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夢は小説家ですと本気で宣ふブログ

文章の世界に魅入られた小娘が、妄想を書籍化しようと奮闘する日記。

 いつも通り、真夜中にネットサーフィンしていたときのことだ。
 ふとした拍子で眺めていたウェブ漫画で、テレパシーが使えたらいいのにというのがあった。
 怠惰な性格なキャラクターだった。口にだすのもめんどくさい。だから頭に浮かんだ言葉がそのまま相手に伝わればいいのにというのだ。それは、回線を繋がなくてもワイヤレスで繋がる昨今のネット事情ひとしく便利なことだと思った。
 しかし会話の相手はいうのだ。君の声が聞きたいよと。その君の声が聞きたいを、漫画では執拗な描写で印象付けていた。具体的にはこうだ。
「君が声帯を震わせて、舌で音を作り声を発して僕の鼓膜を震わせる。それがいいんだよ」(台詞は改変してあります)
 ああ、気持ちが悪いなぁと思った。確かに音を聞くというのは、鼓膜が震えるのであって、声を発するというのは声帯を震わせて、舌で音を作り声を発するものであるのだが、普段そのようなことを考えて生きていないからこそ、なんて印象に残るんだと思った。
「君の声が聞きたいよ」を、「君が発する音が僕の鼓膜を震わせる。肉声が聞きたいよ」といえば残る印象がまるで違うし、なにやら特別な台詞にきこえてくる。
 印象に残るとは衝撃だとはよくいうが、なるほど納得せざるを得ない。
 そんな発見に包まれながら、場面に印象を与える言葉選びをしようと思った。


 黒子のバスケにはまっている。ガチャガチャが発売されるんですよ。定期的に。
 しかも、発売日はいつだって曖昧で「5月下旬」とかいう発表のされ方で、本気の人はガチャを設置するショップの公式ツイッタなんかをフォローして、回しにいく勢いですよ。
 前回は本命、高尾くんをGETするためにガチャガチャに並び、まぁ10回まわしました。1回200円で2000円ですよ。でも、ほら高尾くん2人も来てくれたよ!(恋は盲目)
 新しいやつがでたんですが、都内は既に優秀な調査兵団によって駆逐されておりまして、宇都宮のショップからのツイートを頼りに宇都宮在住の友人に声を掛けてみました。

 余りに手に入らな過ぎて、ガチャを設置するのはいくらの費用がかかるのか調べようかと思いましたよ。人気アニメを毎回設置しておけば、かなりの収入減になるのではないかと考えてみましたよ。こう、そういう類の貯金箱だと思えば。個人の所有も? あながち無駄にならないかもしれないじゃないですか。
 そう、寄り道しましたが今回のテーマは貯金箱なのです。

 ヲタクという生き方も、さまざまありましてね?
 テニプリだったら人生捧げろとか、タイバニだったら貯金通帳捧げろとか、まぁハマるジャンルによっていろいろ言われているんですよ。そんなタイバニにはまっていた諸先輩方はどうやって、タイバニ充するための資金をかき集め、宝物を探しに行っていたのかと思い、調べてみました。行き着いた先で見た文字が「タイバニ貯金」でした。twitterまとめのログをみてみる。
 方法は簡単。
 貯金箱を用意する。嫁を置く。
 おお!

 つまりは貯金箱の近くに自分の好きなキャラを設置するみたいです。あとは得意の妄想力で。
「今日もお菓子買いに行きたいの? しょうがないな」→500円貯金
「初めてのデートでいい格好がしたい? わかった、ディナーね。これで足りる?」→1万円貯金
「月に2回の美容院代ね。やっぱりヒーローはいつだって決まってなきゃね」

 この要領で、貯金箱にお金を結納していくみたいです。
 なんと前衛的! そして、そのお金は公式からの飴に消えていくのね。しかし、お金を貯めることを幸せに解決してしまう諸先輩方。素晴らしい。あれだ、トレビア~ンってやつだ。

 私も買おう。貯金箱。設置しよう。俺の嫁!

 秋から始まるアニメのために、私頑張ります。

(久しぶりのパソコンからの投稿で、この内容)

 

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 おはようございます。
 久しぶりの投稿となりました。

 文章は生業としたいものですが、最近の趣味は写真です。
 いいカメラを購入したので、写真が趣味なのです。被写体はもっぱら人物。特に撮るのが好きなのはサブカルチャーと融合した人物なのです。
 写真家という職業があるように、写真も没頭すれば他の才能を凌駕し、生業となります。自分の映したい画を撮るのに必死で、まだまだ思い通りの画面を映し出すことは難しいのですが、自分の好きな構図や色で映し出した画はやはり好みの一枚となります。
 解像度の高いパソコン画面や、画像加工ソフト、印刷技術を身に付けたいと思いつつ、趣味にお金をかけすぎるのは如何様かと自らを律する日々です。
 好きな文章を書き、写真を撮り、マルチに活躍してぇなぁ。40代になる頃には好きな酒や趣味を語り合うバースペースみたいなものを自宅の一角にでもいいから配置したいしな。
 画像加工の日々がまだまだ続きます。友人たちの飛躍に私の映した画が役に立てばいいなと願いつつ、アルバイトにいってきます。
 持ってくるつもりの名刺いれを忘れました。日常生活が後回しにされがちです。
 時間を無駄に消費して、何を進めるでもなく完全に停滞している。
 あわよくば2週間くらい無駄に先に進みたい心持ちである。

 よくない。

 必要なのは締め切りか? 自律する心持ちか?

 起きた瞬間に創作への意欲はMAXで後ろ髪ひかれる思いでバイトにいくが、帰る頃には眠ることへの意欲に満ちている。ダメだダメだと起きてはみるが、ネサフに夢中になって、知らなくてもよかった情報を手にいれてもて余して、心が疲れて、寝ようと思う。
 深く知らなかったことへの残酷な現実が発覚して、私の知識はなんて浅く軽いんだろうと嘆いて、その知識と深く向き合って生きる人はどれだけ心を痛めたのだろうと心を寄せる。

 もしかしたら大切に描写するだけで感慨は深まるのかもしれないと思いながら、停滞した毎日を生きる。
 そろそろ進みたいなと思いながら、生きる術が邪魔をする。
 初恋は一粒の種みたいだ。俺は花に詳しくないから、種をみただけではどんな花が咲くか分からない。クラスメートたちがどんどん種を芽吹かせていく中で俺の種は花を咲かせるという当たり前の役目すら忘れてしまったように芽を出さなかった。
 どんな花を咲かせるのだろうか、始めのうちは期待して花の形を想像したり、つついてみたり話しかけたりしたものだ。反応を示さない種にいつしか関心はなくなって俺は胸の奥底に種をしまいこんだ。そんな種が、最近小さな芽を出した。気が付かないうちにひっそりと、しかし小さいながらに根を張って、地上に頭をだしている。オレにも初めての恋ってやつが訪れたんだ。

 あまりにモノローグが多い文章は小説がかけないと思われるんだそうだ。携帯に残っていたログから引っ張ってきたが、きっと冒頭ねようなモノローグはポエミーだといわれるのだろう。
 しかし会話の連続が小説でないことも確かで、とんでもないモノローグの連続でも読まれている作家がいる。
 私は最近、気がついたことがある。ようはプロになってしまえば、モノローグが多かろうがなかろうが許されるのだ。くぐり抜けなければならない登竜門。ここでのふるい落としの先は多少なりともまた自分への自信が沸くのであろう。束の間のエンターテイメント。楽しい話が書きたい。