夢は小説家ですと本気で宣ふブログ -17ページ目

夢は小説家ですと本気で宣ふブログ

文章の世界に魅入られた小娘が、妄想を書籍化しようと奮闘する日記。

 やっぱり女の子は色白がいいな。手足は長くて、細い。瞳は丸くて、笑ったときの口は大きい。髪型はボブが笑うたびに揺れるような、そんな女の子。

 部活はダンスをやっていて、そのときばかりはひとつにまとめて縛っている。跳ねるたびに揺れる一つ結びは動物の尻尾みたいだ。

 気遣いができて優しくて、制服は着崩すことなくきちんと着ている。定期券のケースはピンクで、手帳は水玉模様のシンプルなもの。赤色のバンドで止めてある。

 細い手首にはシュシュが巻かれて、みんなからあだ名で呼ばれている。

 うん、可愛い。

 連日連夜、眠れない夜を過ごしておりました。久しぶりに惰眠を貪りました。
 回復した~。
 夏の夜長に夜更かし。たまらないですね。寝静まる夜。扇風機の音だけが鈍く聴覚を震わせて、ただ画面に向かって文字を入力していく。一文、ひと場面に集中して、薄暗い部屋にモニターの明かりと手元の電気スタンドだけが光を放っている。おもむろに冷蔵庫を開け、夏の大定番の三ツ矢サイダーを飲み、また画面に向かう。
 椅子と肌との接触面にじわりと汗をかき、クッションを挟み込んだりして、尚も視界はモニターを映し続けている。
 そのとき主人公は恋に落ちたのだ。サイダーのようなパチパチとした衝撃がいくつも弾けては恋となった。ほのかに甘く、染み渡るように全身に愛しいが巡っていく。頭に思い浮かべるだけで幸せを感じた。
「おはよう」のあいさつ。「また明日」のあいさつ。いつもの日常の風景も彼女と交わすだけで特別なひと場面になる。
 私は薄暗い自分の部屋で、確かに河川敷に日が沈むのを見るのだ。緋色に支配された空は赤く、木々は色濃い影となって、君との別れは尾ひれとなって赤を残していく。町に夜が訪れるころには彼もまた自室で思い馳せながら彼女に送るメールを書いては消している。
 始業式でアドレスを手に入れてから3ヶ月、もう夏休みはすぐそこだ。
 じりじりと身を焦がす夏が、やってくる。

 夜更かしも程ほどに。
 最近、幼児虐待のニュースが続けざまにはいってきてこういうときはきちんとそのことに向き合いなさいってことなんだろうなと思っている。考えてみたけれど苦しいだけでまとまらないので心情を吐露しようと思う。

 飲食業で働き始めて、それこそ15歳のアルバイトから換算したら私が飲食業で働き始めて11年目を迎えた。バイト先には多くの子どもがやってくる。ファーストフードという業態自体も親子の集客に力を入れているから必然的に機会は増える。多くの子どもと接してきたと思う。どうしようもない子も、親も、本当にいい子もその親も、100の家族があればそのぶんだけ、子どもがいて親がいた。
 そして今、焼肉屋で働き始めて、卓担当をすることになってより家族と触れ合う時間が長くなった。働き始めて1年間、そこそこ多くの家族を見てきた。
 「食育」という言葉がある。もちろんそれは「食に関することを育てること」を指すのだけれど、お客様のテーブルではまさしく目の前で食育が行われていた。

 飲食業の基本として、テーブルはひとつの家にはいるようなもので、だからこそ「失礼します」と入っていって「失礼しました」と出て行くのがルールだ。壁も暖簾も間仕切りがない場所でさえ、みえない扉がそこには存在して勝手に入っていくことはタブーである。私とお客様との間には見えない壁が存在している。

 間違っているんじゃないかなと思うしつけが目の前で行われていることもある。でも私は接客マンに過ぎなくてそこで人様の子育てに介入するのは愚行でしかない。黙することこそ正解だ。
 けれども、幼児虐待は立派な犯罪で、それはコンビニ強盗や包丁を持った男の乱入といった事件と同等で、それこそ直面したとき我われにも通報の義務があるということは念頭に置いておく。

 幼児虐待と事件になるときにはもう手遅れで、それから対象となっている子どもは親が絶対なる存在なんだということを理解したい。親から与えられる言葉、思想、食事それらすべてがその子の糧となってその子は成長する。
 望まれて生まれてきた子。そうでない子。子を成す行為はひとつでも、生まれてくる理由は千差万別である。
 どうしたらもっと多くの親子が正しい知識と金銭を与えられて幸せになれるのだろうといったことを考えてみる。そうした活動に多くの方が携わって思考して、世の中を変えていこうと努力しているのだろうと思う。
 私に何ができるわけでもないけれど、こうして考えたり言葉にしたり、人に伝えてまたその人も考えて、そうやって理解を広めていくことも何かしらの力や物事を動かすきっかけになるかもしれないと思った。
 友人が保育士になったり母親になったりして、より身近なところでさまざまな親子のトラブルに見舞われたりしているんだと思う。
 violence solves nothing
 暴力は何も解決しない。いま一度、この言葉を思い出そうと思った。

 「だいすき」の反対は?--無関心。

 そんな言葉を朝から思い出させられた。総じて今日はあまり気分のいい1日にならなかったのである。

 

「投稿作とかちゃんとやってるの?」と言われた。

「やってるよ。でももう君たちには見せない。だって意見くれないんだもん」と答えた。

 棘のある言い方。そんな風に言わなくてもいいのに。相手の受け取る心情を考えればもっと優しい話し方もいっぱいある。そんなことは分かっている。

 だれよりも言葉が好きで触れて、そうして操っているんだって理解しているつもりだ。

 でもね、私は文章を手渡すとき合否を待つ受験生みたいにドキドキした気持ちで感想を待っているのに、何も言ってくれないじゃ私の執筆期間がまるっきり無駄みたいじゃないか。べつにね、面白いって言って欲しいわけじゃないんだよ。辛辣な意見でもいいの。そういうの聞いて泣いて縋って「じゃあどうしたらいいの?」って鼻水垂らすようなそんな経験を積んでもいいの。

 何も言ってもらえないって言うのがいちばん残酷だってなんで分かってくれないかな。私の成長は停滞したまま、進まないみたいだ。

 時間をかけて紡いでも「うん」とも「すん」とも言ってもらえない。そんなもんは壁打ちを続けるラリーみたいで、なら相手はいらないじゃないかと、私が解かっていればいいのかと早い話がさみしかったんだ。

 

「なんで何も言ってくれないの?」
「だってよく分からないんだもん」

 

 ああ、そうか理解しようという気さえ起きないのか。そんなもんは愛情でカバーしてくれているのかと思っていた。だってもし関心興味があるならば、「ねー、なんでこれはこうなってるの?」って疑問が湧くでしょ。そういうのすらない。つまりはどうでもいいんだ。

 

 どうでもいいんだ。夢が叶っても叶わなくても。ただ、身内だから応援しているだけで指導者でも賛同者でもない。勝手に頑張れとジャングルジムにのぼる私を下から見てる。そんな図が浮かんだ。

 

 ぜったいやってやるんだって気持ちは持ってる。

「なんでそんな一生懸命なの? 疲れない?」って大人に嘲笑われても、「もっと楽な方法あるのに」って馬鹿にされても、ひたすらに上を目指していたい。そういう確固たる意思があること別に駄目じゃないんだよ。だからこそ、私は自分を諦めない。

 我侭言ってごねてる子どもみたいだ私。ジャングルジムのてっぺんで仁王立ちになって「ぜったい降りないから!」って喚いてる子どもみたい。痛い目みればいい。

 

 でもね、私は弱い人間だから孤高でもいいから傷つきたくなくて、自分の武器である言葉を使って容赦なく人を傷つけて、後悔はするけど、それでも屍越えて進んでいく。傷つけてごめん。それでも我が道を貫きたいから。


 パソコンを新調しました。文字入力に慣れるためにも、すこし文章を書いてみようと思います。せっかくなんでお題は前回の旅行の目的だった「山登り」について書いてみようと思います。

 標高2200メートル。山登りの鉄則は長そで長ズボン、それから歩きやすい靴を履いていること。山の上はこの季節だというのに長袖を着ていても、肌に張り付くようなベタつく暑さはない。太陽は近く、日差しは強い。大きな、それこそ何に喩えていいのか迷うほどの大きさの雲がいくつも浮かんでは真っ青な空に立体感を与えていた。

 昔は、山だった。そんなことを考えてみる。
 山だ。雄大な自然。人間の手が加えられていないありのままの姿。そんなものは都会暮らしの我われはお目にすることができない。自然のほうが力を持っている。それこそが日本本来の姿だった。
 背の丈ほどの草が生えていて、足場は組まれた木の板がずっと先まで伸びていた。整備の様子を想像してみる。木を伐採して、大きな石を退けて、組み木を組んで、そうしてひとつひとつ木の板を打ち付けていったんだろう。雨の日も風の日も、何人もの人の手で、腰を屈めて汗かいて、そうしてこの道はできたのだろうと思った。
 それでも、都会に比べたら歩きにくい道だった。木の板はところどころグラグラと揺れて幅も長さも揃っていない。気を抜けばよろけてしまいそうで、それでもバランスをとりながら先へ進んだ。
 木の板の道が終わった。ここからは登山コースなのだという。確認しておくが、我われの装いはロンTにジーンズ、足元はスニーカーだ。草は鬱蒼としている。かろうじて人が通った跡がある。
「行ってみる?」
 なんともいえない緊張感があった。こっから先、何があっても自己責任だ。そういった類の、ちょっとした恐怖心と好奇心が渦巻くようなそんな決断を我われは下した。

 登ってみることにした。無理だったら引き返せばいい。昔、教科書で読んだ緑のダムという言葉を思い出していた。昨日は雨が降っていた。栃木では雷雨が激しかったらしい。落葉した葉が折り重なった部分は踏むと水が染み出すようで、滑りやすかった。急な斜面だ。川が流れていた。スニーカーが泥に濡れるのが嫌で、あまり大胆には踏み込めない。慎重に、慎重に。一歩踏み出す場所を定めて、先へ進んだ。
 道標なんてほとんどなかった。擦れ違ったお姉さんに(登山中にあった人は3組で、本当に人と擦れ違うことはない。だからこそ、人に会えた喜びとその方に優しくしていただけた嬉しさは一塩だ)道を聞いてみたりして、とりあえず山頂だねって休み休み上を目指した。
 濡れた落葉の道なんてまだ序の口で、待ち受けていたのは濁流下りのような大きな岩の連なった道だった。跨げるほどの大きさじゃない。岩肌に手をついて、よじ登る。よいしょ、よいしょ。体力がいる。すぐ疲れる。へばった体は足元を滑らせて先ほどからひやりとする場面も増えてきている。慎重に、慎重に。山は容赦ない。足を滑らせたら危険だ。岩に頭を打って頭から血を流してへたしたら死に至る場合だってある。人間は案外簡単に死ぬんだ。怪我はしたくない。だからこそ、きちんとした一歩を踏み出さなきゃいけない。こんなにも歩くことに神経を尖らせたのはいつ振りだろうと思った。

 山頂について開放的なその空間は、なんともいえない達成感があった。やったんだぞ、勝ったんだぞ!
 登り始めて1時間半が経過していた。山脈だ。人家は見えない。ただ、すこし高い場所に来たのだという感じだ。もっと高いところもある。それでも、眼下にみえる山よりも高いところに来たのだと、成果を感じた。

 下山もまた険しい道だった。急な斜面は土砂崩れが起きたようで滑りやすく、土肌が露出しているのは足を引っ掛ける場所もない。木々を伝ってなんとか降りた。遠くで雷が鳴り始めた。空は急激に暗くなっていく。

 長くなりすぎた。打ち切ろう。

 その後。ロープウェイに辿りつき、自分の登った山は2400メートルでたった200メートルしか登っていなかったのだというオチもある。雨には降られずに済んだ。

 そんなたいした経験じゃない。でも、自然を身体中で感じた。
 なんで都会はこんなに空が狭いんだろう。ゴミは落ちているんだろう。他人に興味がないんだろう。そんな当たり前だったことが、いまはすこしさみしく感じている。

北八ヶ岳2

北八ヶ岳