新年法話2 『功の多少を計り、彼の来処を量るべし』 | 善住寺☆コウジュンのポジティブログ☆ 『寺(うち)においでよ』

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但馬、そこは兵庫の秘境。大自然に囲まれた静かで心癒される空間に悠然とたたずむ真言宗の御祈祷と水子供養の寺『善住寺』。目を閉じてください。聞こえてくるでしょう。虫たちの鳴き声 鳥たちのさえずり 川のせせらぎ・・・誰でも気軽にお越し下さい。寺(うち)においでよ!

 現代社会においてはグローバルと言う名の大量生産、大量消費、大量廃棄システムにより、見えにくくなってしまっているものがあります。

 

 例えば、我が寺ではお塔婆を最近までインターネット通販で購入していました。

 

 安価ですし、材は真っ白で節目もなく、とても書きやすいので気に入っていました。

 

 ある時ふと気になって、どこの国のものが使われているのかを確認してみると、「ルーマニア産白松」「カナダ産バルサムファー」「ドイツ産もみ」のどれかが使われているということでした。

 

 更に調べてみると、ルーマニアなどはヨーロッパの原生林の約2/3という広大な原生林を持つ国であり、EU内でも最後の原生林と言われているのだそう。

 

 しかしそこでは違法伐採が蔓延し、グレー木材に対する規制の緩い日本はその捌け口になっているというのです。

 

 日本には人工林という遺産が各地に眠っているというのに、それを活用せずに外国の安い木材に頼り、原生林が破壊されていくという事実を初めて知りました。

 

 

 

 僕は僧侶として、日本各地の山を切り崩して大規模霊園が造成されること、塔婆の外材使用が原生林破壊の一助となっていることなど、知らぬ間に大きな権益に飲み込まれた仏事が環境を破壊しているという問題を突きつけられ、とても心が痛んだのです。

 

 その時から、今ここにあるものが、どこから来て、どこへ行くのかということを大切にしたいと改めて思いました。

 

 

 

 そう、仏教では「五観」という「五つのイメージ」を大切にするように伝えられています。

 

 

 

 

 

その一つ目のイメージが正にそれなのです。

 

「一つには 功の多少を計り 彼の来処を量るべし」

 

特に食事の時に唱える偈文であり、「どれだけたくさんの働きがあってこの品物がここにきているのか、どのようにして今ここまで届い来ているのか、推し量る必要がある」という意味です。

 

 

 このグローバルな経済社会に生きていると、その循環の姿が見えなくなってしまうのです。

 

 

 フードロス問題だって同じかと思います。

 

パックに入った魚の切り身やお肉から、生き生きとした魚や動物を想像できない人も増えているそうです。

 

ましてや残した食べ物がどうなるかなど、及びもしないでしょう。

 

 

 僕だってそうです。

 

そんなことも知らないのかということばかりです。

 

 

 

 だからこそこの偈文のイメージが大切なのだと思います。

 

その繋がりが見えてこそ、今ここに在る「これ」を大切にしたいという思いも芽生えてくるはずです。

 

 

 

 皆さん、時々「功の多少」と「彼の来処」に思いを巡らせてみてください。

 

 

 「食料」「電力」「資源」。

 

 皆で少しづつ見守れば、グローバル社会の歪みで是正していけるものもあると思います。

 

 

 また、自分が取り込んでいるものの純度があがるほど、自分自身の命も輝くことでしょう。

 

 

 

 自給自足で生活できればよりよいですが、それもなかなかに難しい現代。

 

 それでもせめて少しでも、循環する生命の営みが見える丁寧な生活を、皆が大切に想ってくださると幸いです。