執拗な描写は決め台詞になるなぁという発見 | 夢は小説家ですと本気で宣ふブログ

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文章の世界に魅入られた小娘が、妄想を書籍化しようと奮闘する日記。

 いつも通り、真夜中にネットサーフィンしていたときのことだ。
 ふとした拍子で眺めていたウェブ漫画で、テレパシーが使えたらいいのにというのがあった。
 怠惰な性格なキャラクターだった。口にだすのもめんどくさい。だから頭に浮かんだ言葉がそのまま相手に伝わればいいのにというのだ。それは、回線を繋がなくてもワイヤレスで繋がる昨今のネット事情ひとしく便利なことだと思った。
 しかし会話の相手はいうのだ。君の声が聞きたいよと。その君の声が聞きたいを、漫画では執拗な描写で印象付けていた。具体的にはこうだ。
「君が声帯を震わせて、舌で音を作り声を発して僕の鼓膜を震わせる。それがいいんだよ」(台詞は改変してあります)
 ああ、気持ちが悪いなぁと思った。確かに音を聞くというのは、鼓膜が震えるのであって、声を発するというのは声帯を震わせて、舌で音を作り声を発するものであるのだが、普段そのようなことを考えて生きていないからこそ、なんて印象に残るんだと思った。
「君の声が聞きたいよ」を、「君が発する音が僕の鼓膜を震わせる。肉声が聞きたいよ」といえば残る印象がまるで違うし、なにやら特別な台詞にきこえてくる。
 印象に残るとは衝撃だとはよくいうが、なるほど納得せざるを得ない。
 そんな発見に包まれながら、場面に印象を与える言葉選びをしようと思った。