こんにちは。 アンサー俱楽部 倉地宏和です。
今回は、
八幡東区宮の町とその周辺槻田エリアの紹介です。
宮の町には広い「宮の町公園」があります。
確かに広いです。調べたら、
八幡東区の旧槻田小学校の跡地でした。
1907年(明治40年)企救郡板櫃第二小学校として開校して
1935年(昭和10年)に現在地に移転したそうです。
あれ?企救郡は小倉エリアの旧群名、
八幡の小学校なら旧遠賀郡八幡村では・・・・??
続いて、天疫神社
宮の町公園のすぐ上にあります。私は隣校区の小学校でした。
小学生時代、クワガタがいる神社として有名でした。
大きく立派です。
正式には「てんえき」ですが当時は「てーき」神社で覚えてました。
何十年ぶりかに訪れお参りしました。
(樹齢500年越えと言われる楠、クワガタがいた微かな記憶が、、)
疫病抑え込みの神社です。今まさに神様も頑張っています。
小倉にも天疫神社が複数ありますが、小笠原の殿様が
旧豊前の國、企救郡エリアに複数開設したそうです。
小倉北区富野や小倉南区北方にも。全て企救郡内にあります。
(背景が詳しく載っています。)
あれ?この天疫神社は八幡にあるぞ??
このエリアでは90年ほど前に
凄いことが起こっていたのです。
1925年(大正14年)から翌年にかけて、
当時の企救郡板櫃町の槻田エリアが八幡市に編入。
あとの大半は小倉市に編入されました。
なのでこのエリアは豊前と筑前の国境が、
小倉と八幡の境と一致しないのです。
その証拠が高見神社近くに「是より西筑前國」の碑が、
いまだに保存されてます。
(住宅地のど真ん中に國境があります。)
高見エリアと大蔵エリアの境の板櫃川の橋は「両国橋」。
でも何でわざわざこんな分割編入をしたのか?
当時槻田高見エリアは八幡製鉄所の官舎(社宅)がありました。
官舎群は当時の八幡町でなく板櫃村。
官舎住民から小倉エリアでなく八幡エリアに
編入要望があり、実現したのです。
今でこそ北九州市内ですが旧国境をまたいだ珍しいまちです。
宮の町公園のすぐ南を流れる槻田川。
ここは蛍の名所です。
春は桜が咲き賑わいます。渋滞が起こります。
そうです。それなら近くに住めばいいのです。
そこで今回紹介するのは プチメゾン宮の町公園前
(手前は宮の町公園、向こう側は槻田川)
●ファミリーさんにオススメの2LDKタイプのお部屋です♪♪
●リビングも広く使い勝手の良い間取りとなっております!
●収納スペースが多いので、お荷物の多い方でも安心ですね!!
(広々としたお部屋です。)
(槻田川、物件マンションはすぐ左横です。)
このエリアから徒歩10分弱で旧電車通り荒生田(あろうだ)に出ます。
(いまだに電車通りと言ってしまいます。)
気になるお店発見。
70歳パン工場(70factory1948)(←詳しくはここをクリック)
てっきり高齢者雇用対策のパン屋と思っていました。
コッペパンサンドのお店です。
学校給食で有名なクラウン製パン70周年記念でオープンしました。
給食パンでは北九州市は勿論、
行橋、宗像、福津市で取り扱いがあるそうです。
クロワッサンのミニヨンでも有名ですよね。
私は大好きな焼うどん目玉焼きのせサンドの頂きました。
(すみません。美しい映像はホームページをご参照下さい。)
1960年代のアメリカのイメージの店内。
瓶のコーラの自販機がありました。懐かしく買ってしまいました。
引き抜くタイプではありませんでしたが栓抜きが新鮮。
この自販機、スペースワールドから譲り受けたそうです。
小倉と八幡のいいとこどりの町でした。
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