1年8ヵ月ぶりの、テーマが「ひとりごと」の記事です。ブツブツと戯言を綴るだけの記事ですので、どうぞハナクソでもほじりながら見てやってください。 (( ̄δ・ ̄)ホジホジ

 

 

 今回の記事タイトルを見てピンと来た方はおられますか? まぁ、何のことだろうと思われる人のほうが多いんだろうとは思いますが。
 はい、本日は鼻濁音について書いていこうと思います。当ブログではこれまでにもときどきこのワードが出ることはあったんですけど、今回はとくにスポットを当てながらブツブツと展開していきます。

マイク
まずはコチラの動画をご覧ください。文章で説明するよりも、わかりやすいです。

※上の動画で語られていないものもあります。数字の「五」は語の途中であっても鼻濁音にはしないというルールがあります。だから『赤とんぼ』の「十五でねえやは嫁に行き」の「十五」は鼻濁音では歌いません。ですが、おなじ「じゅうご」という発音であっても「銃後の守り」という歌詞であれば鼻濁音です。

 鼻濁音の対象となる「がぎぐげご」を文字で表すと「か゜き゜く゜け゜こ゜」になるということです。
 アナウンサーや声優など、声の仕事をされる人なら鼻濁音の指導は受けるものなんだとは思うのですが、最近では実際にこれを使っている人が激減してるような気がします。アナウンサーで現在でも鼻濁音を使って発声してる人といえば、パッと思いつくのは『クイズ!脳ベルSHOW』の川野良子さんですかね。彼女はかなり徹底しています。
 歌もそうなんですよね、本来は。往年の歌手は鼻濁音の習得が必須だったようです。とくに演歌やムード歌謡の歌手は、だいたい鼻濁音をマスターしています。歌手はもちろん、タレントや役者などの歌が本職でない方々がレコードを出す際にも、その多くは鼻濁音で歌われていました。当ブログで扱いました方々を例に出すと、児島みゆき(女優。ただし子役時代にコーラスグループとしての活動あり)、石立鉄男潘恵子(声優)、志賀勝(俳優)、山崎照朝(武道家)など。
 アイドル歌手だってそうです。キャンディーズは鼻濁音率が高い(ただしコンサートになると使われてないこともある)。あの歌のセンスが絶望的になかった能瀬慶子ですらレコーディングの時点では鼻濁音で歌っていた。だからこの当時は歌を歌う以上、鼻濁音というのは重要視されていたんだろうと想像いたします。
 とはいえ鼻濁音じたいはテクニックと呼ぶほど難しいものではないと思います。ちなみに私が鼻濁音を覚えたのは小学校1年生のとき。担任の先生から教わりました。だから「か゜き゜く゜け゜こ゜」は歌唱する際の基本だという認識はそのころからあったんです。
 ただし、かならずしも鼻濁音でなければならないとも思っていません。キャンディーズや能瀬慶子の時代にあっても鼻濁音を使わない歌手はいました。だけどそれは、彼ら・彼女らが「この曲は鼻濁音の表現では弱い」と判断したか、自分たちの歌唱スタイルには合わないと判断するなどして、あえて使わない選択をしているものだと思っていたのです。

 

 

 

 つい先日、石川さゆりの特番を見る機会がありまして。ここで私は彼女の代表曲のひとつ『天城越え』を注目することに。あまえ。ガ行の続く箇所をどう歌うのか、に興味があったからです。
 鼻濁音の法則からすれば「あまき゜ごえ」と発声するものだと予想しておったのですが、番組で使われた映像を見るかぎりでは「あまぎーこ゜~え~♪」と歌っていたのです。これは私の認識が間違っていたのか? あるいは「ぎー」の箇所は極端に高いキーなので鼻濁音にすると歌いづらくなるとか? ・・・そんなことを考えたりもしたんですけど、わかる人がいたらおしえてください。
 ちなみに石川さゆりは熊本県出身。ここは日常的に鼻濁音を使うことのない地域だそうです。ゆえに彼女は鼻濁音のマスターには苦労したらしい。そういう私も、育った広島地方で鼻濁音を駆使する日常会話は聞いたことがありませんでしたけどね。

 

 余談になるが、石川さゆりといえば2015年のテレビアニメ『ルパン三世(第4期)』のEDテーマとして歌った『ちゃんと言わなきゃ愛さない(作詞:つんく/作曲:大野雄二)が私らのあいだで評判になったことがある。もともとアイドル歌手だった石川さゆりとはいえ、あんな表現ができて、あんな引き出しがあったのかという驚き。知人で元業界人のKさんは「しかも色っぽいんだよな」と絶賛。そこへ私は「あれは『紅白』で歌うべきですよ! いまのNHKなら他局の曲でも歌えそうだし、もはや『津軽海峡・冬景色』と『天城越え』のルーティンやってる場合じゃないでしょ」と、どうせ紅白なんか見ないくせに同曲を激推ししていたものだ。

 


 それから少し経ってからでした。石川さゆりはこれ以外にもルパン系の歌を歌っていることがわかった。ルパン第2シリーズの第52~103話に使われたEDテーマ『ラブ・スコール』(作詞:槇小奈帆/作曲:大野雄二)のカヴァーである。
 大野雄二氏の輩出するルパン系の音楽がどれも傑作だとは思うのだが、正直、この『ラブ・スコール』だけは私にはピンとこなかった。嫌ではないのですが、よくわからなかったのです。それが石川さゆり版では
「おっ、これいいじゃん!」て思うように。
 そこで今回は『ラブ・スコール』の聴き比べをやってみました。もちろん鼻濁音はどうしてるのか、をポイントに。
 同曲には鼻濁音を使える箇所が少ないです。唯一、冒頭の「もう逃がさないわ♪」だけが対象になりそう。その結果、オリジナル歌手=サンドラ・ホーンはふつうに「にさないわ」でした。いっぽうの石川さゆり、見事に「にか゜さないわ」になっています。
 これはサンドラ・ホーン(サンディー)という人がアメリカ人と日本人とのハーフだから鼻濁音は無理だったのかとも思いましたが、調べてみたら一時的にハワイへ渡ったことはあるものの、だいたいは日本で暮らしていたみたいなのであんまり関係なさそうです。
 あ。意外ではありますが、異国育ちでもカルロス・トシキは鼻濁音がバッチリだったんですよ。



 近年では鼻濁音を使う歌手も激減していますね。絶滅危惧種かと。若手の歌手ではほとんど・・・強いて挙げれば三浦祐太朗が何かの番組で歌を歌う際、母の山口百恵から「鼻濁音を使うといい」というようなアドバイスを受けてきたと話していたっけ。
 そもそも鼻濁音を知らないという人も多いのではなかろうか? 何年か前、ミュージシャン志望の人と雑談したとき、鼻濁音の話をしてみたら「何ソレ?」って顔をされました。なんかモッタイナイですね、これひとつ使うか使わないかで幅が広がると思うんですけどね。しかも、そんなに難しくはないことなのに。
 鼻濁音を意識して歌うと響きがキレイになります。歌い手の声も楽器のひとつだと解釈すれば、とくに必然性のあるときを除けばキレイな発声ができたほうがいいような気がするんですけどね。
 ものまね番組を見ていても、鼻濁音を大事にしてる歌手を真似て歌ってるんだけど、タレントが鼻濁音をスルーしてるので大きくマイナスになってるケースもけっこうあって・・・もっとも、審査員が気づいてないケースもあるとは思いますけど。

 で、これも先日の話。
 最近よく出入りするようになった場所にいつもいる人=CMさんが、どうやらミュージシャンやってるらしい。それもバンドのヴォーカル。
「こないだプロダクションとの契約が・・・」云々の話をしてたから、今後はプロとしてやっていくんだと思う。それ一本で生活できるほど稼げるのかは別として。
 せっかくだから長年の疑問を訊いてみたんですよ。最近の歌手は鼻濁音をどのように位置づけているのか、と。


CMさん「それは時代性もあるし、各々の感性だから・・・」
チアーさん「基本的なことなのに、ですか?」
「そうです。いまは何が売れるかわからない。基本ができてるからといって、売れるものでもないし」
「べつに私は、なんでも基本どおりにすればいいと思ってるわけじゃないんです。ただ、基本的なものはとりあえずマスターしておいて、そのうえで必要がないと思えば引き算していくなり変化球を使うなりしていくものなんじゃないんですか? でも最初から知らない人がいるのはどうなのって思うんですよね」
「知らないのも各々の感性です」
「え、それも感性なんですか⁉ Σ( ̄□ ̄|||)」

 ――そんな会話をしたんです。なんともモヤモヤするというか、納得のいかない回答でした(苦笑)。
 たしかに何がウケるのかはわからないんでしょうけど、じゃあみんな何のためにレッスンするんだろう? そりゃ基本に忠実なだけで無個性な歌い方では、いくら上手くたって面白みがなくなるのもわかりますよ。じゃあ極端な話、みんながキワモノに走ってしまったら薄っぺらく感じるようになりませんかね? キワモノもいいけど、そういうのは時間が経てば飽きられてしまう傾向が強いですしね。その時代にしか通用しなくて、10年も経てば小手先だけだったのが露呈してしまうパターンもあるしね。歌ってた人はもちろん、それを支持した側も黒歴史になってるのとか多いじゃん。

 ずーっと聴いていられるのは、やっぱり上手いと思える人の声になってくるんじゃないかな?

 そもそも私は「売れる・売れない」や「時代」でモノゴトを片づけられるのが大嫌い。なんでも多数決で決められてしまうかんじが。多数派が正しい、みたいな空気とか。

 プロレスでいうところの「いまは客が楽しめればいいのだから強くなくてもいい」みたいな論調もそう。どうせ多くの人にはわからないものなんだから、そういう時代なんだから、プロはお金になってナンボなんだから・・・で締めくくられちゃうアレ。「それ言っちゃオシマイじゃね?」みたいな。
 ある部分でいえば正論なのかもしれませんけど、つまんないですね、そういうこと言う人は。私は、たとえお金にならないとしても、大衆の支持をもらえなかったとしても、譲ってはいけないものがあるんじゃないかと思うのですけどねぇ。
 とりわけ歌の世界でいえば、昭和の終わりごろから歌の上手さが二の次・三の次とされ、歌い手の見てくれだけがセールスを左右する傾向が強くなってます。どんなに上手くたって曲がよくたって、ルックスに恵まれなければなかなか売れないとか。日本人は音を聴いて評価することをしなくなったので、そっちのほうを修行しても無駄なんですかね? 無駄だとして、ではそこはスルーでいいんでしょうかね?
 おニャン子のメンバーみたく素人のカラオケと同等レベルの歌い手やAKB商法のようなやり方で売れるのがある。あれも売れたんだから認めなきゃならんのかというと、ビジネスモデルとしては成功したんだろうけども、決して音楽の部分で評価されたわけじゃないものなので、ああいうのをプロの歌手の歌としては到底、認める気にはなれんのですよ。
 近年では声の加工が度を越している。もともとの声がわからない、誰が歌っても一緒・・・つまり「この人の歌じゃなくてもいいよね?」と思うものも多数、存在する。極端な音痴歌手があまり見られなくなったの、それは音痴がいなくなったんじゃなくて加工されてるからまともに歌えてるように聞こえるだけとか。歌ってる本人も加工されてるのに気づいてないとか、ね。
 だから近年にレコーディングされたものは疑いながら聴かなきゃならない。実際、そういったものが心に刺さることはほぼなくなりました。逆に、むかしのアナログなサウンドを聴くと、それだけで有難みを感じてしまうことも。

 別の知人=Oさんはアニメ歌手志望なんだけど、武器とするものを身につけたくてオペラを習っている。
 そのOさんが、歌手志望の練習生を募集してるサイトに「腹式呼吸ができなくてもOK」といった文言が書かれていたので「おかしくないですか? 腹式呼吸は基本です」・・・というような抗議文を送ったら無視された、と言ってたことがあります(笑)。
 こういったことも、CMさんから言わせれば
「時代」「各々の感性」でオシマイなんでしょう。あー、モヤモヤするわ~。 (~_~;)
 思えば私が鼻濁音の話をはじめた際、CMさんは
「鼻濁音、鼻濁音、鼻濁音・・・?」と、まるで「なんだっけ、それ?」って言いたげな顔をしてました。ひょっとしてCMさんも、本当は鼻濁音を知らないんじゃないかと私は疑っております(笑)。
 なおCMさんが生涯でいちばん好きな映画は『ゴースト/ニューヨークの幻』なんだとかで。きっと私とCMさんは感性が合わない。