現役信徒だった時も、棄教した今も、他人の幸せそうな家族を見ると思うことがある。
あそこは自分たち家族よりマシだなと。
そして、あの人は自分なんかより家族への愛があるんだな、人格者なのかな?、なんてことを思ったりする。
そうなのである。我が家庭のうちには、熱感ある愛なんか、かつてもなかったし、今もそんなものはあまりない。昔から今に至るまで冷えた愛が続いているのである。
・・・
けれど、棄教前後で、私の中で、家族についての想いが変わっている。それは何であるか?
昔の私は、理想とは正反対の家族の現状にもがき苦しんでいた。理想にそぐわない人生の実情は、極寒の思いの中にあった。凍りついて身動きが取れなかったのである。
しかし今は人生の温もりを日々感じている。
先日も私の妻は、子供たちに向けて言い放った。
「お父さんのような人とは絶対結婚するなと!」
冷たい隙間風が吹くような家族の現状は、今も昔とあまり変わらないのかもしれない。
けれど、今はそんな風は、心を冷やしたのち、どこかへ吹き去っていく。そして、風が止んだ後には、生活の温もりを感じることができる。
この変化は、心して味わった者でないと、きっとわからないに違いない!
棄教後の人生。それは『棄教!!劇的ビフォーアフター』。では、ピアノ演奏『匠』を聴きながら、さようなら。
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