前回の記事

たくさん反響いただいてとっても嬉しかったなりよー。

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

「私は美しい」

そう、自分のことを言い切れる人は

果たしてどのくらいいるんだろう。

 

 

少なくとも私は

一度も自分のことを

そんな風に思ったことはなかった。

 

 

「おこがましい」

「図々しい」

「身の程をわきまえろ」

 

そういうエゴキンの声を

「そうだよね」と

採用し続けてきた。

 

 

 

そのくせ

人から「デブ」とか「可愛くない」とか言われると

ムカッときたり

傷ついたり

反抗して喚き立てたり

 

 

はたまた、自分より体格のいい人を見つけては

「あの人ほどは太ってないから大丈夫」と

安心材料にしたり。

 

 

ほんっと、プライドばっかり高くて

でも、食べるのをやめられなくて

罪悪感と同時に

怒りにまみれて

何度自分を罵ったことだろう。

 

 

「わたし」という最高傑作を

「わたし」が一番、disっていた。

 

 

 

 

でも

人生を見つめ直してみると

 

どんな時も

「太ってる」と思っていた。

 

 

今より30キロ痩せてた頃も

太ってると思ってたし

「痩せたい、痩せなきゃ」と思っていた。

 

今、その頃の写真見ると

「全然痩せてるじゃん」と思うのに

 

その当時はそれでも

太ってると思い込んでいた。

 

 

太っている、痩せているという言葉

そのものに囚われていたけれど

そこじゃない。

 

 

 

それを想像した時

口に出した時

 

最大級に「気分が悪かった」のだ。

 

 

 

「太っている」という言葉に乗せ込んだ

私の前提

 

太っている = 自己管理ができない

太っている = 意志が弱い

太っている = 不健康

太っている = 見た目が良くない

 

それらが

 

太っていることは、悪!!という意識を作り出してた。

それが最高に気分悪かったのだ。

 

 

だから

痩せたら、幸せになれると思い込んでいたけれど

全く違う。

 

痩せたら、この気分の悪さがなくなる!!と

そう、思っていたけれど

全く違う。

 

 

頭の中を変えなければ、意味がない。

そう、他のことと全く同じ法則。

 

 

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ここからは

どうやって「意識」を変えていったか

ぜっきーバージョンを

詳細に、綴ります。

 

 

 

46年もの間

ずっと抱え込んでいた

「痩せたい」という願望を手放せたのは

 

この「最大級の不一致」に、気づけたからでした。

 

 

でも私にとって

ことさら

ダイエットや痩せることに関するジャンルに対しては

 

長年育て上げた

エゴキングがどーんと鎮座していたため

 

太っている自分にマルをつけることは

死ぬほど難しいこと、にまで至っていました。

 

 


 

 

だからまず

他のジャンルで

「これならできそう」と思えることで

自分を許す、許可トレーニングを

丁寧に積み上げていきました。

 

 

 

 

もともとラムダ気質の人は

自分にとっても厳しいし

 

いわゆる「現実社会」というものへの

適応能力がめっちゃくちゃ高いので

 

とどのつまり

5パーセントに力を注ぎまくってしまう傾向がある。

ダイエットもしかり。

 

 

 

私の場合

 

いろんなことができてしまう自分

器用な自分

適応能力が高い自分

なのに、一向に自分に満足できない自分

どんどん上を目指して走りまくってしまう自分

という部分をまず、

ひとつひとつ緩めて、許していきました。

 

 

 

 

 

特に私は

自分に対して無意識な厳しさとジャッジを

ものっっっっっすごい

たくさん持っていたので

 

 

気づけば気づくほど

許せば許すほど

 

「こんなことにまで厳しくしてたのか!!!!!!」と

マジで度肝を抜かれるようなことにも

いっぱい出会いました。

 

 

呼吸するレベルで自分に厳しいってどんなん!?

って思ったくらい(笑)

 

 

許トレって

やればやるほど

どんどん許可するものが増えていく。

 

 

そして

「できる私」を許したら

今度はそこから反転して

「できない私」が現れ始める。

 

 

それらをコツコツコツコツ

浮かんできたら許し

それを許せない自分も許し

怒りに塗れる自分も許し

とにかく出てきたこと何でも許す

 

まさに許しのミルフィーユ状態。

 

 

やったことと言えば

基本的には「許トレ」のみです。

 

 

 

 

 

それは

最初から

「痩せないとダメ」という意識から

「太っていてもいい」と

無理やり許可を出すことをせずに

 

 

まずは

自分が「これならできるかも」と

思ったところから

自分にどんどん許可を出していったことで

 

 

絶対にできないと

カチカチに固まってしまっていた

「痩せないと価値がない」という

自分の思い込みが

少しずつ、緩んでいったのです。

 

 

 

 

そして並行して

望みだけは、放っていました。

 

 

ただとにかく

「太っている」ことに許可を出すことに関しては

小さい頃から

もう、病的なくらい

過剰反応していたので

 

 

詳細に望みを放つと

最高に気分が悪くなるから

 

 

「気分」だけを、望んだ。

 

 

 

 

(今はとてもそうは思えないけれど)

「今の自分の体型でいい」と思えたら

どんな気分になるのかを知りたい

 

これが

一番最初に

私が「これならちょっと気が楽になるな」と思えた

望みの放ち方。

 

 

 

(今はとてもそうは思えないけれど)

この声は

ちょっとずつ小さくなりつつも

割と最近まで、聞こえていました。

 

 

 

 

併せて

「今ここ」に意識を向け続けることと同時に

 

 

感情を味わうこと

95パーセントで生きることに

ますます、注力しながら

日々を過ごしていった結果

 

 

自分ジャッジがますます減っていって

 

 

ちゃんとできる自分や

しっかりしている自分が

どんどん緩んでいって

 

 

子供の頃の自分が

自分の中から現れ始めて

 

ますますバカになり(笑)

どんどん腑抜けになり

できないことが増えて

その分、できることのエッジが立ち始め

 

 

自分の中心にいつも

自分がいて

自分の内側にいつも

自分という最大の味方がいる

 

 

そういう感覚を

すごいスピードで取り戻していきました。

 

 

 

 

その先に

 

 

前回の記事の

「気づき」がやってきて

 

↓↓↓

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ふと

「痩せること」に関して

今ならスムーズに望めそうだな、というひらめきがあって

 

 

その時

「感覚だけ望んでみよう」と思い立ち

 

 

 

「太っていて良かったと思える私」になった時、私はどんな気持ちになるのかを知りたい

と、素直にそのまんまを、望んでみたのです。

 

 

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わかるかな?

 

 

この時初めて

「太っていて良かった」と言葉にしても

気分が悪くならなかった!!!!!!!!

 

 

この嬉しさといったらなかったのです♫

めちゃくちゃ感動した!!!!!!!

 

 

 

そして

「ボディポジティブ」という世界の扉が

開かれたわけです。

 

 

いや、もともとあったけれど

私の視界が狭すぎて

全く見えてなかっただけ。

 

 

「痩せないと価値がない」という世界を

自ら望んで、見ていただけ。

 

 

 

私は今

自分の「気分」に対して

 

ますます、繊細に

ますます、詳細に

観察できる私になる、という望みを放っています。

 

 

そして

冒頭の

「私は美しい」

 

 

この言葉

今は、当たり前のように言える。

 

 

 

私はこの分野のパイオニアになる、と決めた♡

 

 

 

太ったことで苦悩し続けたけれど

それすら、私の最高のストーリーの1ページ。

 

 

このままの私が

このままの私を許容して

君臨することで

 

私の世界には

何が起こるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

そうそう。

もうひとつ

最高に気持ちのいい「絹の女王」の話は

また明日書きます。

 

 

今日もありがとう♫

 

 

風呂上がり。

すっぴん♫

幸せ。