直視する、認める、感じたまま表現する | OverlandVerdeのブログ

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海外在住のセラピストです

こんにちは

年末から訪問していたインカの末裔の村といわれるケロ村から戻ってきてもう一週間以上経ちますが、何も書くことができませんでした。予想していなかった現実をみて、受け入れることに苦難し、エネルギーを失いました。死ぬような思いをしながらなんとか帰ってきましたが、今まで信じていたこと、好きだったもの、希望していたこと、自分自身だと思っていたものを全て山に置いてきました。

帰ってきてからする予定だったこともやる気は起こらず、今まで興味のあったことにも関心が薄れ、体力も思考能力も落ちて、ゼロの状態になりました。

しかし、落ち込んだというのではなく、今までの自分が死んで、本来の自分に戻り、要らない荷物をすべて捨てて、自由な真っ白な気持ちになりました。何にも掴まることなく、自分で歩き始めたということです。

今までいかに、自分が見たいものだけを見ようとしていたを知りました。

不快なことが起こっているということを認めたくなく、本当は嫌だと感じているということや、おかしいと思っているということを否定していました。不快なことなど何も起こっていないかのように振る舞い、幸せなふりをしていました。

自分が信じていたものや人が、自分の本来進むべき心の道から外れていると感じても、それを認めたくなく、また「非難している」「自分の内部の問題を外のせいにしている」と言われることを恐れ、自分が本当に感じていることや思っていることを言いませんでした。嘘の笑顔を作り、陰で泣きました。

自分が感じていることや思っていることを表現せず、反対の行動をとると、不調和が生じ、病気になります。

だから、私は病気になりました。自分の責任です。


私たちは、自分が見たいものだけを見ようとし、現実を直視せずに目をそらそうとします。自分が信じていたものに裏切られたときに、その事実を受け入れることができず、認めることを拒みます。

自分の経験や視点から意見を述べることに対し、他人に「非難している」と指摘されることを恐れ、本来自分の感じていることや思っていることを言うのを止めてしまいます。

また、起こっている不快なことを、全て自分の中だけで解決しようとして、感じていることをそのまま表現するのを止めてしまいます。高いプライドのために、大丈夫なふりをします。

「外側の問題は自分の内部の反映」「自分が変われば、世界が変わる」ですが、感じていることや思っていることを表現するのを止める必要は無いと思います。嫌なことは嫌だと、おかしいと思ったらおかしいとはっきりと言えば良いし、泣く必要があれば、人前でも恥を捨てて泣いたほうが良いこともあります。

でないと、自分の中で不調和が生じて、病気になります。私は死にそうになりました。

そういったことを、この旅を通して経験しました。

今後、それらのことに注意を払いながら、意識を高めていく必要があります。頭は見たいものだけを見ようと働きます。常にそれとの戦いです。例え予期していなかったことが起こっても、信じたくないことでも、ありのまま受け入れて、認めることが大切です。そして、恐れずに、周りの反応は気にせずに、自分が感じたまま表現し、思ったことを発言することです。

個人的な経験について具体的に書くことは致しませんが、現地で参加した活動や、アンデスの世界観に関すること、カパック・ニャンについては、これからまた書くかもしれません(まだ分かりません)。もちろん、ケロ村の美しい自然の風景にも出会いましたので、また次の機会にでも写真を載せようと思います。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。