到着していて、立ち会いの待機をしてくれていたのですが、
あとどれくらいで産まれるのかまだ分からないし、
途切れない恥骨あたりの痛みに耐えかねる私がイライラで取り乱す状態で、
そんなところに細かい経緯を知らない主人が入ってきて叱咤激励の言葉をかけてきたら、
お前は黙ってろくらいの暴言を吐いてしまいそうだったので、
立ち会いは待ってほしいと伝えてもらいました。
しばらくして、ようやく吸引分娩の準備が整いました。
私の足にシートがかけられ、赤ちゃんの転落を防止するシートなどが用意されました。
変な話しですが、吸引器を私の子宮口の赤ちゃんの頭にセットするため、
器具をグリグリと挿入されるとき、その刺激で、
お手洗いの大小両方の用を足したい強い感覚が襲ってきました。
その感覚に負けないよう耐えるのも結構大変でした。
器具のセット完了後、陣痛の波が来るのを待ちます。
波を助産師さんに教えてもらい、陣痛のピークにあわせて私がいきみ、
私の頭上に上がっている助産師さんが私のお腹を押して、産科の医師が吸引をしました。
吸引開始後、20秒くらいで吸引器が外れる音がしました。
これが2回繰り返されました。
まだあと何回やるんだろう・・・。疲労困憊で思っていたら、
監督役で立ち会っていた産科の別の医師が私の顔のところまで来て、
「次で出てくるから!死ぬ気で頑張って、長くいきんでね!」と言われました。
3回目の吸引の前に、私には酸素マスクが付けられました。
ちゃんと深呼吸するよう言われました。
呼吸が浅くなって、赤ちゃんへ酸素が行きにくくなったようでした。
そして、陣痛のピークが来るのを待って3回目の吸引。
とにかく力を振り絞って長くいきみました。
叫びたくなる痛みや思いをぐっとこらえて歯をくいしばって、なんとか長くいきむ力に変えました。
3回目の吸引のときのことは、日にちが経ってもとても鮮明に覚えています。
吸引が終わると、「もういきまなくていいよ」「力を抜いて」と声をかけられ、
そのあとすぐに、「下のほうを見て」「産まれるよ」と言われ、
私のほうを向いた赤ちゃんが頭のほうから徐々に視界に入ってきました。
夕方4時半頃、約3100グラムの赤ちゃんが産まれました。
ようやくお産が終わった・ようやく産まれてきた・何とか元気に産まれてきたんだ・・・と思っていると、
赤ちゃんが私の胸の上に。
ごめんね、時間かかっちゃってごめんね、苦しかったよね、痛かったよね、よく頑張ったね、
えらいね。・・・そればかり繰り返し赤ちゃんに話しかけていました。
それからまもなく主人も分娩室に入ってきて、
身長や体重の計測・検温をされている赤ちゃんの写真を撮ったりしていたようです。
私は後産(胎盤の娩出)の対処などをしてもらっていました。
出産に関わって下さった多くの医師や助産師さんが分娩室を後にする際に、
私に挨拶してくださり、お祝いの言葉をかけてくださいました。
私は、痛みで取り乱してしまって恥ずかしい限りで、申し訳ないというお詫びの言葉と、
本当にお手数をかけてお世話になりましたというお礼を、
一人一人にお伝えするのに精一杯でした。
出産から二時間はそのまま分娩台の上で休みました。
私は背もたれを起こして軽い夕食を食べ、
後から来た母達も一緒に分娩室で赤ちゃんと写真を撮ったりして過ごしました。
それから看護師さんに付き添われて病室に戻り、早々と就寝。その晩はゆっくり休みました。
実際にお産を経験して、高齢の初産のリスクや大変さといわれるものが
どういうものなのか、よく分かりました。
妊娠糖尿病になりやすい、妊娠高血圧になりやすい、子宮口や産道が固く難産になりやすい・・・。
(なかには全くそんなことはなく、全て順調に出産をされる高齢初産の方ももちろんいるとは思います。)
そんなハイリスクの高齢初産の妊婦を断ることなく受け入れ、
そして万全の体制で対応してくれる総合病院・周産期医療センターの存在に、
心から感謝しなくてはいけないんだなと思った出産でした。
いろいろありましたが、何とか元気な子を出産できた奇跡に感謝する気持ちを忘れずに、
これからの日々を過ごしていきたいと思います。