「かごめ歌」14です。
前回はこちら
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今回は「夜明けの晩」について、考えてみたいと思います ^ ^
「夜明けの晩」って・・意味がわからないような・・ ( ゚д゚)
「朝の晩」・・?
言葉として矛盾していますよね。
この言葉の解釈は、諸説あるようですが、その中の一つに、
「「夜明け」は夜が明けた時で「晩」は夜のこと。
つまり「夜明けの晩」とは「存在しない時間」のこと」
というものがあります。
この3次元の世界とは異なる時間、ということでしょうか??
虚数時間??
前回の記事で、「狸囃子(たぬきばやし)伝説」を取り上げたのですが、その中で、狸は 月夜の晩 に腹鼓(はらつづみ)を叩きます。
書いていて、この「月夜の晩」という言葉が気になってきました・・
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「月夜の晩」
この言葉、小説などにもよく使われる、ごくごく一般的な言葉です。
でも、あらためて考えると、この言葉もちょっぴり矛盾しているような・・ ( ゚д゚)
「月夜の晩」→「月の出ている夜の晩」になりますよね。
けれども、古くから昔話にも登場し、受け入れられている言葉です。
同じように矛盾した「夜明けの晩」と「月夜の晩」
もしかして・・
「夜明けの晩」=「(月)夜明けの晩」
だったりして!? (・Д・) (月が抜けていた!)
もし、そうだとしたら・・とムリヤリこじつけて、勝手に妄想してみました (^。^)
「月夜の晩」からの 夜明け
月光の世界から、日光の世界への目醒め??
(月夜は「月」「月光」そのものの意味もあります)
照らされて映る影絵のような世界ではなく、
自ら光る、実相の世界へ。
漫画「NARUTO-ナルト-」では、「月の眼計画」というものが存在します。
「無限月読(ムゲンツクヨミ)」という(月に眼を投影する)幻術により、地上全ての生き物をコントロールし、理想の世界を創ることが目的です。
全てが一つに統一される、わだかまりも争いもない世界を創ること。
月を見た生き物は幻術にかかり、神樹と呼ばれる巨大樹に囚われて、ミノムシのように吊るされ、永遠に自分の見たい夢を見続けます。
月に眼を投影
幻術にかかり夢をみる人たち
・・わたしたちも「無限月読(ムゲンツクヨミ)」にかかっていたりして?? ( ̄∇ ̄)
何かの夢を見ているのかも・・??
無限月読の幻術から目醒める。
コントロールからの解放。
「夜明けの晩」→「月夜明けの晩」
→「無限月読の幻術からの目醒め」
な〜んて!! ( ̄∇ ̄) トンデモない方向に・・(妄想が爆走!)
「かごめ歌」をムリヤリ「NARUTO-ナルト-」とかけちゃいました・・(^◇^;)
それにしても、この、
「苦しみのない世界を実現するために、全てを統一する」
・・という概念は、「エヴァンゲリオン」「シン・仮面ライダー」の世界観に似ているような気がします・・ ( ゚д゚)