自分軸、自分を大事にする、というのは

 

  • 嫌なことだからやらない!!
  • 我慢しない!!
  • とことんわがままを言う!!
  • いい気分でいる!! 嫌な気分になることはしない!!

ということではありません。

 

 

 

今までものすごく抑圧されてきて

全然自分のことなんぞ、全く目もくれていなくて

全てを人のせい、周りのせいにしていた人は

一時的にやってみてもいいけどね。

(私は必要ないと思ってます)

 

 

これをやることをきっかけに

自分を見つめることができるようになったり

もう少し、思いを伝えても大丈夫なんだ、と知ることができたり

 

 

嫌なことは嫌、と言ってもいいんだとか

いろんな気づきは、もちろんあると思います。

 

 

 

ただし、ここに居続けると結局

二極を行ったり来たりしているから

 

「もう◯◯は卒業した!!」とか

「あっちの世界にはうんざりした」とか

「こっちが真実だった」とか

「目が覚めた」とか

振り子のようにあっちにいったり

こっちにいったりしているだけになります。

 

 

一方で極端なことをやり尽くせばいずれ、真ん中に落ち着く、という考え方もありますね。

 

それはつまり、バランス感覚のこと

バランスが取れるようになる自分を目指すということなのでしょうな。

 

 

でも、結局ね

バランスを取る、という意識がもう、二極の世界なんです。

 

均等でなければならない。

均一でなければならない。

それは偏っていてはいけない、という視点から生まれる、対比で成り立つ世界。

 

 

ここで言っておこう。

調和の世界、統合する世界、というのは「バランスを取る」ことではない。

 

こういうシーソーではない、ってことね。

 

 

 

 

「調和」「統合」ってどんなことかというと

この、真ん中の支柱を取り外すこと。

 

 

この支柱こそが、自分の持っている「前提」であり世界の見え方なんです。

 

 

「どっちかしかない」

「どっちかしか選べない」

「どっちかしか選ばない」

という視点をまず、外すこと。

 

 

ここを取り外す。

そうするとシーソーはただの板、になる。

フラットになる。

 

そうすれば、偏っているとかバランスとか、そんなものは最初からなかったことに気づく。


これが「統合」であり「調和」です。

 

 

全部ある。そして、この世界ではどうあってもいい。

 

 

その時々によって

選ぶことが変わったり

やることが変わったり

偏っているように見えても

内側では、全て統合されている。

調和がとれている。

 

 

外側に見える世界がどんなに矛盾していようがいまいが

内側では全ての辻褄が合っている。

 

 

それが「統合」であり「調和」です。

 

 

 

 

どれも正解。どうしたいかは自分で決める。

 

 

【重要記事】引き寄せという言葉が嫌いになった、その前提はこんなものがあるお話

 

 

 

どんな選択も、その時の自分の感じ方によって「変わるもの」。

変化変容していくもの。

 

 

例えばある朝。

目が覚めて毎日ブログ書こうと決める。

眠いけれど思い切って起きてやる。

肉体を無理矢理にでも動かしても、やりたいことがある。

「それをやれ」と私のコアが伝えている。

 

次のある朝。

眠くて眠くて仕方ない。

私は特に、生理前や排卵日前後は、起き上がれないくらい眠い。

今日は朝ブログ書くのを休む、と決める。全力で体を休めると決める。

 

どっちも、自分軸。自分を大事にしていること。

 

 

 

ある時。

自分はイベント出店で料理を出し、とても充実した時間を過ごした。

そのあと、とても大好きな人から「お茶に行かない?」と誘われた。

 

目の前にはイベント後の片付けが山積みで、何も終わっていない。

 

 

その時「私は今、この人と話す」と決める。出かける。

その時「私は片付けをきっちりやる」と決める。出かけない。

 

 

どっちも、自分軸。自分を大事にしていること。

 

 

それはただ、その場限りを楽しめばいい、ってことじゃない。

それに付随する、全てのことを請け負う覚悟の表明でもある。

一見いいことも、一見悪く見えることも全て、統合の世界ではどちらも同じこと。

 

 

 

それらもすべて、自分の内側を見つめて感情を大事に観察し

自分を大事にして自分を満たすことができるからこそ、生まれ出づるもの。

 

 

 

 

満たす、も同じことです。

 

 

調和の世界では

「ない」から満たす、の視点

不満があるから、不足があるから満たす、という視点ではない。

 

 

「自分を大事にする」「自分を満たす」というのは、

不快を避ける、ということではない。

 

 

だからいっときめちゃくちゃ流行った

「一流ホテルのラウンジでお茶する」とか

「グリーン車に乗り続ける」とか

「高級品を身につける」とか

いわゆる外的要因を取り入れることではない。

 

 

 

満たす、ということは

そのままである、ということをどこまでも許容し続けること。

そのままで全てがある、ということ。

 

 

 

 

 

究極の自分軸とは、この肉体と、コア(魂)にどう折り合いをつけるか、です。

 

いいことだけで埋め尽くすことでは、ないのです。

 

 

 

自分が今、感じていることひとつ取ってみても

自分の中にいくつもの矛盾を孕んだ声があることが、わかるはず。

 

 

やりたいけど、やりたくないとか

食べたいけど、食べたくないとか

行きたいけど、いきたくないとか

眠いけど、寝たくないとか

 

それらすべてを、受け取る。

これはいい、これが悪いとジャッジしたりせずに

まるっと全部、受け取ると決める。

 

すべて、見てみる。

自分の中で明らかにする。

 

 

その上で「何を選ぶか」は自由。

ここから先は、自分の好みでいい。

何をしても「自分軸」になる。

 

 

繰り返します。

これは

どっちが正しいか

どっちが間違っているか

勝ち負けの世界ではない。

 

 

 

勝ち負けの世界にいるから、どっちが正解かで悩むんだよ。

 

 

正しさなんてどこにもない。

バランスなんて、取らなくていい。

 

 

誰の中にも統合力は、あるんだからね。

二極をあっちこっちするのは、終わりにしよう。

それすらも喜びなんだと気づいたら、好きな方を選べばいいだけ。

 

 

 


 

 

 

そしてついに禁断の書(?)に手を出してしまった…

神聖幾何学の本。

むちゃくちゃ難しいけど、むちゃくちゃ痺れる!!

 

 

 

 

良き夜をお過ごしくださいね。