書籍『反日種族主義』(2019年、李栄薫[編著])は、韓国の学識者らによって執筆された、嘘のはびこる韓国社会への強烈な学術的批判書であって、その内容は統一教会の組織文化への批判としても有効であるように思われる。
そこで、このブログでは『反日種族主義』を読み、印象に残った内容を紹介していきたい。それで韓国社会の実像を知れば、少しは統一教会の実像も理解できる、のかも知れない…。
このシリーズの第12回の記事は、書籍『反日種族主義』より、朝鮮のシャーマニズムと肉体主義について考察する。
書籍によると、朝鮮シャーマニズムの現実は物質主義として現れ、物質主義は性的快楽を追求する肉体主義でもあるという。
書籍に簡潔に書かれたこの一文は、統一教会の不可解な性の信仰観と、その性の現実の矛盾を読み解く鍵になると思う。
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さて、朝鮮シャーマニズムについて連続して記事を書いているが、今回の記事はその佳境に入ると思う。それは性の問題、つまりシャーマニズムと肉体欲の話である。
これまで述べてきたように、朝鮮シャーマニズムには霊魂不滅の死生観がある。まずこれが極めて重要である。
そしてこの死生観により、生きている時の身分に執着する身分欲と、物質を追い求める物質欲が生じるというのが著者の説明であった。その物質主義の現実は、性的快楽を追求する肉体主義であると著者は言う。
とりあえずは、著者が書いているこの言葉をまずは覚えておきたい。
物質主義は性的快楽を追求する肉体主義でもあります。…1966年、20代の女性の8.1パーセントが、長いか短いかの差はあれ、ある期間、性売買に従事しました。
(『反日種族主義』、エピローグ、p.335)
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妓生(キーセン)の身分は官婢であり、妓生の娘も母親の身分を継承して妓生になる、という法が作られたのは、朝鮮初期の世宗のときです。…朝鮮の政治哲学は、どういう論理で妓生を正当化したのでしょうか?とにかく、朝鮮王朝時代は性的に清潔な社会ではありませんでした。卑賤な身分の女性に対する性暴力が、身分制の論理の下で正当化されていた社会でした。
(『反日種族主義』、エピローグ、p.235〜236)
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そして、こうした李氏朝鮮での身分的性暴力の時代は、身分制が解体された日帝時代において変容していったと、著者は言う。
日帝時代において、日本の公娼制が朝鮮半島に移植され、市場経済が活発化することにより、商業的売春が増加していったという。
こうした状況を、著者は、日本から移植された公娼制が、朝鮮の性支配の歴史を土台にして根づき、発展していったと説明している。
1916年、朝鮮総督府が施行した公娼制は、…公娼制を朝鮮に移植したものでした。…1916年の公娼制施行を以て身分的性暴力の時代が去り、商業的売春の時代が始まった、と言ってよいと思います。
(『反日種族主義』、エピローグ、p.238)
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身分制と性道徳の歴史的関連性について、…朝鮮王朝時代の両班たちは妾を持ちました。…日帝期に入って妾性が、…少なくとも衰えることがなかったのは確かのようです。むしろ旧来の常民身分の人たち…が両班身分を自称するにつれ、妾を持つ人々が増えた可能性が高いと思います。そのことも、貧しい下層民が娘を売りに出す時代的傾向を促しました。
(『反日種族主義』、エピローグ、p.250)
話をまとめたい。
筆者によれば、朝鮮シャーマニズムは、身分への執着と物質主義を発露し、それは結局、性的快楽を追求する肉体主義でもあるという。一方、朝鮮シャーマニズムは、統一教会にも何らかの形で受け継がれており、このことを指摘する研究者は極めて多い。
とすれば、朝鮮シャーマニズムの“肉体主義”も、統一教会に何らかの影響を及ぼしているに違いない。
統一教会の宗教哲学は、どういう論理で、教祖一族や信徒たちの性的問題を正当化したのでしょうか? とにかく、統一教会は性的に清潔な宗教ではありませんでした。
そして結局は、統一教会、シャーマニズム、肉体主義も、何らかの関係で互いに確実に通じ合っているのである。
今回の記事はここまで。次回で朝鮮のシャーマニズムについては最後になる予定です。お楽しみに!
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