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夢は小説家ですと本気で宣ふブログ

文章の世界に魅入られた小娘が、妄想を書籍化しようと奮闘する日記。

 今日は大阪のニコニコ動画の生主こと生放送を行っている子を友達と東京案内してきます。

 お台場まで、シャアアズナブル展にいってきます。
 GW旅行の話はまた今度。

 おもろい1日になりそうやなぁ。


 GW初日は、私が兵庫県に住んでいた頃の同級生mittiのライヴに行ってきた。

 私は合唱団に所属していたし、合唱部だったし、歌うことは好きなほうだ。ライヴに行くのも好きだし、アルバムだって買う。音楽が好きなのだ。

 写真は、彼の歌声が一緒に映ればいいと思って空白を多めに撮ってみた。写真部だった彼にはダメだしされそうだが、個人的にはあの時の空気感が切りとれたのではと思っている。

 分かるだろうか。歌声に魂がこもっていた。これでもかと込められた気持ちが観客に届いていた。緊張していたのは分かる。高音だって不安定なときがあった。でも、そんなことはどうだっていい。

 音程が完璧で高音も美しくて綺麗な歌なんてものはCD音源で聞けばいい。ライヴで必要なのは、やはり歌は姿を変えた手紙のようなものだということだ。生歌は直筆のメッセージなんだ。音色に、歌に、メッセージがこもっていた。ありがとう、ちゃんと届いたよ。

 彼は今回のライブでワンマンライヴを開くチャンスを手に入れた。
 だからこそ、厳しいことを言おう。今回、私は楽しかった。嬉しかった。でも、本来魅了すべきは観客全員だ。
 次のライヴのときはどうか頭の中で観客全員に手紙を配達して欲しい。

 彼の成功を祈っている。
 私もちゃんと兵庫県にも届くような本を書くよ。

キャッチ ザ モーメント!
(その瞬間を逃すな!)

 あ、はい。新堂本兄弟をみています。おばあちゃんがおもむろに見始めたので一緒になってみていました。おばあちゃんは毎回堂本兄弟をみてニュースをみてから、寝るんだそう。
 そんな偶然みることとなった番組でゲストがナオトさんで、旅行にいった際の経験を話していました。ぼーっとしていることが多い国だったらしい。ナオトさんはぼーっとしているのが最初は落ち着かなくて、慣れてくると心地よくなったそうだ。
 我々は携帯電話に忙しいのだと言っていた。Facebookにあげた渾身の写真に「いいね」がつかないことを気にしたり、e-mailが届かないことを寂しく思ったり、信号の待ち時間も電車の待ち時間も待てない生活を送っている。何をするでもなく、ただぼーっとしているときに気付いたことが「キャッチ ザ モーメント(その瞬間を逃すな)」だったらしい。そう、何があるか分からないんだ。見上げた先に夕陽を見るかも知れないし、通り過ぎる電車の向こう側に友人が立っているかもしれない。携帯の小さな画面に執着して気付かずに通り過ぎているいくつもの瞬間があるかもしれない。偶然見た番組にそんなことを思った。(私のつたない言葉ではうまく番組を再現できないので気になる方は何らかの方法で視聴してほしい)

 実は今日は短い帰省の最終日で、初日にたまたま観ることができた友人のliveのことや、二日目の有馬温泉。三日目のお好み焼きや鴨鍋のことなど語り草には困らぬ日だったのだが、旅の想い出は撮りためた写真とともに語るとしよう。鮮やかな画像と共に記憶を掘り起こしたいと思う。明日からの旅日記に期待して頂きたい。

 だから今日はもうちょっと瞬間の話をしよう。辞書をひいたことがある。瞬間とは瞬きをするくらいの短い時間のことだ。だが、人は知っているだろう。一瞬が命取りで、一瞬が絶大なのだ。一瞬の油断で、アイドルを通報された子がいた。一瞬のチャンスで原宿のカリスマ的存在としてアーティストになった子がいた。
 一瞬の必然で人生が変わる。見逃さずに手に入れたい。
 そのために必要なのは、やはりアンテナなのだと思う。いつでも受信可能。圏外を知らない開放的な心と頭だ。新しい知識を手に入れて情報を整理して自分の見聞を広めていく。
 どこにチャンスが転がっているか分からない。逆だ。チャンスは転がっている。掴めるか掴めないかは自分次第だ。チャンスを見逃さない広い視野を手に入れたい。
 まとまりきっていないが、テレビの番組おかげで再認識できた。ありがたい話だ。ありふれたエンタメに感謝。

 こんばんは、横綱です。間違えました。私です。

 兵庫県に帰省中です。毎日美味しい飯をご馳走になってデブまっしぐらです。やせ我慢の対義語は、デブ大暴れというのがありましたね。大暴れです。
 歩く姿は横綱のようです。張り出した腹を押し出すように、のそりのそり歩くのは腹を誇張したいのではありません。引っ込まないのだから仕方なく放置しているのです。大暴れです。
 明日の夜は鍋の予定。ごっつぁんです。
 でっかくなって帰るよ! 

 写真たくさん撮ったので期待してくれ。それでは、胃が重いので寝ます。おやすみ。
 風紀は乱れるんです。
 乱れるべくして乱れるんです。ここ2日はそんなことを考えていた。

 学校には風紀委員というものがある。
 たとえば、スカートはひざ上5センチまでだ。おとこの襟足は肩につかないくらいにしろ。ボタンは第一ボタンまで開けていいなど、とにかく生徒手帳というものに制服の着用の仕方などを記載して風紀を保とうとするのだ。
 だがしかしスカートはひざ上15センチが可愛いと思うし、おとこの襟足だって長いほうが似合う人もいる。第二ボタンに至っては2個開けるのがもっとも楽で見た目もいいと思っている。実際私は守らなかったほうだ。まぁ、黒髪ストレートという髪型のおかげか際立って注意されることもなかったが(先生はとにかく明るい髪の生徒に目を付けるのだ)
 すこしエピソードを考えてみた。
 ここに風紀委員と不良がいる。

「正しく制服を着用することで、集団生活における協調性を学ぶのだ。自分を律することでしか集団行動はうまくいかない」
「確かに我儘な野郎ばっかだったら集団生活はまとまんないかもしんねーよ。だがな、よく考えろ? お前は先生と集団生活を送んのか? ちげーだろ。先生なんてもんは生徒30人に対して1人だ。俺らが協調性ってやつを発揮しなきゃいけねーのは、生徒とのわけ。第一ボタンまでしっかりしめた真面目そうなくそつまんなそうな奴と、ボタンもしっかりとめれねーばかそうな奴どっちのほうが第一印象で面白そうって思う? あんな、休み時間に英単語を覚えるような学生生活を送りたいと俺たちは思っちゃいないわけ。休み時間はくだらねーことで笑って騒いでバカしたい訳よ。それには見た目って奴も重要な訳」
 わかるかなと笑う不良の笑顔は自分を馬鹿にしているようで気に食わなかった。伝わらない気持ちが暴走して体中を渦巻く。苛立っている。落ち着かない感覚に手が震えた。
「服装の乱れは心の乱れというだろう」
「乱れている? 乱れちゃいねーよ。俺たちはそうやって自分たちの美意識のなかで生きてんだ。そんでその美意識って奴を共有できるやつとつるんで楽しくやってるわけ。だからさ風紀だとかいって邪魔されたくねーんだわ。正しくなくて結構なの。ダサいままじゃいらんねーわけ」
 分かりあえないかもしれないと思った。正しいのは明らかに自分だというのに、説得するだけの言葉を持ち合わせていない。同じ生徒同士だ。立場に権力なんてものは存在しない。対等な立場は言い負かされたほうの負けだ。
「でもさ、お前がやってることは正しいって思っちゃいるんだぜ? 正しい奴と正しくない奴どっちもいないと風紀委員ってやつは存在しない訳だ」
 それは極論の話だ。泥棒がいるから警察がいる。怪盗がいるから探偵がいる。悪がいるから正義がいる。不良がいるから風紀委員がいるのだ。
「だからお前は俺を説得はできねーよ。俺は卒業するまでお前に怒られるし、お前は卒業するまで正しくいればいい。仲良くしようや」
 そういって彼は派手な金髪を輝かせていた。ちっとも美しいとは思わない。親に授かった地毛こそが自分にもっとも似合うのだと思っていた。
「仲良くは出来ない」
「そりゃそうだ。でも俺はお前、嫌いじゃないぜ」
「更生の余地はないと先生には伝えておく」
「お好きにどうぞ」
「次の服装検査もたっぷり叱ってやる。時間を空けておけよ」
「了解でっす」
 時間の無駄だ。分かっている。それでも正しい行いを続けることが、風紀委員の役割だった。


 分かって頂けました?
 風紀は乱れるんです。もうそれは仕方のないことなのです。そうやって両極端の存在があるからこそ、集団として落とし所が見付かるというか平均ができるというか、そうやって成り立っているのです。
 ああ、風紀委員は必要だなと思った。そうしてまた自分の感性で戦う存在も必要なのです。