またまた「かごめ歌」 ^ ^

 

 

今回は「よあけのばん」の「よあけ」について考えてみたいと思います。

 

 

「よあけ」とは・・

 

 

 

 

 

もちろん「夜明け」のことであり、きっとその他何層もの意味が含まれていると思うんです。

 

 

前回、その一つを「余明け」=「自分自身の夜明け」「自分が明るくなること」などと解釈しました。

 

 

その事についてさらにいろいろ思ったことを書いてみます。

 

 

 

 

 

 

「余明け」「自分が明るくなること」・・

 

 

=「自分が覚醒すること」=「脳の回路が100%開くこと」

(人間の脳は数%しか使われてないと言われます)

 

 

 

(脳が100%覚醒  =  ルーシー状態!?( ̄∇ ̄) )

 

 

 

 

 

 

・・・そうすれば、目の前の世界に明かりが灯ったように、今まで見えていたよりも、もっと多くのものが見えてくる・・・??

(=第三の眼が開く?)

 

  

 

 

 

(ある臨死体験者は、死に向かいつつある時の周囲の認識を、生前の?肉眼での見え方と比べて、こんな喩えで表現しています)

 

 

  肉眼で見ていた時

 

= 真っ暗な巨大な倉庫の中に、懐中電灯の光だけで暮らしている

 

 

  臨死体験時 

 

= そこに、ある日電気のスイッチが入り、初めて倉庫全体が見え、これまで見たこともなく、夢にも思わなかったすばらしい色や音や感触のものがあったことに気づく

 

 

 

 

人間の肉眼では、存在するものの一割も見えていない、とも言われます。

 

 

(ちなみに鳥や虫などは紫外線が見えるため、もっと彩色豊かな世界を見ている可能性があります)

(ルーシーも電波が見えていましたね! (・Д・))

 

 

 

 

・・・そんなふうに、脳が覚醒すると、もっとたくさんのものが見えてくるのではないでしょうか?? ( ゚д゚)

 

 

         

 

 

 

 

 

「たくさんのふしぎ(光の正体)」には、

 

  ↓

 

 

まっくらな部屋でも、電波と赤外線は飛びかっています。

もし、人間にそれらを見る能力があったなら、すごくまぶしいことでしょう。

 

まっくらな部屋というのは、「わたしたちに見える光」がない というだけで、光のなかまは存在しているのです。

 

 

と、書かれています。 そして、

 

 

色は各自の脳がつくりだしているものですから、共通のものではないのです。

 

 

とも、書かれています。

 

 

 

 

じゃあ、あらゆる光が見えたら、

 

 

「暗いってない」「夜はない」

 

 

・・・ってことになる?? (・Д・)(=素人の妄想)

 

 

 

 

「明るいしかない」「朝しかない」

 

 

 

それが「余明け」  本当の「夜明け」 なのかも?? ( ゚д゚)

 

 

 

 

(朝と夜、二元性の終焉??)

 

 

 

 

 

「よあけ」とは・・

 

 

 

「余明け」=「完全な夜明け」=「もう夜が来ないこと」

 

 

 

・・・だったりしてね〜??  ( ̄∇ ̄)

 

(素人のトンデモ憶測で〜す! ( ・∇・))