すごく久しぶりにお母さん問題について。

 


 

 

少し前の記事ですがこちらもどうぞ♫

おかあさんといっしょシリーズ:No.1  お母さんは敵じゃない

おかあさんといっしょシリーズ:No.2  お母さんは根底に繋がってる

おかあさんといっしょシリーズ:No.3  お母さんは完璧じゃなかった
おかあさんといっしょシリーズ:No.4 お母さんも被害者だった

おかあさんといっしょシリーズ:No.5 絶対的な味方を作ろう

 

 

 

 

 

今、この記事を読み返すとね

面白いことが自分でもわかる。

 

 

私自身、母との仲は長年大変悪かったので

お母さん「問題」という認識

被害者である、という認識が

なかなか、なかなか抜けませんでした。

今はとても仲良し。

 

 

 

 

私は一番早い方法として

お母さんに直接アプローチして

「自分のこと好き?」と聞くことをオススメしています。

 

そして実際、そうすることで私自身もお母さん「問題」から解放された部分がありました。

 

 

 

 

ただ、実は。

その前に、すでに視点の切り替えというものが行われているのです。

 

 

 

それは「お母さんから愛されたら全てがうまくいく」という視点の前に

「自分で自分を幸せにする」という視点があること。

 

 

そして、さらにもっと言うと

「愛されていても愛されていなくても、私の幸せには関係ない」という

逆説的な視点があるのです。

 

 

 

 

 

最終的に「どうあっても、どうなっても全てが歓びである」という

絶対的な自己信頼がある。

自分の手で、自分の人生を創れる。

自分の手で、自分の世界を創れる。

 

 

その視点をしっかり得てからでないと

 

お母さん「問題」を解決したつもりになっても

また別の問題を、自分の中で作り出していってしまう。

 

 

 


 

 

 

 

お母さんを「問題」としている視点では

お母さんのことを、そのままフラットには見ることはできません。

そして「解決しなきゃ」という視点では、いつまでたっても解決はできない。

そしてまた、別の問題を作り出していく。

スパイラルです。

 

 

もし、本気でお母さん問題をどうにかしたい、

なんとかしたいと思うなら

まず、お母さんを「問題」としているのはなぜか。

どうしてお母さんを「問題」と感じているのか。

そこをノートに書いていきます。

ただ、淡々と、思うことを書き綴っていきます。

 

 

お母さんにあれをされた。

これをされた。

こういうことがあった。

こう言われてこう感じた。

 

 

罵詈雑言でもなんでも構わない。

我慢していたことをまずは全部

思いつく限り書き出す。

 

 

そのあとに

「なぜそう思うのか」

「どうしてそう思うのか」

を丁寧に自分に聞いていく。

 

 

 

この「なぜ」「どうして」を使うとき

自分を責めるように感じる、という人がいます。

 

 

 

責めるのではなく、寄り添う。

もっと深く言うなら、癒す。

 

 

 

自分で自分を癒す言葉をかけるんです。

癒し続ける。

自分をどこまでも、自分で癒すつもりでやること。

 

 

 

そして「お母さんのせい」にしていることで

自分が得をしてることを、書いてみる。

 

見たくないなぁーって思う気持ちが出て来たら

それも書いてみる。

 

 

 

因数分解していくイメージ。

「お母さん問題」について抱えている前提を全部、文字に起こして確認する作業です。

 

 

 

繰り返しますが

ただ、淡々と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛、燦々と〜♫違います。

 

 

 

 

「ああ、私お母さんのせいにして、こういうことから逃げてるな。ほほぅ」

「お母さんのせいにすることで、こういう人間だったことにしてるんだ。へぇー」


この視点です。

 

 

そして「自分は、どうしたいか? 」を自分に問う。

 

 

お母さんのせいにしたままがいいのか

そうじゃないのか

 

 

どちらを選んでも自由だし

どちらを選んでも歓びであることに一切変わりはない。

 

 

だとしたら、どっち?

 

 

 

 

 

お母さんに「自分のことを好きかどうか」聞く時点で

 

「もうお母さんのせいには、できなくなる」と腹を決めることでもあります。

自らへのお母さんからの解放宣言でも、あります。

 

 

 

それは

「自分の人生は、自分で創れる」と

自分の手に主導権を戻す、自分への最高級の敬意です。

 

 

 

 

 

 

自分がうまくいかない理由を

「誰か」「何か」「環境」のせいにしていると

 

 

 

一気に「自分の人生、他人次第」になる。

自分の力では、自分の人生はどうにもできないという錯覚に陥る。

 

 

そうすると目の前が文字通り一気に暗くなるんです。

身動きが取れなくなる。

だからますます周りを攻め始める。

全てが敵、という視点に陥り出す。

 

そして、文字通りそうなります。

 

 

 

それは、自ら主導権を放棄しているようなもの。

自分で自分に「お前なんかに自分の人生、創れるわけねぇよ」と罵るようなもの。

セルフネグレスト状態です。

それすらも感じられることがすでに歓びである。

 

 

 

これも、どちらがいいか悪いか、ではない。

どちらが好きか? どちらが自分のより好みか? で選ぶだけでいい。

 

 

 

 

「お母さん問題」を解決したら生きやすくなる、のではありません。

「お母さん問題」を解決したらたくさん稼げるようになる、のでもありません。

「お母さん問題」を解決したらパートナーシップが良くなる、のでも、ありません。

「お母さん問題」を解決したら親子間が超絶よくなる、わけでもありません。

 

 

 

「お母さんを問題としていたい」その意識にまず、メスを入れることです。

 

 

そこにメスを入れないと、また別の「問題」を引っ張り出して来て

解決ゲームを楽しむことになる。

 

問題を解決することへの快楽がやめられなくなるだけ。

 

 

 

 

解決ゲームはもう、やめよう。

もっと他で楽しいことをやってもいいんだぜ。

 

 

 

 

 

 

 

ノートには、癒しの力があります。

 

自分で自分に寄り添い、自分に言葉をかけることで自分を癒し続けることができる。

他の要因は必要としません。

 

 

 

 

自分一人でできる、癒しの力がある。

どんな傷をも自ら癒せる力を思い出すことができる。

すでにあることがわかる。

昔からずっと持っていたことがわかる。

 

 

格段に「生きやすさ」が変わって来ます。

他の何ものをも必要としなくていいから。

 

 

究極の自立。究極の自己愛。究極の自己信頼。

 

 

 

私は「それ」が「好み」です。

 

 

 

 

 

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言葉ひとつで、人を追い込むこともできるし

言葉ひとつで、人を救うこともできる。

 

だったら私は、言葉で人を救いたい、と思う。

助けたい、と思う。

 

 

救いたい、助けたいは

「困っている」から、ではない。

「何かが欠けているから」ではない。

 

 

ただ、その人が見失いかけている

その人自身の持つ本当の力を

私の言葉が

引き出すきっかけになればいいと、思っています。

 

 

 

 

幡野さんの本。言葉ひとつひとつが、染み入るように入ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎年、2月14日は神聖な気持ちになります。

 

 

 

 

よきバレンタインをお過ごしください♫