こんにちは。
「マスコミが報道しない中国の真実」
管理人の長谷川です。
中国の報道官はよく
過去の戦争について日本に反省を
促すような言葉を発してきます。
〇東京裁判は正しいといってみたり
とにかく過去の戦争について
なんでもかんでも非難をしてきますが・・・
ここで質問です。
本当に中華人民共和国は
日本からの侵略を受けていたと思いますか?
まずは、1937年に時計の針を戻します・・・。
〇日本の主敵ではなかった共産党
当時の大陸を簡単に表した図をご覧ください。
・シナ事変とは…(Wikipediaより)
支那事変(しなじへん)とは、1937年(昭和12年)から
始まった日本と中華民国の間で行われた
長期間かつ大規模な戦闘である
(ただし、両国とも宣戦布告を行わなかったため事変と称する)。
すなわち、日本が、シナ大陸で戦っていた相手は
蒋介石率いる国民党の中華民国でした。
要は日本は、共産党を敵としておらず
蒋介石の軍隊と戦っていたのです。
ちょっとまて( ̄へ  ̄ 凸
当時すでに「共産党はあった」と仰る方もいらっしゃるでしょう。
正確に言うと
〇複雑な大陸の状況・・・
この地図をご覧ください。
若干の相違はあるかと思いますが、
非常にわかりやすいため資料として提示させていただきます。)
■南京を中心とする国民党の勢力
(中華民国 1912~1949年)
■日本は、満州国を建国し国民党と対峙。
後に南京に親日政府の汪兆銘政権を樹立させています。
■中国共産党が延安などの山岳地帯を占拠
(当時は八路軍と呼び、占拠地帯を中華ソビエト区と呼称)
があったのです。
※他は地域ごとに山西軍閥や広西軍閥が占拠していました。
では当時、中国共産党(八路軍)とは
どんな状態だったのでしょうか?
立命館大学の北村稔氏の解説が非常に
わかりやすいのでご紹介します。
〇「虫の息」だった共産党
『中国共産党と国民党は
1928年からは、不倶戴天の敵として激しく戦っていた。
国民党が一党独裁体制により
1925年に広州に樹立した国民政府は、1928年には首都を南京に定めた。
そして国家資本主義政策を急速に展開していた。
中央銀行が設立され(1928年11月)、関税自主権の回復も実現されており(1930年5月)、
国内金融の統一と国家収入の安定的増大および自国産業の保護が推進されようとしていた。
このような経済発展の動きは日本と競合することになる。
一方この間、中国共産党は農民反乱により、
辺境部での「社会主義革命」を追求していた。
しかし実態は、マルクス主義者のいう
「生産活動からはじき出されたルンペンプロレタリアート(遊民)」の暴動であり、
中国の歴史上では頻繁に発生していたものである。
〇延安にいたころの毛沢東
ソビエト区は全国に点在し、1931年11月には毛沢東を主席とする
中華ソビエト共和国臨時政府が江西省の瑞金に成立した。
しかし農業という生産活動において何らの新機軸も出現せず、
生産力の向上が望めない状態では、中華ソビエト共和国には発展の可能性は無かった。
冒頭の毛沢東の言葉のとおり、
「われわれはいまなお山の中にいて、
北京にきて京劇などをみることはできなかった」
という状況が続いたであろう。』
〇中国共産党のしたたかさ
お分かりいただけましたか?
中華民国は実質的に国民党が支配しており
共産党は、山岳地域のみ
しかも北京にいくことすらままならなかったという状況だったのです
このあと、国民党の軍隊は
共産党が支配していた瑞金を攻撃し、陥落させます。
そして、共産党は北へ逃避行(長征)します。
この事実から見ても、共産党にとって
国民党は大敵だったことがよくわかります。
共産党は、下記の赤い部分を
占拠していた幾つかの場所です。
(一時的に手放すなどあちこちを占拠しては放棄しています)
その後、
共産党は守勢となり
作戦を転換し、国民党と団結して日本軍と戦うこととしましたが…
しかし、毛沢東は、その裏で
党の戦略と基本精神にて
「(日本と国民党軍の戦いを)高みの見物をするとともに、
機に乗じて『根拠地を創造し、大衆を動員し』、
国の中の国を創建すること」
という伝達を出しているのです。
要は日本と国民党を戦わせて双方に
痛手を負わせましょう、ということです。
その後、日本が戦争に負け
中華民国が戦勝国となりました。
当然のごとく、
国民党は軍隊が疲弊し、戦力もなくなっていました。
そして共産党が国民党を叩き、
兵力を温存していた共産党が一気に勝利へと…
そして
中華人民共和国は1949年に建国します。
ひとつ驚きの発言をご紹介します。
〇毛沢東「日本に感謝している」
毛沢東は、1961(昭和36)年1月24日に、訪中していた
日本社会党(現、社会民主党)の国会議員らに対して、
日中戦争(正確にはシナ事変)について次のように語っていました。
毛沢東「日本の軍閥はかつて中国の半分以上を占領していました。
このために中国人民が教育されたのです。
そうでなければ、中国人民は自覚もしないし、
団結もできなかったでしょう。
そしてわれわれはいまなお山の中にいて、
北京にきて京劇などをみることはできなかったでしょう。
日本の『皇軍』が大半の中国を占領していたからこそ、
中国人民にとっては他に出路がなかった。
それだから、自覚して、武装しはじめたのです。
多くの抗日根拠地を作って、
その後の解放戦争[日本敗戦後の国共内戦]
において勝利するための条件を作りだしました。
日本の独占資本や軍閥は『よいこと』をしてくれました。
もし感謝する必要があるならば、
私はむしろ日本の軍閥に感謝したいのです」。
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毛沢東は日本に感謝をしており
1980年代まで、日本を憧れとする風潮もあった中国。
1990年頃から態度を豹変させ
日本非難に転じています。
東京裁判で裁かれたのは
国民党の軍隊と戦った日本軍であったし
靖国神社に祭られているのは
主に国民党の軍隊と戦って戦没された方です。
なぜ、中国共産党が
日本を非難するのでしょうか?
さらには
日本が戦っていた国民党は現在、台湾にありますが
台湾では中国共産党のような
露骨な反日的発言もなありません。
中国共産党は、事実をしっかり受け止め
発言することを切に望みます。
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