こんばんは!
連日のメッセージありがとうございます。
こちらからの続きです
今日は「依存」について書きますね。
依存の意味は
他に頼って存在、または生活すること
です。
結論から言っちゃいますと、私たちは大きな目で見て、必ず何かに依存して生きていますよね。
子供時代は誰でも親に依存して生きているし
サラリーマンは自分の意志で選んでいますが、会社に依存しているとも取れる。
根本的に人間そのものは、地球に依存して生きているわけです。
だから、依存は悪いイメージに取られがちですけれど、ぜき的見解では生きていく上で大事なもの、必要なものだと思っておりますですよ。
共依存や相依存も、需要と供給があって成り立っていますしね。
たとえそれが最悪な状態だとしても、その人が自分に気づくために必要な出来事なのかも知れませんしね。
さて、それを大前提として説明しますよ。
大きく分けて、依存の方向性はふたつに分かれます。
「これがないと生きていけない」「どうしたらいいかわからない」など
自分の生活や判断基準全般を何かに委ねる状態(マイナスからゼロ)と
「これがあればもっと楽しい!」など、すでに自分を満たしていて幸せだけれど、更にそれがあったら嬉しいな、という状態(ゼロからプラス)。
でね。
マイナスからゼロの時、どうしようもなくどん底の時、ひとりだと不安な時期は人や物を頼ってもいい、と私は思うんですよ。
ただし!ですよ。
元も子もないシリーズ第2弾。
ズバリ言うわよ。細木数子調。
依存していることを必死に隠して、自立してるように見せかけて人をジャッジしまくる人が多いんですよ。
あはははは。私もやってた。ものすごくやってた。
それをいかにも「自分軸」として演出する人が多い。
こちらもザクほどではないですが、量産型です。ええ、そりゃもう雨後の筍のように。
「ワクワクするからこれは自分軸だもん♫」って、無理やり言い聞かせて誤魔化している人。
「いかにも整っています」って演出して、キラキラな自分をSNSでバンバン出す人。
正直なところ
隠せてると思っているのは本人だけ!
周りはほぼ、気づいてますから!!!
それこそまさに夢芝居。
梅宮辰夫、私と誕生日一緒…どうでもいい(笑)
だから、依存してるなら「今はこの人を頼っていて、いろんなことを相談しています。その中で自分はこう思います」と、もっとはっきり「依存」を認めてしまえばいい。
私だって、自立しているところと依存しているところがあります。余裕でありまくりです。
前は必死に隠していました。
人を頼ることが悪いことで恥ずかしいことだと思っていたんですね。
なんか、こういう心で生きる方法を伝える立場としては、ひとりで道を切り開いた!ってほうがカッコええじゃないですか(笑)。
本当に本気でそう思ってたんですよ。アホな自分が愛おしいわぁ❤️
だけど、そんな演出したり誤魔化したりしたって、自分が変わるわけではない。
人を頼ることにバツをつけていたら
依存にバツをつけていたら
自立も、受け取れない。
それがこの世の成り立ちです。
つまり
依存を無視するのは、究極の自己否定、自己乖離。
それは見たくない自分だろうけれど
隠していたぶん、絶望に繋がるかも知れないけれど
それを認めたら本当に楽になる。生きやすくなる。
依存がダメなのではなく
依存を認めず自立を演じていると、どんどん自己乖離していくよ
って事ですね。
自分を明らかにしていくと、こんな風にいろんなカラクリがわかってきます。
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