朝からどんより曇り空。
私も珍しく昨日から悶々としています。

夕食時、長男からの小学校報告。

「ねぇ、昨年は友達のこと呼び捨てで、○○先生も僕たちのこと呼び捨てだったのに、今年は□□先生が呼び捨てはやめましょうって言ってたよ」
(担任の先生は昨年度と違う先生です)

理由を聞くと、
“お友達の名前を大切にしましょう”
だから
“呼び捨てはやめましょう” とお話があったと。

呼び捨て=友達を大切にしていない
という図式になりませんか、、、?

海外、ファーストネーム呼び捨てだよー。。
日本と同じ教育カリキュラムといえど、これだけは解せない。私、こればっかりは日本にいても解せなくて。


長男が日本の小学校に通っている時、Facebookで、友達間の呼び名について投稿したことがあります。
読み返してみて、その思いは当時から揺るがずにいます。

どなたかこの悶々を払拭する答えを〜。 


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小学生の親になって思うこと。

息子の小学校では、男女関係なく「○○さん」と呼び、呼ばれる。

近隣の他校では、“さん付け”ルールはないようで、どこぞのお上品な小学校?と言われたこともあるのだけど、否、バリバリ区立です。

もとい。入学前は、へぇ~ジェンダーレス時代の象徴だわね~と、その程度にしか思ってなかったのだけど。
いざ入学して、幼い息子が、“○○サン”と友達から呼ばれているのを聞くと、ムズガユイというかなんというか…入学して2ヶ月経っても私には違和感が半端ではない。

親子ともに仲よくなって子ども同士あだ名で呼びあっていたのに、入学したとたん“さん付け”に。
あら?なんか距離が離れたような?よそよそしさを感じてしまう。
私も、息子の友達の呼び方を“さん付け”にした方がいいのかしら…とも。
そんな話を夫としているこの頃。

どうやら巷でも、クラスメイトのことを呼び捨てやあだ名では呼ばず、“さん付け”にするよう指導する小学校が増えているそうで。それを校則にしているところも。
調べたら「いじめ防止対策推進法」(文科省)の具体的な取り組みとして始まったんですね。全く知らなかった。
あだ名による集団のトラブルやいじめを防ぐためって…う、うーん?

確かに自分が解せないあだ名で呼ばれたら誰だっていい気はしない。
私も小学生の頃、名字をいじったあだ名で呼ばれて不満だった時期をうっすら思い出してみたり。
いつの間にか呼ばれなくなったけど、それがいじめだとは感じなかった。不満あれど大して気にしてなかっただけか?記憶にないけど。
受け止め方は人それぞれ。


自己紹介で自分が呼ばれたい呼び名やあだ名を伝えあうってのはどうかねぇ。
海外のようにファーストネームで呼びあうとか。いちいち色んな敬称(役職名しかり)を使う日本では難しいか?

“さん付け”をよそよそしいと感じるのは、私が呼び捨て&あだ名ありの世代を過ごしてきたからであって、
最初から、“さん付け”ルールの学校に通う子どもたちにとっては、それが当たり前になっているから、心の距離感とは無関係なのかしら。

コロナ以前の日常では当たり前だった様々なことを、コロナ禍中に生まれた子どもたちが経験しにくいこのご時世を大人が嘆くのと、“さん付け”の違和感を訴えるのは、どこか似ている気もする。
この子たちにとっては当たり前の世界。

でも、それでも、やっぱり“さん付け”は、寂しいと感じてしまう昭和うまれ。

長男は、ルールに厳しい性格なので、忠実にお友達を“さん付け”で呼ぶよう頑張っていたけれど、放課後、子どもたちの会話を聞いていると、息子が“さん付け”で呼ばれていないことは多々。野球やサッカースクールでは呼び捨てだし(笑)
子どもたちは学校内外で器用に使い分けているんだろうな。
うちより上のお子さんいる方、どんなかんじですか?


“さん付け”統一は、諸々のトラブル回避のために有効なのかもしれないし、教育する側の負担は軽減するのかもしれないけれど、表面的なところを統一したところでいじめはなくならないだろうし、
あだ名で呼ぶことが悪いわけではなくて、ダメなのはあくまで蔑称。そこんとこ区別できる人間になるには、あだ名をつけ・つけられるという経験あってこそではないのかね。
道徳の授業にしたらいいと思う。


つらつらとまとまりのないことを書いたけど、当の本人である息子は、“さん付け”であっても、なんら気にすることなく(最初は違和感あったかもだけど)友達とキャッキャ遊んでいる。
「今日○○さんがね~、△△さんとね~」寝るまで続く小学校報告。うん、毎日楽しそうで何より。

この長文をここまで読んでくれたあなたはかなりの忍耐力の持ち主です!アッパレ!!