参ったね。こんなに効くとは思わなかったよ。

 この前の劇場版『鬼滅の刃』で味のしない料理を食わされたような気分になりましたが、そのあとでかねてから見たかった『オールド・ボーイ』という容赦なき攻めの映画を拝見することで気分的には持ち直すことができました。
 しばらく物語性のある映画やテレビドラマからは離れ気味だったのが、このところは時間が足りなくなるくらい見るようになっている。

 


 そして本日、記事にしますのは、かつてフジテレビ系列で放送されたテレビドラマ『過ぎし日のセレナーデ』であります。番宣キャッチフレーズは「大人の恋は長編になる」。辛口で骨太なドラマである。主なキャストは田村正和、古谷一行、高橋惠子、池上季実子、石野真子、泉谷しげる、石黒ケイ、芦川よしみ、野村宏伸、野際陽子、浅利香津代、黒木瞳、岡田眞澄、高木美保、渡辺満里奈、山口智子、薬丸裕英など。主題歌は「よいこのデンジャラスセレクション⑪【日々】毎日がエブリデイ」のときに掲載したことがありましたね。
 同作品は、私が初めて「ドラマもいいかな」と思うようになった番組でした。見た当時は画面に釘づけになるほど夢中になれたものですが、当時よりも目の肥えたいまの感覚ではどう映るだろうか?
 残念ながら同作品は田村正和主演作品でありながら、どういうわけか未ソフト化とのこと。それが、フジテレビTWOで放送開始との情報。これは見逃すわけにはいかない。



 

 しかし、ひとつ不安があった。フジテレビTWOではこの番組を1日2話ずつ放送するというのだ。平日は毎日。全21話。うちの録画機はHDDの容量が少ない。しかも常にギリギリいっぱいまで溜めてしまっている。とりあえず現時点でソフトに焼けるものは焼いといて空きを作るが、それでもそんなに余裕はないのだ。
 放送されたものはさっさと見て、早めに焼くしかない。けっこうヘビーだ。でも、こうするしかない。決めた。しばらくはヘビーなスケジュールで過ごすことにする。
 放送は11月1日午後12時10分から。効率よく番組を見るため、私は当日の、受付が開始される朝10時にスカパーさんへ電話することにした。月の初日にチャンネル変更の手続きをしておけば、その月は変更前のチャンネルもまるまる見れてお得だからだ。
 ところが、おなじことを考えてる人が多いのか、なかなか電話がつながらない。手続きはインターネットからもできるそうなのだが、ログインする作業だけで私がやると数時間かかってしまいそうだったので電話にしたかったんだが・・・。
 結局、電話がつながるのに40分を要した。落ち着いて、慎重に伝えた。間違えると大変なことになる。なにしろこの番組は、今回を逃すと次はいつチャンスが訪れるのかわからない。失敗するわけにはいかないからだ。
 手続きは無事、完了。これで30分後にはフジテレビTWOが映るようになる・・・はずだった。ところが、1時間待っても映らないという予想外の展開に! 時間が迫る。おいおい、間に合わなかったら何のための電話かわからんぞ! Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)
 もうダメかと諦めかけたとき、パッと画面が映りました。放送開始7分前。あぶねえ、あぶねえ。 (;´Д`) 
 以後、ハイペースでの視聴がしばらく続きました。初日は2話連続。その後も24時間空けないうちに次の回を見る――という毎日。でも、まったく苦にはなりませんでした。内容が素晴らしかったからです!

 この記事を書いている時点で、全話、見終えています。しかし、どうもまともなレビューができそうにありません。
 知人のKさん(元脚本家。『過ぎし日の~』は、ご存知ない)との雑談のネタとして話そうとしても、どう伝えたらいいのかわからない。いつものように「こんな作品がある」「あのアニメの見どころは・・・」「あの時代劇は、こんな展開でしてね」・・・といった紹介ができない。内容が複雑だから、口頭や文章でどんな作品かを説明することが私にはできないのだ。
 とりあえず、フジテレビのサイトへ書かれてあったあらすじを以下へ引用してみる。

 

10年ぶりに南米から帰国した老人、榊隆之(田村正和)は、大財閥の御曹司である海棠泰隆(古谷一行)に会いに行く。2人は異母兄弟で、かつて泰隆の妻、志津子(高橋惠子)を奪い合った宿命のライバルである。
少年時代から50年に及ぶ対決に決着をつけようと、胸に拳銃をしのばせる隆之の脳裏に、これまで愛してきた女たちの姿が浮かぶ。ともに家庭を持った千恵(石野真子)、激しく燃えた森下真実(池上季実子)。だがずっと愛し続けたのは志津子。そして、人を愛すれば愛するほど、自分も周りも不幸になっていく隆之だった。
生涯にわたり一人の女性を取り合う。だた単なる三角関係ではなく、波瀾万丈の展開を見せる筋書きで善悪では割り切れない複雑な人間模様を描いており、この時代のドラマとしては大変珍しい作品である。
東京と神戸を舞台にした長編メロドラマ。第一回がドラマ全体のラストシーンから始まるという大胆な手法でスタートする。

 

 これだけの紹介だが、よくがんばったと思う。私にはこの文章ですら書けないだろう。しかし、私がこのドラマから感じたものは、こんなものでは済まない。
 まず、私は映画やドラマなどを見るにあたり、映像の質感(フィルム使ってないと嫌!)や「どこまで攻めているか?」などにはこだわるが、ジャンルにはあまりこだわらない。それが唯一、ラブストーリーだけは遠慮してしまう傾向にある。
 その点、本ドラマはカテゴリ的には一応、ラブストーリーということになるのだろう。にもかかわらず私が本ドラマに魅かれたのは、単なるラブストーリーでは収まらない、人間たちの人生もようが心に沁みたからである。重い。暗い。悲しい。

 


 毎回、泣きそうになりながらの視聴だった。それは脚本がどうの、撮り方がどうのと分析に走りがちになる私にしては、かなり珍しい。
 私がドラマに免疫がないから魅かれたのではなく、本当に本当に素晴らしい作品だったのだなと痛感。どっぷり感情移入してしまうに至る作品はこれだけかもしれない。
 脚本を担当したのが『俺たちの旅』でメインライターを務めた鎌田敏夫氏ですよ。いろんなタイプの人間たちのぶつかり合いを描くのを得意とする、シナリオライターになるべくしてなったような方です。
 本作品では、それが大爆発したかのような印象でして。どの登場人物にも「自分がこの立場なら、そうするかも」と思えるような説得力がありました。
 鎌田氏自身、この作品が自作のなかでいちばん好きだとコメントしたことがあるらしい。

 リアルタイムでの視聴率はイマイチだったそうだが、田村正和さんが自身出演のドラマでのお気に入りとして真っ先に挙げたのが本作品だったようだ。それも納得するにはじゅうぶんで、壮年期から中年期を経て晩年期に至るまで、さらには理想的なマイホームパパも非情な男の顔もヨボヨボな老人の姿も幅広く演じているのだ。
 ただでさえミステリアスなのに演じた人物までが訳ありミステリアスなキャラクター。さまざまな引き出しを披露してくれる。役者としておいしいばかりでなくドラマも重厚なので、田村正和の底力を見せつけられるような印象がある。本当に凄い俳優さんであったと、つくづく思った。



 田村さんがお亡くなりになり、各メディアは彼の代表作として『古畑任三郎』を採り上げた。再放送もされた。たしかに古畑もいい。わかりやすさという意味でも一般層の食いつきはよかったのだろう。
 だが私は「田村正和といえば古畑任三郎」という層にこそ、このドラマを見てほしいと思う。軽く、お気楽に見れる古畑もいいが、重く、シリアスな演技の田村さんは最高ですよ、というのを知っていただきたい。
 ・・・そんな話をKさんに話したら「オレにとっての田村正和は『黒薔薇の館』のイメージが強すぎてだな・・・」とか言ってたけど。汗 あと、Kさんはフジテレビが大嫌いなので見ないだろうな(苦笑)。

 田村さんだけじゃない。出演者がみんなイイ。細かいところを挙げれば、やけに「偶然バッタリ」が多かったり、みんな美形ばかりだったり、神戸市民が誰も方言を話さなかったり・・・といった穴もないことはないのですが、そういうのもあまり気にならない。
 そこはたぶん、ドラマ以上に、熱演する各キャストのトーンが限りなく本気モードだったからではないかと思う。役者力、というやつだ。ただならぬ熱を感じました。全員を手放しで称賛したい。

 一般層へのウケはイマイチだったのかもしれないが、作品にかかわった当事者たちのなかでは想い入れの強いドラマだったようだ。
 思えば私はそういうものを好きになっていることが多い。それらに共通していえるのは、媚びてる感があまりしない点であろう。多数派が見たいものを提供するのではなく、作り手が本当にやりたいことをやってる度合いが強いのではないかと感じられるものが。それが結果的にマニアックなものへ走ってるように映るというのは、あるかもしれない。

 また本作品を見返しながら、ところどころで「あれっ、これ、自分のなかにあるぞ!?」と思うような場面があった。場面そのものは憶えていなくても、どうやら自分の人格形成になんらかの影響を与えられていたらしい。
 それを考えると同作品は、私にとって特別な位置づけになるのも当然のことなのだろう。
 

 

 大島ミチルが担当したBGMもよかった! サウンドトラック出せばいいのにとも思う。オリジナルではないが、演奏してみたという方がupしていた音源があったので掲載しておく。
 なかでも3番目の曲が最高!👍 オリジナルではピアノとヴァイオリンの旋律が本当に素晴らしかった。三拍子。タイトルはとくにないらしい。
 そういえば番組主題歌『愛してセレナーデ』の原曲はシューベルトの『セレナード』だが、あれも三拍子だった。『愛して~』はそれを4拍子にアレンジしたものだったのか。


 

 意外なことにネット上では『過ぎし日~』を支持する意見が多く、最高傑作と位置づける書き込みも少なくなかった。なかには私とおなじような想いを抱く方もいる。

 これまでにもソフト化・再放送を切望する声が、こんなにあったなんて・・・。やはり、わかる人にはわかるんだな。

 

 

 大事なことを書いておく。
 劇中で、第1話はいきなり主人公の晩年(ラストシーン)から始まるという演出で、過去の出来事をモザイクのようにフラッシュバックしていく。時系列的にアッチ行ったりコッチ行ったりで繋がれているため、初めて見る人にはわかりにくいと思う。じっくり展開されるのは2話からだ。
 おそらく第6話以降の中年期が初放送当時('89~'90年)のリアルタイムにあたる設定なんだと思う。5話くらいまでの壮年期は10年前だから'79~'80年。終盤の晩年期は'00年か、中年期は長かったからもっと後の時代になるのかもしれない。
 物語の終盤、晩年の主人公がかつて自分の住んでいた場所を訪れるくだりがある。2000年代の街。物語が東京と神戸を行ったり来たりする展開だったので、当然、神戸の街の様子も映っている。
 ところが神戸では1995年に起きた阪神・淡路大震災により、街のいたるところが崩壊することになった。劇中の重要な場面でロケに使われた建造物なども現実には倒壊している。撮影された当時には予測していなかったのであろうが、結果的に当ドラマの映像は震災前の神戸の様子がわかる貴重な資料になっているのと同時に、晩年期は現実には訪れることのないファンタジーの世界となってしまっている。
 それを思えば、違う意味でもせつない映像として見えてくるのである。

 


 

 これだけ書いても、このドラマの魅力は100分の1も伝えられない。これをわかってもらうには見てもらう以外にない。もしこの記事を読んでちょっとでも興味を持ってくれる方がおられれば、チャンスがあったら見てみてほしい。いまなら動画サイトへupしてくれてる方がいるのでチャンスといえばチャンスなんですが、加工を施した画面になっているのと、申し立てがあって削除されたらそれまでなんだそうです。
 ご覧になる際、注意しておきたいことがございます。「ながら」ではダメ。正座するくらいのつもりで集中して見ること! だけど4話くらいまで見ても何も感じないようなら感性が合わないということだと思うので、それ以上は見ないほうがいいかも。



 このドラマは年齢を重ねるほど効いてくる系統のやつだ。だから今後、何十年か後に見返せば、もっと突き刺さるものとして襲ってくることが予想される。
 そしていつか私がこのドラマを見返すときが来たら、刈田美也という役を演じた井森美幸に注目したい。これは第1話の回想シーンのみに登場して実際は出ていないキャラだ(笑)。
 だからもしどこかで井森美幸氏に遭遇することがあったら「あなたの出てた『過ぎし日~』で感動しましたよおおおお!」って言ってみたいと思う。どんな顔をされるだろうか?



 

 個人的にテレビドラマは'60~'70年代のものが好きで、'80年代以降はどんどんつまらなくなるいっぽうだと思っていた。基本的に、そこはいまでも変わらない。だが例外もあったのだ。まさか平成(元年)に突入してからの作品がこれほど突き刺さるなんて思ってもみなかった。
 こんなに一瞬たりとも目が離せないドラマは滅多にない!
 こんなに台詞のひとつも聞き逃せないドラマは滅多にない!
 あのとき「ドラマも面白い」と思ったのは私がそういうものに免疫がなかったからではなく、この作品が本物だったからなのがよくわかりました。


 

 人というものの複雑な心情を描いていくドラマ。人は、単純な善と悪では割り切れない。ときに男と女は「不倫」だの「浮気」だの「ストーカー」だの、そんな単純なことばでは片づけられない事態に陥ることもある。
 人は矛盾を抱えた生き物だから――。あらためてそれを思い知らされるような、そんなドラマです。

 最終回を見終えてから数週間が過ぎましたが、まだ後遺症から抜け出せません。
 参りました。生涯最強のドラマになりそうです。