数年前に

 

自分の中で

 

とっくに解決したと思っていたこと

 

そして実際

もうなんの問題もないと思っていたこと。

 

それらは

 

全く違う形で

 

もう一度、私の前に

 

新たな気づきを届けてくれた。

 

 

表面上の解決を得たものに

もう一度、光を当てる。

 

 

そこにあったのは

 

自ら気づかない

気づいていない

気づくことのなかった

 

 

「普遍的なパターン」だった。

 

 

 

さてここから

ちょっと長い話になります。

 

 

 

 

私は

 

勉強も

 

趣味も

 

ビジネスも

 

「もっとできるのに

 どうしてやらないの?」と

 

実に、さまざまな人に言われ続けてきた。

 

 

途中までいくと、失速する。

途端に力を使わなくなる。

 

 

それは

自分が「飽きっぽい」からで

「やる気」の問題だと思っていたし

 

 

もっと前なら

「継続力のない自分を責める」材料に使っていたし

 

なんなら

 

「本当にやりたいことやってないからだ」とさえ

思い込んでいた。

 

 

 

 

前回気づいたこのパターン

「反動を、原動力に変える」

 

反動がないと動かない、

反発心を作り出していること

 

 

 

これは

「本気」の話にも直結していた。

 

 

「反動を原動力に使っている」ときは

自ら炊きつけるために

 

 

まず

敵となる対象を作り出し

 

そこに加えて

 

 

情熱!!とか

やる気!!とか

行動力!!とか

パワーみなぎる!!とか

いっちょ揉んだろか!!とか(笑)

 

 

そういう「もの」を

わざわざ、生み出して「から」

 

動くための材料にしていたわけだけれど

 

 

 

さらにもうひとつ

ここで

 

 

「俺はまだ本気出してないだけ」パターン

 

これをもう一度

考察することになる。

 

 

もしかしてわたしが

 

本気出さなくなった理由は

 

人生のどこかで

こじらせた星にあるんじゃないか?

 

 

本気で頑張れていた時代と

頑張れなくなった時代

 

そのふたつの境目は

どこにある?

 

 

 

それには、家族が深く関わっていた。

 

 

 

私は特に母親との確執が長く

 

愛憎渦巻く関係が

幼少期から続いていたけれど

 

数年前、きっちりと解決していて

 

今では、家族とは非常に仲がいい。

 

そう思っていたし

現実には実際、なんの問題もない。

 

 

だけれど

現代とはまた違う

ある種のお受験教育を受けており

 

優秀だった兄たちと比べて

全く勉強ができず、両親や親族から蔑まれていたこと

 

 

成績が発表されるたびに

 

「アタマが錆びているからこんなことになる」と

 

毎回怒られ

あざけられていたことを、思い出した。

 

 

これに関して

両親や親族を恨んでいることは

実は全くなくて

 

私は両親への反発心から

勉強をしなくなったし

 

そもそも、学校の勉強に意味が見出せない

大変生意気な子供だったので(笑)

 

その時点で

自ら、親の敷いたレールを降りたのだった。

 

 

ただ、私の持つ知性の星は

この時に相当、こじれを生んだ。

 

 

そしてもうひとつ。

 

 

私は家族の中では

常に弱者でいなければならなかった。

 

 

  • 末っ子
  • 世間知らず
  • 何も物事を知らない
  • 守られないと生きていけない
  • ただかわいがられるだけ

 

 

そういう、マスコットのような存在でいることを

求められていた。

 

 

その立ち位置でいることが

本当に嫌で

ずいぶん抵抗したけれど

 

何をできるようになっても

何をしても

全く認めてもらうことはなく

 

途中で、理解してもらうことを諦めていた。

 

 

「人の上に立つ才は全く持っていない」

「ちやほやされておだて上げられていい気になってるだけ」

「お前はニコニコしながら人の後をついて行くのが一番性に合ってる」

 

 

悪口や罵倒ではなく

本気でそう思われていて

何度反発したことか。

 

 

 

そんな家族との関係は

 

 

まず、母からはじまり

そして、父へと

 

 

数年前に

大きく変わった。

 

 

両親の中での私は

もはや「弱者」ではなくなり

 

 

私が何か

形を成すことを

いつも、喜んでくれていて

 

 

父は家族の中で

唯一ビジネスの話ができる私が帰ってくるのを

いつも、楽しみにしている。

 

 

だから、それでいいと

思っていたけれど

 

 

実は、私の

「本気出してないだけ」モードが発動する原因は

 

 

 

 

なんと

にあった。

 

 

 

兄妹仲がものすごくいいので

全く、気づかなかった。

気づいていなかった。

 

 

 

 

兄にとって

 

私は未だ「弱者」のままであり

 

「守らねばならないもの」であり

 

そうでないと困る存在で

 

 

年功序列の考え方も

ものすごく根強く持っているので

支配欲、というものを出してくる。

 

 

だから

私が少しでも

「弱者」の枠を出ようとすると

 

 

すごい勢いで

罵倒したり

怒りまくったり

「こんなものは大したことない」

「こんなの誰でもできる」と言ったり

モノに八つ当たりしまくったり

 

 

 

そして

そういうことが

家庭内で起こると

 

 

母はすぐ

私が掲載された本を隠したり

捨てたりしていた。

 

 

ただ、自分を生きることが

好きなことをすることが

こんなにも人を怒らせるのか。

 

 

そのことに

私は深く、傷ついていたし

私の星は、さらにこじれていた。

 

 

 

 

 

つまり

私が本気を出さない理由は

出せない理由は

 

 

「私が本気を出すと家族が崩壊する」

思い込んでいたからだった。

 

 

------

 

そして私が

家族との仲が最悪だった頃

 

 

唯一の味方でいてくれたのは

母方の祖母だった。

 

 

祖母は

予想もつかないような規模の

ものっすごいお嬢様で

世が世なら

超・姫様だったような人だったけれど

 

 

一般人の祖父と結婚するために

曽祖父が出した課題を全部クリアして

嫁入りした強者で

 

そしてものすごく

破天荒な人だった。

(本当にお嬢様だったのか・笑)

 

 

おしゃれで

芸術的なセンスもあって

美味しいものが大好きで

いつも母親と間違われるくらい若々しくて

 

 

そういう祖母が

私を唯一認めてくれていたことは

 

子供の頃の私の

支えとなり

慰めとなっていた。

 

 

「祖母さえわかってくれればそれでいい」

 

 

それがまた

今の私の人間関係の構築に

深く、関わっていて

 

 

私が人見知りなのも

結局は

 

「私がわたしを生きると、誰かを怒らせる」

「私がわたしを生きると、何かが壊れる」

 

 

だから

関わる人たちは少しでいい。

わかってくれる人は、少しいればいい。

 

 

そんなふうになっていた。

 

 

 

わたしが

傷官や冠帯の星を持っているのに

 

地味でシンプルな服装を好むのも

 

メイクが好きなのに全然やらないのも

 

 

全部、ここから来ていた。

 

 

だって

目立ったら家族崩壊する。

 

 

 

そりゃあ本気なんて出せないし、出せるわけがない。

 

 

ないんだよ。

 

 

 

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ここまで書いたことを

 

 

わずか1時間半の間で

 

気づいて

気づかされ

 

その場でシェアして

 

さらに1週間かけて

深く、自分を見つめる

 

 

それを毎週繰り返す

 

 

 

それが

子宮推命

アンバサダー

プログラムです(笑)。

 

 

 

「毎週瀕死」の意味が

これでわかったであろう(笑)。

 

 

こんな考察ってさ

 

もはや変態級レベルだよね。

 

 

だけど

自分を知る

自分を知った先にある

この

 

自分のパターンを見つけて

見直して

 

今の自分に合わせて

チューニングしていく作業。

 

 

これは

この先

あたらしい世界で生きる自分のために

 

 

やらなきゃいけないことで

やりたいことで

やること。

 

 

目覚めだけでは

始まらないこと。

 

パターンが変わらなければ

また

元に戻るから。

 

 

目覚めた世界が

夢の世界ってことになってしまうから。

 

 

面白いのは

あけちゃんとわたし

 

 

同じように

 

家族

兄弟姉妹

祖母に

テーマと気づきとがあったのに

 

 

そこにある背景は全く違う。

 

だから人って面白いんだよね。

 

 

 

じゃあ

 

満ち足りた自分で生きたら

世界はどう変わる?

 

反動を原動力にせず

本気出しても何も壊れないとしたら

世界はどう変わる?

わたしはどう生きる?

 

 

それを今

見つめ続けているところです。

 

 

 

この先

どこまで深く自分に潜るのか。

そしてそこから

何を見つけるのか。

 

楽しみは日々、増え続けてます。



 

 

ぜっきー