私の心に残った言葉⑰「ヘーゲル弁証法」~現実社会で生きる勇気をくれた言葉〜 | 波立つ海に沈みゆく月 ~旧統一教会さよならブログ~

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統一教会は、だいぶ前から衰退している。二世の未来は全体として明るくない。
これに最後に責任を持つのは、本人と社会だと思ふ。(しばらくブログの本説明文をいじります)

人が生きていくのにおいて、個人はどうあるべきかという人生観、家族はどうあるべきかという家庭観、そして社会はどうあるべきかという世界観が大切であるに違いありません。
 
このこと自体は、宗教人も非宗教人も同様だと思います。
 
私がかつて在籍していた統一教会の世界観は、神の下に人類一家族世界を創ることを理想とするものでした。それはつまり、親なる神の子供である全人類が、互いに兄弟愛で与え合う愛の理想社会を創るということでした。
 
しかし、その世界観による理想社会は、結局は、その社会に所属する個人の自由を強く制約するものだったと思います。
 
そこで、ひとつ問いかけをしたいと思います。
 
 
個人の自由とは何でしょうか?
もし個人がみな自由に生きたら、
どんな社会が実現されるのでしょうか?
 
 
私は2019年に統一教会の信仰を捨てることを決めたとき、統一教会とはもう完全に決別して、個人として自由に生きることを願っていました。
 
しかし、当時の私は、社会はこうあるべきという世界観を完全に見失っていました。そして私は、この現実社会の一員としてどのようにして生きていけばよいのか、深く悩んでいたのです。
 
 
・ ・ ・
 
 
今回の話は、現実社会の一員として生きることを求めていた当時の私が、悩みながら最後の最後に手にした言葉です。それは、ドイツの哲学者ヘーゲルの言葉でした。
 
統一教会に長年いた私は、この現実社会は偽りの悪なる社会であると教わっていました。だから統一教会は、善なる理想社会をつくろうとしました。当然、私には、統一教会が実現しようとする理想社会の一員であるという自覚はあっても、この現実社会の一員であるという自覚は欠如しました。
 
そして私が統一教会の信仰を捨てたとき、結局、私の周囲には“偽りの悪なる社会”だけが残ることになったのです。その現実社会の中で、私は都合よく開き直って、その社会の構成員にはなるなんていう自覚を持つことはできないのです。
 
そんな私の深い悩みに、見事なまでにヘーゲル哲学は答えをくれたのでした。
 
 
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私にとってのヘーゲル哲学、なんていう話をし出すと、長くなりすぎて収拾がつかなくなりそうです。だから、今回は、重要な話だけを、かいつまんで残しておきたいと思います。(※なお、私は哲学者ではありませんので、不正確な内容があっても勘弁してくださいませ。)
 
統一教会の信仰は、真の愛の実現のために神の国(理想社会)をつくろうとするものでした。そして私は、そんな統一教会の神を捨てて、自由に生きることを選びました。
 
これに対し、ヘーゲル哲学は、個人の自由の実現のために神の国(理想社会)をつくろうというものでした。つまりヘーゲルによれば、人間は自由に生きることによって理想社会をつくることができると言うのです。
 
しかし、人間とは感情の生き物であるがゆえに、個人の自由は他者の自由とぶつかり合います。また、その個人は、自由に生きることを求めながらも他者からの承認欲求も求めるようになります。
 
ヘーゲルは、個人の自由が他者から承認を受けるためには、普遍的な価値観が必要であるといいました。さらにヘーゲルは、個人の自由を保障する普遍的な国家や世界の在り方を考えた哲学者でした。
 
つまりヘーゲルは、個人が自由を求める理想は、社会の現実と衝突するが、その2つは矛盾せずに発展的に解消できるのだといいました(ヘーゲル弁証法)。そうやって、人類の歴史は自由の実現のために流れてきており、その行き着く先は、国家や法により自由が実現されるといったのでした。
 
 
・・・
 
 
ヘーゲル哲学は難解で実は私もあまり深く理解することができませんが、それでも、ヘーゲルが語ったとされる哲学的なさまざまな言葉は、私の人生観・世界観を完全に変えてくれました。
 
それは、個人の自由という価値をとことん肯定する哲学でした。

統一教会を棄教して不安定だった私自身に対して、個人としての意思、感情、良心を存分に追求しても良いのだということを、ヘーゲルは教えてくれたのです。
 
そうした理想を求める過程で、もしかしたら、さまざまな現実の壁にぶつかるかもしれないが、その理想と現実は発展的に解消できるのだということを、哲学というカタチで確信を持って私に教えてくれました。

ヘーゲルは、個人の自由を求めた近代という時代に生きました。その時代を経て、現代という時代も、そして日本の社会も存在しています。

そして、私は現代の日本社会に生きています。ヘーゲル哲学は私に個人の自由の意味を教えてくれ、自由と人権を保障する現代社会で生きて行く勇気と覚悟を与えてくれたのです。
 
 
本記事にて、『私の心に残った言葉』シリーズで最も書きたかった記事を書き終えました。難しい記事だったので、これでスッキリしました。

このシリーズは、あとは気まぐれで不定期の執筆になると思います。
 
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