昨年の本日も「忠臣蔵」のブログを書いたのです、アタクシ。
去年のブログ(おひましてたら読んで~)
「忠臣蔵討ち入りの日」↓
「渇しても盗泉の水は飲まず」
これは孔子の言葉ですが武士の誇り高さを表す諺にも使われています。
曰く、平清盛が政権を取ってから約500年後の徳川氏までの武士道はどちらかというと平安貴族に連なるタイプ。
刀や槍よりも風雅道の達人揃いだった足利将軍、北条氏に政務を任して傀儡に過ぎなかった源氏将軍。
日本人のカタルシスを感じさせてくれる武士道は徳川氏からと言えるでしょうか?
そして私の好きな武士道も徳川氏の時代の武士道。
「殿のおんために」
「恥をかかされておめおめ生きていられようか」
「吉良殿、御首(みしるし)頂戴つかまつる」
等の歯切れ良い武家言葉が大好き!
今のテレビドラマの時代劇は武家言葉を話せない役者、書けない脚本家が多いようで悲しいです。
時代劇に対して暑く語った昨年のブログ
「突っ込みがはまる時代劇」(再びおひましてたら読んで~)↓
「ああ、そうなんだよ。私の刀は和泉守兼定なんだ」(わかる人にはわかるこの刀の銘)
と言っちゃうテレビドラマ!ガクっ!
宝塚なら正しく武家言葉で
「左様。拙者の刀は和泉守兼定でござる」
でしょか?
こんな武家言葉が気持ち良い脚本でテレビドラマ「忠臣蔵」を見てみたいな!宝塚では杜けあきさんのさよなら公演でやりました。正しく武家言葉で気持ちよかった!
「忠臣蔵」を日本人が好きなことの理由には太平が続いた元禄の御代、形骸化した武士道への庶民の憧れを掘り起こしたことでしょうか?
大石内蔵助のしたことは寝込みを襲った集団テロであり、決して武士道として褒められた行動ではありません。
武士道なら吉良家へ挑戦状を叩きつけ白昼堂々と押入れば良いもの。この当時、武士が集団で押入れば幕府への宣戦布告と見なされましたので当然無理ですが。
しかし同じ押し込むなら白昼にやってみろよ!と思うわけです。
昨年も書きましたが寝込みを襲われた吉良側は寝間着姿、対する赤穂側は鎖帷子を着込んだ戦闘態勢バッチリ!
剣道の防具をつけた人とつけてない人と打ち合うようなものでしょ?
しかし判官びいきと仇討、ということが日本人の好きな武士道精神にドンピシャ果てはまり庶民に拍手喝采をもって受け入れられました。
日本三大仇討はこの忠臣蔵、曽我兄弟の仇討、伊賀越えの仇討と言われています。
全て歌舞伎の演目になってます。
有名なのは忠臣蔵ですネ。
でもね~
先ほども書きましたが寝込みを襲ったテロだもんね~
それよりも徳川氏政権中期の薩摩藩による木曽三川河岸工事の話の方が、
これぞ、武士道!
これぞ、古武士!
って思うんですヨ!
幕府の外様イジメである御手伝普請によりはるばる熊本から愛知県と岐阜県の境まで治水工事に来た薩摩藩。
宝暦治水のことです。揖斐川、長良川、木曽川が合流や分流を繰り返し洪水などの繰り返すため三川分離の河川工事をしました。
この工事で薩摩藩は自害55人、病死33名という犠牲者を出し、工事責任者の家老平田靱負も工事終了を見届け自害しています。
薩摩義士と呼ばれています。
この宝暦治水の事を書いた小説が杉本苑子さんの「孤愁の岸」
まさに孤愁の岸です!
「殿のおんために」
と言う精神が満ち溢れ自己犠牲を厭わない潔い薩摩武士達。
武士道、武家言葉が大好きな方にオススメです。
あれ?なんで忠臣蔵から宝暦治水の話に変わったんだ~???
ぎゃ~!わけわからんヤツだ、私