第51話

 

「さて、血液型コンパ!」

 

「いま座っている席を一度立って、血液型がA型の人は左前テーブル、B型の人は右前テーブル、O型の人は後ろの左側テーブル、AB型の人は右後ろテーブルに移動しましょう」

 

一年生は皆んな、ビールやお酒、ジュースやお茶の入ったグラスを片手に移動し始める。恵ちゃんと僕はO型の席に。大樹はB型。義雄はAB型。僕らもそれぞれ分散する。

 

「意外に均等に分散されるのね。血液型で。AB型は少なめだけど」

 

「さて、皆でお見合いするように話を盛り上げていってください!」

 

最初は静かめだが、次第にガヤガヤ笑い声が飛び交い始める。でも、AB型の席は意外に静かなまま。

 

しばらく、皆んなで歓談する。何となしか、B型コンパの席が明るい。

 

20分も経ったろうか、どの席も盛り上がり、ワイワイして楽しそう。意外に血液型コンパは、同じ血液型同士で盛り上がる。

 

「さて、次に他己紹介をいたしましょう。制限時間、ひとり1分厳守です」

 

「大樹せんぱ~い。他己紹介って何ですか?」

 

少し酔って、ろれつの回らない男の子が質問する。

 

「皆んな、自己紹介は嫌なほど済んだでしょうから、他己紹介。今右となりにいる人と二人ペアで、例えばその人の名前の由来、出身地の自慢や特産物、好きなアーティスト、好きな食べ物などなど、他人から聞いたことを他己紹介します」

 

「自分が他人に紹介される。そんなゲームみたいなものです」

 

「は~い」

 

「話し合いは今からワンペア5分くらい取りますから、それを1分で紹介できるよう短く他己紹介してください」

 

「そうそう、大切なことがあります」

「他己紹介は、明るい話、プラス面の話のみ、何でもいいです。しかし、人を傷つけたり、不快にしたり、その人の政治、宗教に関わる話などは避けてください」

 

皆んなでガヤガヤ、ペアになって互いの聞き取り合いが始まる。

 

さて、他己紹介が始まる。血液型合コンで気もあっているのか、時間も予定通りスムーズに運ぶ。

 

「加藤洋行さんの洋行の名前は、洋、つまり7つの海を飛び回り、行くは、世界の色々なところに行けるよう名付けられたそうです!」

 

「なるほどね、加藤、英語できるしな」

 

「将来、楽しみだな」

 

色々なリアクションのつぶやきが聞こえる。やはり、ペアの相手の名前の由来の他己紹介が多い。この他己紹介は、盛り上がると言うより、へえ~そうなんだ、と言う内容のものが多い。

 

「さて、他己紹介も終わり、懇親もより深まったと思います」

「続きまして、出身別コンパ!」

 

「北海道、東北の人は左前テーブル、関東の人は右前テーブル、中部、近畿の人は後ろの左側テーブル、中国、四国、九州の人は後ろの右テーブルに移動しましょう」

 

これは、関東の人が少し多い。また歓談が始まる。血液型コンパより盛り上がりが大きい。やはり、同郷の話題。皆楽しんでいる。

 

「皆さんには後で、それぞれのグループで、地方の面白い方言を紹介していただきます」

 

大樹は先に発表内容をアナウンスする。

 

「北海道では、とても美味しいを、なまらうまい、と言います。なまらは、とてもという意味で、味だけでなく、なまら疲れた、なまら面白い。英語で言うveryと同じの形容詞です!」

 

「鹿児島では、だるいことをてせ、とても疲れることをてせ~と言います。宮崎や大分では、面倒臭いことを、よだきいと言います」

 

「だから岩崎、農場実習で疲れた時、てせ~って呟いていたんだ。今わかったよ」

 

「田辺は、よだきい、よだきいが口癖みたいだしな」

 

地方別コンパも盛り上がる。夜も10時をまわった。今度は一年生が音頭をとる。

 

「それでは皆さん。そろそろ今夜の宴会をお開きにしましょう。そして四年生の先輩方に盛大な拍手をお願いします!」

 

食堂中割れんばかりの歓声と拍手。僕らは深く深くお辞儀をした。

 

皆んな、大いに喜んでくれた。他己紹介、企画コンパのおかげで、どうやら話したくても話せなかった男の子、女の子たち同士、さらに仲良くなったらしい。

 

 

ーーーーー

 

 

「さて、海行くヤツ。いないか?」

 

大樹が一年生の何人かに声をかける。

 

「おいおい、大樹、やっぱり行くのかよ?」

 

僕が聞くと、

 

「まあな」

 

「歩ちゃんに嫌われるぞ」

 

「はいはい」

 

大樹は一年生のイケメン男子を4−5人連れて、また夜の海に向かっていった。

 

「恵ちゃん。大樹、呆れるよね」

 

「私たちも行こうよ。海」

 

「えっ?」

 

恵ちゃんの真面目顔。

 

「さっきの続きが欲しいの」

「正くんと確かめたいの……」

 

「何を?」

 

「人は恋を語り合うことで恋するようになるから」

 

「わかった。お互い、シャワーを浴びてから海に向かおうか?」

 

「うん。そうする」

 

食堂では中締めをしたが、まだ一年生はワイワイ騒いでいる。底抜けの若さ。血液型合コン、出身地別合コンの成果も上がっているようだ。

 

皆んな、心打ち解け楽しそう。そうだ。僕も今宵を楽しもう。

 

 

ーーーーー

 

 

「恵ちゃん、行こうか?」

 

「うん!」

 

オレンジ色のワンピースに着替えて来た恵ちゃん。とても綺麗だ。一年生の中にいるからかもしれないが、普段のおてんば娘さんが今日は特段大人びて見える。

 

濡れたままの洗い髪のシャンプー・リンスの香りと、お気に入りのティファニーの香水の混ざった素敵な香り。僕は魔法にかけられる。それだけで、胸の鼓動が高鳴ってくる。

 

二人並んで、さっき通った海岸への細道を歩いて行く。手を繋ぐ。この、ごく自然な行動だけで、僕には言葉にできない嬉しさがこみ上げてくる。花火をした時間とは大違い。10時を過ぎた夜の海の人影はまばらだ。

 

「船の灯り、星空。さっきよりも素敵だね」

 

「うん」

 

ひと気のない方へと二人足を進める。

 

「正くん。一年生の時からずっと私を見つめていてくれたの?」

 

「いや、恵ちゃんは気にはなっていたけど、三年生までは彼女なんて作らないと心に固く決めていたから。恵ちゃんが誰かに取られても仕方ないと思っていた」

 

「どうして?」

 

「話は僕が貧乏なところからはじまるんだ。デートに出せるお金もないし、洒落た服を買うお金もない」

「でもね、心と身なりは清潔にしてたよ」

 

「だから、オケではモテたのね」

 

「それはどうだか」

 

「今のオケは異常。こずえちゃんが僕にクレイジーで、今少しブームになっているだけ」

「だいたいわかるんだ。彼女のような陽気で社交的な子は、優しく断れば、すぐに新しい彼氏を見つける」

 

「あら、それでいいのかしら?」

 

「僕には恵ちゃんがいる」

 

「さあ、どうだか。私だって、わからないよ~。陽気で社交的な子だから」

 

二人で微笑む。

 

「でも今日の、今の私は正くんのものよ」

 

人影のない二人隠れる暗闇の中、互いに寄り添う。さっきと同じ、僕は背後から恵ちゃんを抱きしめる。

 

さざなみの音と、微かな潮風が優しい。

 

「ずっとこのままでいたいね。永遠? だっけ?」

 

「うん。太陽と共に去って行った海」

 

僕は無言で背後からブラジャーの下の乳房を優しく両手で包んだ。そして恵ちゃんの首筋を唇で優しく愛撫する。恵ちゃんは、後ろから右手で僕のジーパンのチャックあたりをさすり始めた。

 

沈黙の時。

 

そして、耐えられない……。

 

「ちょっといい?」

 

「うん? 何?」

 

少し息遣いの荒くなった恵ちゃんが僕に問いかける。僕はジーンズのチャックを開ける。密着して背後から抱いたまま、恵ちゃんにそそり出るものを握らせた。

 

恵ちゃんは、握りしめた手をピストン運動のようにゆっくり動かす。僕はさらに恵ちゃんを強く抱きしめ愛撫し、髪に顔を深く埋め、香水と入り混じった恵ちゃんの香りだけで呼吸する。

 

さざなみの音が、意識を失う様に遠のいて聞こえなくなってくる。

 

「恵ちゃん……。いいかな?」

 

僕は恵ちゃんの耳元で囁く。

 

「何?」

 

「うん……。あの、出したくて……」

 

「どうすればいいの?」

 

「恵ちゃん。手のひらを出して」

 

「うん?」

 

恵ちゃんの小さな声。

 

恵ちゃんは僕の方を向き、小さな右手の手のひらを僕のところに差し出した。

 

「いくよ……」

 

最後は自分で。恵ちゃんの手のひらに長い間射精した。

 

「ごめんね。こんな風で。初めての……」

 

「いいのよ。恋の感情というのは、もともと理性でコントロールできるものじゃないから」

「恋はその場の行動よ。言葉だけじゃ恋なんかできない」

「恋したら、いつだってこころは頭より先にすべきことを成しちゃうものなの」

 

二人見つめ合い微笑む。

 

「そう。恵ちゃん、ティッシュ持ってる?」

 

「ううん。ないよ」

 

「どうしよう? それ……」

 

「海があるじゃない」

 

恵ちゃんはお椀型にした僕の精液のあるその手のひらを、こぼさぬよう大事そうにして海まで運ぶ。

 

「流しちゃうよ。海に」

 

「うん」

 

穏やかな波が、かがんだ恵ちゃんの手をくぐる。

 

「永遠ね」

 

恵ちゃんの手をすすぐ言葉が優しい。

 

「僕だけ気持ちよかったね」

 

「ううん。そんなことないよ。私も」

 

恵ちゃんは立ち上がり、手を胸に当てる。

 

「よかった。正くんのこと、とても好きだったから、友達の関係だけで終わりたくなくて」

 

「僕も」

 

「好きな人がいるという、今ある幸せに目を向けられる。そして、そう幸せな自分自身を受け入れて、さらに正くんを好きになれる」

「これから楽しみにしてね。私は女に生まれたんじゃないのよ。女になるために生まれてきたの」

 

「本当に始まったね。恋」

 

「うん。始まった」

 

「よろしくお願い申し上げます」

 

お辞儀してから夜空を見上げる恵ちゃんの姿を船の灯りが照らし、ワンピースのオレンジ色が、永遠の海と星空の神秘に映える。

 

第50話

 

「さて、行くぞ~、夜の海。花火だ、花火! そして、ナン……」

 

大樹は慌てて息を止める。

 

「大樹君たちも、一年生のとき、こう誘ってくれれば男の子も女の子も海に行ったのに」

 

「済まん、済まん。当時はつい結論から先に述べて」

 

「まあいいわ。行きましょ。夜の海」

 

みんなでゾロゾロ海に向かう。

 

「バケツ班、ちゃんと水入れて来たか~」

 

男子が叫ぶ。

 

「大丈夫よ~」

 

黄色い声が答える。

 

合宿所から海までの細い道。僕は恵ちゃんと並んで歩く。大樹と義雄も並んで歩く。

 

「わあ、綺麗。船の灯りね。夜空も星いっぱい」

 

恵ちゃん、可愛い。優しい瞳。澄んだ目で星空を見上げる。まさに天使そのもの。

 

僕の口が勝手に話し始める。

 

「ランボーは言ったんだ」

 

「何て?」

 

恵ちゃんのいつもの不思議顔。暗がりの中、それはまたとても可愛い。

 

「また見つかったぞ。何が? 永遠が。それは太陽と共に去って行った海だ」

 

一年生、大樹、義雄グループからふた足、三足遠のいた距離。大樹たちは花火場所を見つけに小走り。

 

真っ暗な海の家の裏の影。僕は立ち止まり恵ちゃんを後ろから優しく軽く抱きしめる。抵抗はない。

 

「正くん。好きにしていいよ……」

 

僕には意味がよくわからない。

 

でも、恵ちゃんの少し胸元の広いワンピースの左鎖骨辺りから手を差し入れる。ブラジャーの下、とても柔らかい乳房に手のひらが当たる。指先がふと乳首に触れる。ビクンと恵ちゃんの体が揺れる。

 

そのあと、急に恵ちゃんは僕の方に振り向き、僕を強く抱きしめる。そして長いキス。

 

「正くん。ありがとう」

 

「いや……、恵ちゃん。こちらこそ……」

 

「正。どこだ? 花火だぞ、花火。恵ちゃんもおいで」

 

暗闇の中、どこからか大樹と義雄の声。

 

「行こうか」

 

「行こう」

 

一年生と混じって大はしゃぎの花火。花火の明かりに映る一年生の澄んだ瞳。

 

「夜の海、楽しいじゃん」

 

「だろ」

 

「大樹が一年次に余計なこと言わなければ、一年生からこの快感得られたのに」

 

恵ちゃんがそわそわして落ち着かない。

 

「どうしたの? 恵ちゃん。借りて来た三毛にゃんみたいだよ」

「はい。花火」

 

大樹が恵ちゃんに花火を手渡す。

 

「ありがとう……」

 

「恵ちゃん。この瞬間を楽しもうよ」

「何もかにも忘れて」


僕は恵ちゃんの耳元でささやく。

 

「うん。そうね」

 

いつもの恵ちゃんに戻る。

 

「なんで先輩たち仲良くて、そんなに面白いんですか?」

 

花火の光で照らされた、生き生きとした一年生たちが僕らに声かける。

 

「それはね、科学を追求している仲間たちだからだよ」

 

「ふうん」

 

一年生にはよく分からないらしい。

 

「科学とはね、知ることなんだ」

「知ることはまた科学になるんだ」

 

僕は一年生の女の子に試してもらう。

 

「例えば、この花火、バケツの水に入れてごらん」

 

「あっ! すごい!」

「水の中でも花火が燃えてる!」

 

「でしょ? な~んでだ?」

 

「分からないです」

 

「そういう分からないことを知るのが科学なんだ」

 

義雄が言う。

 

「火薬の周りが防水剤で保護されているものは水中でも消えにくい。でも線香花火のように保護さていないものは消える」

 

「また、水中で消えない花火は、防水剤だけじゃなく、酸化剤のおかげで酸素が供給されて花火自身の熱源で燃え続けるの」

 

恵ちゃんも優しく一年生に教える。

 

「へえ~。不思議なんですね」

 

「そういうふうに、感じた不思議を解明するのが科学だよ」

 

「なんか、先輩たち面白いしすごいですね!」

 

一年生たちは最後に残った線香花火を楽しむ。恵ちゃんはその花の様に飛び散る火をみながら僕にすり寄ってくる。

 

「ねえ。正くんの私への恋も、初めてバケツの水に燃えさかる花火を入れる時の様なドキドキ感があったのかしら?」

「関係を壊すのが怖くて告白できない。振られることで決定的に失恋してしまうのが怖いなんて思わなかった?」

 

「ああ……」

 

「そんな不安から、いつもいじいじして告白に踏み出せなかったんじゃないの?」

 

「うん。そういうところもあった」

 

「私たちはうまくいったけど、例えば恋を告って振られて恋を失うことも、恋をしなかったよりマシなのよ」

「線香花火が燃え尽きる様に、たとえ恋を失ったとしても、恋している過程で得られたよろこびや幸せの記憶は永遠に残るから」

 

「そして……、何もかも失われた時にも、未来だけはまだ残っているから」



ーーーーー


 

皆んなで花火で大遊びした。ワイワイガヤガヤ合宿所に戻って来た。

 

「プシュー。プシュー」

 

明らかにノンアルコールビールとは思えない。飲めば飲むほど皆陽気になってくる。とうとう、一升瓶まで登場した。伊豆の地元の美酒らしい。

 

義雄も持ち込みのお酒、つまみをテーブルに並べる。恵ちゃんがお酌をしてくれる。

 

「恵ちゃん、飲まない?」

 

「ううん。私はいい。せっかくの白い美肌のお顔が赤くなっちゃうから」


「それ、自分で言う?」


僕は微笑む。

 

「さて、皆さん。合コンを始めましょう!」

 

大樹が急に立ち上がり叫ぶ。

 

また、あれか……。


第49話

 

「海。綺麗ね」

 

「うん。夜がまた、たまらなく美しいらしい」

「釣り船の灯りが見えて、今日のように快晴の日は満天の星空」

 

「ロマンティックなのね」

「大樹くんの話を聞くと、ナンパ、ナンパと刷り込まれるけど、夜の海はそれだけではなさそうね」

 

「私も来ようっかな~。夜の海」

「ねっ、正くん」

 

「ああ……」

 

僕はいらぬ妄想をする……。

 

「一年生の時の大樹たちは、さあ、ナンパに行くぞ! と言う唯一無二の掛け声だったから、おとなし系の男子は花火にも、誰も足を運ばなかったんだ」

「まあ、夜来てみようか」

 

「うん」

 

恵ちゃんが可愛く首を縦に振る。もう、僕の恋人だ。その感覚が心地よい。

 

 

ーーーーー

 

 

「しかし、50人分のチャーハンは大変だね」

 

僕は、オケの後輩のフルートの女の子に声かける。

 

「はい。でも二年生の先輩とかに聞くと、夕食はカレーかチャーハンかで決まりと言われました」

「今日は昼がカレーだったので、夜はチャーハン」

 

「僕らの時も同じだったよ」

 

「でも、炊事班によって味が違うのが、それはそれで楽しみだよね」

 

「はい!」

 

「そう、こずえちゃんが、先輩によろしくと言ってましたよ」

 

「何? 僕、こずえちゃんに伊豆に来ることなんか言ってないよ?」

 

「昼にLINEしたら返信があって」

 

「どこへ行っても、悪いことできないね」

 

「恵先輩可愛いから、こずえちゃん、正先輩が心配だと言ってました」

 

「おやおや、そこまで言われる」

 

「さあ、食べましょう!」

 

夕食は、チャーハンと中華スープ。そしてレタスとキュウリのサラダにバナナ1本。

 

「いただきま~す」

 

「おい。今日のは美味しいぞ!」

 

どこからともなく声が聞こえる。

 

「うん。おとといとは大違い」

 

「先輩もたくさん食べてください」

 

「うん」

 

所々でシュパっとした缶を開ける音がする。やれやれ、男性陣はすぐにビールだ。なだ未成年なのに。

 

「ビールはダメなのに……」

 

恵ちゃんが呟くと、

 

「皆んなノンアルコールのもの、と自己申告していますから」

 

「本当かな~?」

 

「いや、中には、怪しい人もいるにはいるんです……」

 

さて、食事の終わりどき、どこからともなくカラオケマシーンが登場する。

 

「先輩たちも余興あるんですよね」

 

「うん。楽しみにしてて」

 

一年生の男性陣が歌い出す。食堂が一気にカラオケ居酒屋の雰囲気に一変。女の子たちも手拍子をして笑い声をあげる。

 

しばしの観覧。僕も缶ビールを開ける。次に女の子たちの出番。流行りのポップ調の曲など玄人はだし。上手い。

 

「さて、お待たせいたしました。最後に、四年生の先輩方による余興。知床旅情!」

 

食堂は一斉に拍手と割れんばかりの歓声で盛り上がる。


司会の恵ちゃんが僕らメンバーを紹介しているうちに小道具などの準備を済ます。

 

カラオケが流れる。大樹がしっかりとマイクを握る。

 

「お待たせしました。それではまいります、知床旅情、伊豆バージョン!」

 

知床旅情の歌詞を伊豆用に大樹が少しアレンジして来た。

 

「いぃ~ずの~ぉ岬に~、ハマナス~の咲く頃~」

 

大樹のこぶしの効いた力強い歌い出し。

恵ちゃんが満面の笑みで僕らの輪に入る。

 

僕らは精一杯の笑顔で、キラキラとハマナスの被り物をした恵ちゃんに向かって手のひらを動かす。恵ちゃんも素敵な満面の笑み。

 

「うわ~、可愛い!」

 

1年生からの図太い男の声と黄色い声。

 

「おも~いだ~しておくれ 俺たち~のこ~とを」

 

僕らは距離を取り、孤独感ありありに胸にクロスの手を組み、うつむいて郷愁を誘う表情をする。一年生はウンウン頷く。

 

「の~んでさ~わあい~ぃで~、丘に登れば~、遥か七~島に、白夜はぁあける~」

 

飲んで酔っぱらって騒いで、僕と義雄がふざけあった素ぶりの後に、即、場面展開。小道具のリュックを背負いピッケルを手に、パントマイムの様に、二人全く同じ動きで、真面目顔で登山する動作に入る。

 

「先輩方のキビキビとした場面展開がウケる~!」

「プロの劇団の人みたい!」

 

「旅の情(なさけ)か 酔うほどに さ~ま~よい~」

 

僕と義雄は、酔って遠い目をしたフリをして、何かを探し求めるようにステージ中を交差するように彷徨う。

 

「浜に出てみれ~ば 月は照る波の上(ぇ)~」

「君を今宵こ~ぉそ 抱きしめんと~」

 

僕と義雄はBLのように下半身を密着させ、ハニカミながら抱き合い、義雄は僕の頭を優しく撫でる。

 

「やだ~。BLじゃないですか。エッチ~」

 

一年生の女の子たちがキャッキャと笑う。

 

その後、すぐに義雄は岩になり、恵ちゃんがピリカ(美しい娘)という被り物をして腰をモンローウォークの様にくねらせて出てくる。僕はすぐに岩になっている義雄の影に隠れて妖艶な恵ちゃんを覗き見る。

 

「岩かげぇ~に寄~れば~ ピリカがぁわ~ら~うぅ~」

 

大樹の声量を上げた、コブシの効いたシブい声もいい。

 

恵ちゃんは、僕に気づき、両手を頬っぺたに添え素敵に微笑む。

 

「白いカモメよ~ 白いカモメよ~」

 

恵ちゃんがカモメの被り物をしてコミカルに宙を舞う踊りで余興を終える。


僕らの余興は大成功。皆んなで大笑い。

 

「アンコール! アンコール!」

 

一年生からはアンコールの歓声。

 

「おい、正どうする?」

 

「義雄、どうする?」

 

僕らはアンコールなど考えていなかった。

 

「あれ、やるか?」

 

大樹が言う。

 

「やるか?」

 

僕が言う。

 

恵ちゃんがクスクス笑っている。

 

「あれ、やるの?」

 

「さて、カラオケはいりません。みなさん手拍子をください」

 

大樹が音頭を取る。あとは僕と義雄の3人劇。恵ちゃんはタンバリン担当。

 

「さん、はい!」

 

「ア~ブラハムの子供は7人の子供、一人はノッポであとはチビ~、さあ、踊りましょ!右手!」

 

僕らは、右手だけこぶしを握り、パンチをするように前後させる。

 

「ア~ブラハムの子供は7人の子供、一人はノッポであとはチビ~、さあ、踊りましょ!左手!」

 

左手もこぶしを握り、左右の腕、交互にパンチをする踊り。

 

「ア~ブラハムの子供は7人の子供、一人はノッポであとはチビ~、さあ、踊りましょ!右足!」

 

左右の腕、交互にパンチをする踊りに、右足で蹴り上げる動作を加える。

 

食堂は次第に笑の渦に飲み込まれる。

 

「ア~ブラハムの子供は7人の子供、一人はノッポであとはチビ~、さあ、踊りましょ!左足!」

 

左右の腕、交互にパンチをする踊りに、右足と左足で蹴り上げる動作を加える。

 

「ア~ブラハムの子供は7人の子供、一人はノッポであとはチビ~、さあ、踊りましょ!腰!」

 

左右の腕、交互にパンチをする踊りに、右足と左足で蹴り上げる動作を加え、さらに腰を振る。

 

食堂はもう大笑いの渦。しかして歌は、まだ続く。

 

恵ちゃんもお腹を抱えて、これ以上笑えないと言うほど笑ってタンバリンを叩いている。

 

「ア~ブラハムの子供は7人の子供、一人はノッポであとはチビ~、さあ、踊りましょ!頭!」

 

左右の腕、交互にパンチをする踊りに、右足と左足で蹴り上げる動作を加え、さらに腰を振り、頭を振る。もう、タコの動きに近く、僕らも苦しい。

 

一年生は抱腹絶倒。大受けしている。

 

「さ~て。終わりました~」

 

大樹の音頭でアンコール芸を締める。

一年生の笑いと拍手が止まらない。

 

「なんで先輩方、そんなに面白いんですか!」

 

僕たちは、四年生としての実習サポートの大きな役目を無事終えたことに満足した。

 

第48話

 

「なんか、小腹空かない?」

 

「全然。車の中で頂いた恵ちゃんお手製のおにぎりと卵焼きで俺らは大満足だし、お腹いっぱいだよ。正はおにぎり、五つも食べたんだよ」

 

「でもね~。別腹が求めるのよ。おいでおいでしてるの」

 

「わかったよ。デザート感覚でグルメしよう」

 

大樹が決める。

 

「うん! ありがと」

 

恵ちゃんを先頭に僕らはレストランに入り、パインボード二つに、それぞれにフレッシュバナナジュース、そしてバナナパフェを頼む。

 

「美味しい!」

 

「最高だね!」

 

「でしょ?」

「ご当地ものはご当地で口にするものよ」

 

「夜の海の出会いみたい」

 

「大樹、それは何の例えだ?」

 

「ご当地で会った子は、そこでご馳走になると言うこと」

 

「あ~あ。またその話……」

 

恵ちゃんが大きなため息をつく。

 

「でも、大樹くんのナンパ話、何度も聞いていると、相手がいるわけだから相手も楽しいのよね、きっと」

 

「おっ? 恵ちゃんわかってきたね。そういうことなんだよ」

 

「全然わからないわよ」

 

くだらない会話をしながらも、皆んなで新鮮で美味なフルーツの虜になった。

 

「美味しいものついでに、植物検定の属名覚えようか、フルーツの」

 

「どうやって?」

 

恵ちゃんが僕に問いかける。

 

「詩にするよ。ちょっと待ってて」

 

僕はメモ帳とボールペン、そして植物検定の冊子をカバンから取り出した。

 

ー 実のなる恋 ー

 

買って来たよ 缶詰パイン

シロップ漬けの4枚入り

甘酸っぱくて美味しいの

 

ゆっくりゆっくり食べようか

 

カットパインの穴を覗いてフルーツ友達ご紹介

 

一つ目の穴を覗くと マンゴーさん 

ウルシ科のマンゴー属 Mangifera indica

ヒンドゥ教では大宇宙の神様だよ

 

二つ目の穴から ココナッツさん

ヤシ科のココヤシ属 Cocos nucifera L.

ポルトガル語でココス つまりサルの意味

タネの孔がサルに似ているからだよ

 

三つ目の穴は パパイアさん

パパイア科パパイア属 Carica papaya L.

実は恐竜時代の生き残りと言われている古代植物

 

四つ目の穴からは ドリアンさん

アオイ科のドリアン属 Durio zibethinus

言わずと知れる果実の王様

 

あっ! 全部食べちゃった!

 

自己紹介を忘れてました 僕の名前はパイナップル

パイナップル科アナナス属 Ananas comosus

実が松ぼっくりに似ていて リンゴのようなあまい香りがするから

pineとapple 組み合わせてpineapple

 

実はね 僕らにもね 花言葉があるんだよ

 

一つ目 マンゴー 「甘いささやき」

二つ目 ココナッツ「思いがけない贈り物」

三つ目 パパイア 「燃える思い」

四つ目 ドリアン 「私を射止めて」

 

こうして恋のステップ踏んでいくよね

そして僕 パインの花言葉 それは「あなたは完全です」

 

はい! ここまで! 実のなる恋の成立ですよ

 

「正くん。天才じゃない? 詩も書けるの?」

 

恵ちゃんがクリクリした瞳で僕を見つめる。

 

「いや、なんとなく書き連ねただけ。小学生の書くレベルの詩だよ」

 

「でも、可愛らしくて爽やかでいい。テンポよく果樹類の属名も覚えられそうだし」

 

「さて! ごちそうさま」

「熱帯植物の楽園に行くわよ。ランがたくさん見られるわ!」

 

「あっ、渡辺先生」

 

農学部の農場の助手の渡辺先生とレストランを出たところで出会う。助手といっても、もう55歳を過ぎているベテランの先生だ。愛称は、歩く植物図鑑。

 

「こんなところで何してるんですか?」

 

恵ちゃんが尋ねると、

 

「一年生の果樹実習のレクチャーに来ていて、最終日にはオプションでここの温室の案内もするから事前視察しているんだ」

「君たちの一年次の時は用事があって来れなかったんだけど」

 

そうだ、果樹園芸の実習の最終日にバナナワニ園に来る。見学のメインはここの温室。僕も一年生の頃、ここの温室を見て花卉に興味を持ち始めたんだ。

 

「パフィオペディラム、ブラッサボラ、バンダ、オンシジウム、デンドロビウムそしてカトレア、リカステ、オンシジウム」

「大学の農場にもあるけど、やはり魅せる用のここのランたちは特別綺麗ね」

 

恵ちゃんが呟くと、僕は植物検定の冊子を鞄から出してみた。

 

「植物検定、ランは特別多いじゃない。80属くらい覚えなきゃ」

 

「浅野先生の意向だよ、きっと」

 

渡辺先生が話す。

 

「浅野先生、若い頃はランに夢中だったからね」

「動物界で最も進化した生物はヒト、植物界ではランだからね」

 

「100属近くのランを材料に、いろいろ研究してた」

「特に、シンビジウムやデンドロビウム」

 

「シンビジウム属には、日本の野山にある春蘭があり、高度に園芸品種化された1m近い丈の東洋蘭に区分されるシンビジウムもある」

「学生の時に交配とかもしていたんじゃないかな? 同じ属だから種子ができるはずだとかいって」

 

「しかし、ラン以外も熱帯植物の数すごいですね」

 

「ああ、まさに楽園だね」

 

僕らは、ジャングルのような温室にある数千種の植物の木、花、葉、実を見て感動する。渡辺先生のガイドは素晴らしく、まさに植物図鑑。

 

「植物検定では、熱帯植物は少ないですね」

 

「多分、まずは浅野先生が市場に流通している花、日本に自生のある花、庭木、花木、観葉植物などを覚えるように工夫して冊子を作ったんじゃないのかな」

 

「花卉園芸を学んだものが、社会に出て一般的な花や園芸植物の名前一つ出てこないと本人が困るから」

「そして、世界へ羽ばたくだろう君たちには世界の共通語、ラテン語の属名が必要だし」

 

渡辺先生は浅野教授の心をよく知っている。何だか、植物検定を頑張ろうという気が湧いて来た。

 

「お昼ご飯、どうするんだい?」

 

「どこかいい店ありますかね?」

 

「そうだね……。鯵たたき丼がオススメかな」

 

僕らは店の名前を教えてもらい、ランチはそこにすることにした。

 

「早めに行かないと売り切れちゃうよ。並ぶのは覚悟だよ」

 

「先生も一緒にどうですか?」

 

「僕は一年生の手作りランチ、今日もまたカレーみたいだけど、それを食べるよ。合宿だからね。同じ釜の飯を食う」

 

「僕らは夕方には合流します。夕食はチャーハンだと聞いてます」

 

「じゃあ、また夕食時に会おう」

 

「はい」

 

僕らは渡辺先生のオススメの店に足を運んだ。先生の言う通りお昼時、10人くらいの行列ができている。

 

運良く10人の団体さんが、いっぺんに店を出て来た。

 

「じゃあ、皆んな鯵たたき丼ね」

 

「うん」

 

「伊豆の空気、いいわね。天気もカラッと、潮風爽やか」

「夏の扉が開くところ。丁度いい季節よね」

 

店員さんが鯵たたき丼を運んで来た。

 

「すごいわ! どんぶり一杯に鯵4尾も使ってる。インパクトがあるね。私、全部食べられるかしら?」

 

「無理なら残していいよ。僕が食べるから」

 

「うん。正くんお願い」

 

「美味しい! 新鮮な鯵の旨味が濃厚で、脂がのっている」

「ほどよく生姜が効いていて、全体の味がキリっと締まっているね」

 

「まるで私みたい。旨味がぎっしり詰まっていて美味しいよ」

 

「それ、自分で言う?」

 

「あら、間違えてるかしら? 私」

「ねえ、正くん?」

 

「いや……。その……」

「まだ食べてないけど……。そうなんじゃない……」

 

「おいおい。最近、正と恵ちゃん、何か変だぞ」

「何かあったのか?」

 

大樹が話を切り出す。

 

「いや、別に」

 

「いや、変だ」

 

義雄も勘ぐる。

 

「最近どうもおかしい」

 

「そう言う君らも、歩ちゃんやみどりちゃんとかと……」

 

「何もないよ。俺たちは」

 

そう言いながら、二人とも僕への視線を外らす。

 

「皆んな恵ちゃん狙いの線、外れていないからね」

 

「いないからね」

 

恵ちゃんが僕のほうを向いて、いつもと違う、恋人の顔して微笑んで繰り返す。

 

第47話

 

「来たぞ~。海だ!、山だ!、温泉だ!」

 

「伊豆ね。最高に爽快ね!」

 

恵ちゃんが素敵に背伸びして深呼吸する。

 

「え~と。タコの木、タコの木。あれはタコノキ科、Pandanus属」

 

「だから正よ、この二日間くらいはのんびりいこうよ」

 

「いこうよ」

 

恵ちゃんがニコニコしてポンと僕の肩を叩く。

 

「はいはい」

 

僕は植物検定の冊子をカバンにしまう。

 

「おはようございま~す」

 

40人の一年生の若々しい声が僕たちに響く。

 

「やあ、おはよう!」

 

陽気な大樹が手を上げて挨拶返しする。

 

果樹園芸学実習は4日目の朝。4日も一緒に同じ釜の飯を食い寝泊まりすれば、皆んな心が打ち解けて来る。

 

懐かしい。僕らもこうだった。

 

初めはお互い何も知らなかった僕たち。3年間の年月と友達の存在が、僕たちを何とか知恵や論理を駆使することのできる今の四年生にまで成長させてくれた。

 

「先輩たちは朝ごはん食べて来たんですか?」

 

「ああ、車の中で食べて来た」

 

「な~んだ。もう8時半だけど、もしもの時に備えて、朝ごはん残しておいたんですよ」

 

手作りのぐちゃぐちゃな形の卵焼き、切り方の太さがまちまちのオクラ。そして焼きすぎているアジの開き。味噌汁は、増えるワカメで埋め尽くされている。

 

まあ、この7日間は一年生の完全自炊生活。班ごとに料理の良し悪しが分かれる。女の子が居れども、その班の料理が上手いとは限らない。でも、皆んなで楽しく食べれば、何でも美味しい。

 

オケの後輩も3人いる。トロンボーン、チェロ、フルートの子。

 

「こずえちゃんのお気に入りの正先輩、おはようございます」

 

「あらあら、伊豆に来てまでこずえちゃんの名前が出るの?」

 

恵ちゃんがクスッと笑う。

 

「こずえちゃんのお気に入り、は余計な接頭語だよ」

 

僕らは皆んなで微笑む。

 

「早速俺たち、バナナワニ園に行くからね」

 

「あら、先輩方、果樹実習のサポートで来たんじゃないんですか?」

 

「建前、建前。毎年の四年生の楽しみな自由時間だよ」

 

「な~んだ」

 

一年生は少しがっかりしている。

 

「夜は頑張るからね。皆んなで遊ぼっ!」

 

「は~い!」

 

皆んな一斉に声を上げる。

 

 

ーーーーー

 

 

「ワニよ、ワニ! 君たちどうしてここにいるの?」

 

恵ちゃんのおとぼけが始まる。

 

「ワニ園にワニがいなくてどうする」

 

大樹が言うと、

 

「あら、どこだかのテーマパークには、クジャクがいると言って、いなかったことがあるのよ」

 

恵ちゃんが言い返す。

 

「確かに。どこだかのスナックで、新しい子が入ったのよ、と言って入っていなかったことがある」

 

「大樹よ、それは例えが違うだろうよ」

 

僕と義雄は二人の会話に呆れる。

 

「まあいい。ここにはいる。ワニさんも、カメさんも」

 

「うん。可愛いね」

 

「見て見て! レッサーパンダよ。可愛い!」

「アニメのアライグマ、ラスカルに似ているね」

 

「アライグマとレッサーパンダはどこが違う?」

 

大樹が皆んなに問う。

 

「アライグマのラスカルは、実はレッサーパンダをデフォルメして作られたキャラクターなんだ」

 

「アライグマとレッサーパンダの違いは、体色と顔の模様の2つ」

「レッサーパンダの体色は鮮やかな赤茶色、アライグマは灰色がかった茶色」

「顔の模様も違って、ほっぺに白い模様があるのがレッサーパンダ、太い眉毛のような白い模様が特徴的なのがアライグマ」

 

「義雄、詳しいね」

 

「ホント。オタクのような詳しさね。義雄くん、実はラスカルのぬいぐるみかなんか抱いて寝ているんじゃないの?」

 

そう言いながらも、恵ちゃんも感心する。

 

「ねえねえ、見て見て! フラミンゴ」

 

「赤からオレンジ色の体毛。グラデーションがとても綺麗ね」

 

「あの体毛の色は餌から来ているんだよ。主としてβカロチンとか」

 

「カロチノイド!」

 

「そう」

 

「ようやく犯人を突き止めたわよ。色を出す餌はニンジンね」

 

「恵ちゃんの脳みその働き方、調べてみたいよ」

 

「エサは水中の藻類やエビなどに含まれるカロチノイドだよ」

「オレンジ色の餌ならオレンジ、赤なら赤」

 

「ちなみに、餌にカロチノイドが含まれていなければ体毛は白になるんだ」

 

「ふ~ん。なんか、カーネーションが白だとか、赤だとか、そしてオレンジ花色になる謎に、微妙に繋がる部分あるかな?」

 

「全く無いね。だからその恵ちゃんの脳みその思考回路、調べたくなるんだよ」

 

皆んなで笑いながらも、僕たちの眼には、一本足で立っているオレンジ色のフラミンゴが、オレンジ色のカーネーションに重なって映る。

 

「フラミンゴの一本足立ち。完璧なバランスね」

 

恵ちゃんが僕にスリスリすり寄ってくる。

 

「うん」

 

恵ちゃんが小さな声で話し始める。

 

「私はね、完璧だから正くんに恋するんじゃないのよ。完璧じゃないから恋するの。わかる?」

 

「うん……」

 

「人は皆んな、喜びと寂しさとともにこの世に生まれてきたと思うの。勘違いだとか孤独とか、自分の中の幸せと、あきらめや葛藤みたいなものを抱えて。そういったものをわかり合おうとすることが、人と人とが恋することに通じるんじゃないかな?」

 

「恵ちゃんの喜びや幸せはすぐにわかるよ。でも恵ちゃんにもあるの? 孤独感や葛藤って」

 

「あるわよ、もちろん。恋は目ではなくてこころで見るもの。正くん、私の笑顔だけに溺れないで」

「誰かに気を持ち始めると、恋すべき人と、寂しさを解消してくれる人の違いを頭ですり替えてしまう場合がある。それには注意しなきゃ」

「正くんには色々なこと、許すこころがあると思うから。許すこころが無い人に、私、恋する意味が無い」

 

「許すって……。何を……」

 

「お~い。正、恵ちゃん。本園に行くぞ~!」

 

「は~い!」

 

恵ちゃんがステップ踏んで大樹と義雄の方に向かう。今、そばにいた恵ちゃんが離れて行くだけで孤独感を感じる。いないときに恵ちゃんを慕い、恵ちゃんが自分のそばにいることをいつも欲している。

 

これまでも何度も同じような場面があったけど、恋したらその気持ちが微妙に違う。どうしたものか……。こころがとても慌ててる。

第46話

 

「海と温泉。ワニとバナナ。最高だ! 楽しみだ!」

 

大樹が朝一番の研究室で叫ぶ。

 

「うん、楽しみね! ランを始めとする熱帯植物も五千種だって!」

 

恵ちゃんの声のトーンも高い。

 

「まずは明日の朝一で合宿所に合流して、その後バナナワニ園に向かおう。実習の終わる夕方からは一年生との懇親会」

 

「夕ご飯はチャーハンらしい。まあ、合宿の定番だな」

 

「僕たちはお酒やつまみ、持ち込み大丈夫だよね?」

 

「一応、有田先生に聞いてみよう」

 

「あっ、先生。ちょうどいいところに来ました」

 

有田先生が僕らの研究室にひょっこりと顔を出す。

 

「何ですか?」

 

「その前に……、先生の持っているその厚めの冊子、何ですか?」

 

「ああ、これね。これ、植物検定専用の参考書。ここに書いてある植物名、属名のラテン語から問題を出題する」

「実物テストは、花だったり、葉だったり、場合により実や種だったりするからね。6月から始めるよ」

 

「何だか正くんにはトリプルパンチ以上ね」

 

恵ちゃんが苦笑いする。

 

「有田先生。冗談キツイですよ。いつ覚えればいいんですか?」

 

「寝る間を削る必要はないけど、コーヒーでも飲みながらみたいな感覚で覚えるようにと浅野教授は言ってたよ」

「教授は、若者は何でもできる。できるうちに仕込んでおく。というポリシーだから」

 

「はいはい、教授には逆らえませんから……。了解です」

 

僕は投げやりに返事をした。

 

「そう、浅野教授言ってたよ。就職組は1級を取ること。これが内定を通す条件らしい」

 

「あた~っ! 何ですかそれ?」

 

「自信を持って、教え子を世に出すためと言っていた」

「大学院に残るものは、社会に出るまで猶予があるらしい」

 

「私と、もしかして義雄くんは2、3級でもいいわけね」

「正くん、大樹くんは1級か」

 

「俺、暇だし~。1級取るよ」

 

「写真を見て、ポインセチアとクレマチスを間違う大樹が1級取れるわけないだろ」

 

「正。バカにするなよ。俺だってやるときはやる」

 

「そうそう、先生。合宿所に酒の持ち込み、大丈夫ですか?」

 

「ああ、君たちが飲む分には構わないよ」

「ただ、一年生には飲ませないでね。ややこしい話になったら困るから」

 

「は~い」

 

皆んなで声を揃えて返事する。

 

「まあいい。まずは海だ。温泉だ!」

 

「そうよ。ワニ、ワニ、ワニよ! バナナよ! カメよ! レッサーパンダよ!」

 

恵ちゃんがはしゃぐ。

 

「僕は農場の温室に行って植物検定の暗記、早速始めるよ……」

 

「正くん。休息よ、休息。頭も体もしっかり休んで開放しておかなきゃ」

 

「そうそう、恵ちゃんの言うとおり。開放感、あの開放感! 身も心もスッキリ開放してから」

 

大樹が遠い目をする。

 

「夜の海? 行くの?」

 

恵ちゃんが大樹に問いかける。

 

「そう……。いや、今回は行かないと思うけど……」

 

「まあ、たまにはアバンチュールもいいんじゃない?」

「大樹くんの星占い、雑誌で見たら明日のアバンチュール叶いそう、と書いてあったわよ」

 

「どれ? どれ? どの雑誌?」

 

大樹は恵ちゃんを急かすように問いかける。

 

「ほ~ら。簡単に引っ掛かる。ウソよ」

 

「思いつきでそんなこと言わないでよ。本気にしちゃうから」

 

「そんなにいいの? 夜の海」

 

「ああ、何とも言えない」

 

「あの夜の海の、星空と水平線との溶け込んだ景色。浜辺の静けさ」

「そして、そこに舞い降りている天使たち」

 

「どうやって天使さんを口説くの?」

 

「そうだね……」

 

大樹がキリリとした顔で話し始める。

 

「見てごらん。おだやかな水平線。僕はそこに永遠が見えるんだ」

 

「46億年前のそのむかし、生まれたばかりの地球という星には海など無かった。岩石がとけたマグマのみが地表を堅く覆っていたんだ」

「空は蒸気や窒素・二酸化炭素などのガスでできた熱い原始大気で覆われていた」

 

「やがて地球の温度が急激に下がり、原始大気の中に含まれていた水蒸気が雨となり地上に降り注ぐようになる」

「43億年前のことなんだ」

 

「地球という星全体が豪雨の時代となったんだ。しかも100℃近い熱湯の雨だよ」

「地球上のすべての地域で年間の雨量は10mを超えるすさまじい大雨だった。日の光の届かない暗闇の中、それが約千年ものあいだ毎日降り続いた。千年間だよ」

 

「荒々しく岩を削り、岩石の水溶性の要素を全て水に溶かしこみ、地表の低い部分へと流れ、それは徐々に溜まっていった」

 

「そして神から地球という星に託された、穏やかな気候が奇跡を生み出す」

「そう。生命の源、海の誕生だよ」

 

大樹が一息つく。

 

「大樹くん。そんなナンパ言葉スラスラ出て来るくらいなら、今の研究についても、一生懸命その脳みそ生かして働いてよ」

 

恵ちゃんが大樹に呆れながら声をかける。

 

「恵ちゃん。まだ、続きがあるんだ」

 

「そう、そんな海に対し、僕たちは小さくて非力なのかな?」 

「いや。それは違う」

 

「僕たちは一人当たり40兆個の細胞でできている。染色体46本にはヒトとしての生物の遺伝情報が記録され、その染色体上に約30億個のDNAの塩基配列が存在する」

 

「ヒト一人の全ての細胞を紐解くと、一人のヒトゲノムの総全長は120兆メートル。これはそう、太陽系サイズに匹敵する驚くべき長さになる」

「海も僕らの体も宇宙の一つ。かけがえのない地球の愛すべき構成員なんだ」

 

「おだやかな水平線。僕はそこに永遠が見える。そして君に永遠が見える」

「僕らは神に創られた宇宙や地球、海と一体なんだ。そして僕らには愛とぬくもりが与えられた。いま、お互いの大切な命を温め合おう。そして永遠を感じ合おう」

 

「そして優しく女の子を抱擁する。そんなとこかな」

 

「まあ、口説き言葉としては60点くらいね。理系のナンパ師さん」

 

「でも46億年の年月の中でのため息が出るような一瞬の恋。夜の海に興味を持ったわ」

「私も行こうかしら?」

 

「おや、恵ちゃんも考え方が前向きになって来たね」

「で、一人で?」

 

「いいえ。正くんと……」

 

恵ちゃんが、皆んなに聞こえるか聞こえないかの声で呟く。

 

「今なんて言ったの?」

 

「ううん……。何も」

 

「さて、天気予報では二日間とも快晴。義雄、酒の準備頼むな」

 

「オーケー。つまみ類も適当に買っておくよ。後で割り勘ね」

 

「はいよ」

 

恵ちゃんが僕にすり寄って耳元でそっと呟く。

 

「夜の海。46億年の神秘よ。開放感よ開放感。お互いの大切な命を温め合おう」

 

身を寄せて来た恵ちゃんの体温を感じて、僕は頬を染め「うん」と頷く。

 

「ゆっくりとステップを踏んでいこうね。恋の」

 

恵ちゃんのささやきが今までになく心地いいい。

 

「私たちは地球の成り立ちからしたら瞬きをするより短い一瞬の出会いかもしれないけど、誰もがする恋は、地球の歴史に匹敵する永遠の美しき物語よ。短い人生で一番大切なのが恋することだと思う」

 

「神様に私たちの恋がうまく行っても消え失せても、それが永遠を感じたものであることを知らせなければならない」

「もちろん永遠の恋などないかもしれないわよ。でも、永遠の恋をする挑戦をしない恋なんかに意味はない」

 

僕は、今度は真顔で恵ちゃんに「うん」と頷く。恵ちゃんがつけ始めたティファニーの香水のいい香りがする。

 

第45話

 

「と、いうことなんだ」

 

皆んな開いた口が塞がらない。恵ちゃんは呆れてる。

 

「だから言ったじゃない。正くんの忙しさで定期演奏会なんか無理なんだって。夏合宿、10日間もあるんでしょ?」

 

「うん……」

 

「しかも6日目は名古屋で色素研究会のある日じゃない」

「誰か、可愛い女の子にそそのかされたんじゃないの?」

 

「いや、恵ちゃんより可愛い子なんか……」

 

「やっぱりいるんだ」

 

「やれやれ、珍しくもめごとかい?」

 

有田先生が僕たちの研究室にやってきた。

 

「先生。正くん、オーケストラの夏合宿に行くんですって」

 

恵ちゃんが口を尖らせる。

 

「おや、困ったね……」

 

「しかも、色素研究会と予定がぶつかってしまってるんです」

 

「参ったね。どうしようか? 正くん、合宿先はどこ?」

 

「志賀高原です」

 

「あらあら。またそんな遠くまで」

 

先生はいつもの人差し指でこめかみを擦る。困っているときの仕草。

 

「そうなると発表者は恵ちゃんと、義雄くんにしてもいいから発表の方は大丈夫だけど、やはり正くんがいないことには……」

 

「問題はないと思います」

「恵ちゃんは完璧だし、義雄の英文発表も先生にフォローしてもらえばいい」

 

「しかしね、正くんの色々な雑多した知識を持っているフレキシブルな頭が必要なんだ。特に今回の研究会の交流の場みたいなところでは」

「海外の人を招いての夜の部もあるしね」

 

「あるしね」

 

恵ちゃんが「ふん」と付け加えて、怒りっぽく繰り返す。

 

「まあ、一番いいのは合宿に行かないことだけど、そうもいかないんだろ?」

 

大樹が間を持ってくれる。

 

「あの。実はさ……」

 

大樹はボソッと呟き出す。

 

「俺も、秋の学園祭のロックコンサートに出ることになった」

 

「大樹も?」

 

恵ちゃんも義雄も呆れる。

 

「空白の80年代のロック、というテーマで」

 

「何やる?」

 

「ブルース・スプリングスティーン、U2、ポリス、ザ・スミス、デュラン・デュラン、ボン・ジョヴィ、そしてブライアン・アダムスというところかな」

 

「大樹、ドラムだよな」

「いつ決めた?」

 

「つい、こないだ」

 

「歩ちゃんにいいとこ見せたいだけじゃないの?」

 

恵ちゃんの冷たく鋭い指摘。

 

「いや、それは……、あの……」

 

「あ~あ。皆んな私から去って行く。悲しい悲しいオレンジ色のお姫様」

 

「恵ちゃん。僕は全然恵ちゃんから去っていないよ」

 

「正くんの言うことも、あてにならなくなってきた」

 

「恵ちゃん。ちょっといい?」

 

僕は実験室に恵ちゃんを連れて行く。心臓がバクバクして、頭に血がのぼる。

 

今じゃなくていつやる。僕は一念発起した。華奢な体を優しく抱き寄せる。恵ちゃんはゆっくり目を瞑る。本当に触れたか触れぬかのよう、軽い口づけ。

 

「ねえ、恵ちゃん。あてになるでしょ?」

 

「あてになる」

 

「始まったね。恋」

 

「うん。始まった」

 

「恵ちゃん。大好きだよ」

 

「うん」

 

恵ちゃんは真面目顔で僕をじっと見つめ、いつもより優しい口調で僕に頷く。

 

「恵ちゃんと正、何してたんだ」

「もう1時過ぎだよ。ランチ行くぞ、ランチ」

 

皆んなでカフェテリアに向かう。

 

「あれっ?」

 

なぜかカフェテリアには、オケのバイオリンの子達が多い。

 

「どうしたの、正くん?」

 

恵ちゃんが不思議顔で声をかける。

 

「あのさ、生協にしない?」

 

「どうしてだよ正。ほら、入るぞ」

 

大樹が先導してカフェテリアに入る。

 

「正先輩!」

 

こずえちゃんだ。

 

「どうしたの? カフェテリアにバイオリンの子達多いね」

 

「昼練してたんです。マーラーは難しいから」

「今、ランチ終わったところです」

 

「オーケストラの後輩さん?」

 

「はい。正先輩の大ファンなんです」

 

「あらあら、正くんモテること」

 

恵ちゃんは白のワンピースの可愛らしいこずえちゃんを見て、複雑な表情を見せる。

 

「正先輩、隣いいですか?」

 

僕は恵ちゃんと目を合わせる。仕方ないよ、と言う瞳の返事。

 

「いいよ」

 

遠くにはみどりちゃんもいる。僕が義雄に目で合図をすると、義雄は照れる。

 

「昨日はお疲れ様でした」

 

「ああ、こずえちゃん。ちょっと飲み過ぎだったよ。気をつけてね」

 

こずえちゃんはクスッと笑う。

 

「おかげで、1コマ目の統計学と2コマ目の児童心理学。うとうとしながら聞いてました」

 

「ダメじゃない。統計は全学部の必須科目だし、児童心理学は教育学部の必須でしょ?」

 

「いや~。瞼を開いているのが大変でした」

 

こずえちゃんはカラカラと笑う。

 

「こずえちゃん? と言う名前で呼んでいいかな?」

 

大樹がこずえちゃんに話しかける。

 

「こずえちゃん。正は稀に見る真面目男で、卒業時までの必要単位124のところを、144単位も取っているんだ」

 

「え~! 本当ですか?」

 

「1、2年次に俺らより10コマ、つまり週7時間30分も多く教養科目を取ってきた」

 

「へえ~。正くん、そうだったんだ」

 

恵ちゃんも知らなかった話。

 

「なんでそんなに取ったんですか?」

 

「いや、趣味みたいなもので、法学や文学、語学、あと理学、薬学関係や医学関係。ゼミを取ることが多かったね。法学では、二人だけというゼミもあったよ」

 

「正先輩、真面目なんですね」

 

「いくら授業を受けても学費は同じだからね。貧乏性みたいなものかな」

 

「正先輩偉いから、デザートのニラ饅頭あげます!」

 

こずえちゃんが、両手で、はいと言う手つきで僕に饅頭をくれる。

 

「あら、正先輩。鈴木さん」

 

「こんにちは、浜野さん」

 

みどりちゃんも僕たちのところへ来た。義雄が恥ずかしげに挨拶をする。

 

「みどりちゃんが1年生の面倒見てたの?」

 

「はい。バイオリンの昼練です。来れる子達だけ」

 

「二日酔いの子達の面倒、大変だったでしょ?」

 

「いいえ。昼休みには皆んな普通でしたよ」

 

「普通でしたよ」

 

こずえちゃんが首をすくめて微笑みおうむ返し。

 

「そう、鈴木さんとはこれからしばらくカーネーションの遺伝子研究、一緒になりますね。よろしくお願いします」

 

「浜野さん、お願いするのは俺の方だよ。遺伝子取りのコツ、教えてくださいね」

 

「はい」

 

みどりちゃんの笑顔は相変わらず可愛い。義雄が惚れてしまうのも頷ける。

 

「じゃあ、正先輩。今度の合奏で会いましょう」

 

みどりちゃんとこずえちゃんは、何人かのバイオリンの子達とカフェテリアを出ていった。

 

「正よ、あんなに可愛い子達がたくさんいて、よくオケ内で彼女を作らなかったな」

 

「まあね」

 

「私しか見えなかったんじゃない」

 

恵ちゃんがニコニコ顔。

 

「一応、そう言うことにしておくよ」

 

「しかし恵ちゃん。あのこずえちゃんと言う子は侮れないぞ。今まで見たことのない別次元の子だ。とんでもなく可愛いし、何より性格が恵ちゃんに似ている」

 

女の子通の大樹が言う。

 

「恵ちゃんと決定的に違うのは、身持ちが硬そうじゃないと言うこと」

「恵ちゃん。正、取られちゃうよ」

 

「大丈夫。ちゃんと先手は打たれてあるから」

「ねえ~、正くん?」

 

恵ちゃんが僕に寄り添い微笑む。

 

「何、何? その意味深なセリフ」

 

大樹が僕らに問いかける。

 

決まってるよ。僕にはやっぱり恵ちゃんの笑顔が一番。でも、こずえちゃんも……。確かに可愛い……。



 

第44話

 

「はいはい。4番ホルン、6番ホルン! もごもごした音じゃなくて、低音でもクリアにスッキリ音を出す」

 

トレーナーの先生の指揮棒が止まる。

 

「もう一度」

 

機嫌がよろしくないのか、先生がいつもより厳しい。

 

「ダメダメ。全然ダメ」

「羊羹を切ったような音の始まり、音の終わりにすること」

 

「わかるか? 何度も言っているだろ」

 

わかっているけど、できないものはできない。練習不足。

 

正直、僕は6番ホルンの譜面をマトモに見たのがこれで3回目。皆にバレるとマジで非難される。製本だけは済ませてきてよかった。

 

基礎練習はそれなりにしてきたが、譜面ヅラはそれだけほとんど練習していない僕。隆にも所々で注意される。

 

1、2、3番ホルンが学生レベルをはるかに超えた腕前のメンツなので、なんとか低音域の多い僕たちの4、5、6、7番ホルンの音がクリアになると、かなりのレベルに仕上がる。

 

「正さ、もう少し楽器鳴らさなきゃ。練習不足丸出し」

 

「おっしゃる通りです……」

 

「正を取り巻く事情、わかっちゃいるけど、巨人はオケ、100人以上のメンバーで作り上げる壮大なシンフォニーなんだ」

「誰も気を抜いちゃだめなんだ。音出し励行、練習してね。練習あるのみ」

 

「音楽練の防音室、週4は通うようにするよ」

 

「毎日だよ、本来は。2時間でいい」

 

「まあ、正の忙しさから言うと、今は週2ー3日、1時間ずつくらいで仕方ないか……」

 

「じゃあ、8時半から扇谷で飲み会ね」

 

「ああ」

 

「飲み会には話した通り、バイオリンの一年生の女の子がたくさん来るから、少しお金多めにもってきて」

 

彼女たちの飲み食い代は僕ら持ち。

 

「はいはい」

 

とにかく、宴会には若い女の子がいればいい。スレていないこころに黄色い声。ここぞとばかりに、二年、三年、四年の男子も、誰か初々しい女の子をゲットするぞという気負いでついて来る。

 

まあいいか。割り勘代、安くなるし。

 

 

ーーーーー

 

 

「それってすごくないですか~!」

 

「昔は酔っ払って渋谷のハチ公にまたがって、ホルンを吹いていた人がいたなんて!」

「しかも、ハチ公を取り巻いてホルン吹き、100人以上で合奏していたなんて!」

 

一年生の女の子達のきゃっきゃする黄色い声。今ならそんなことしたら、すぐに逮捕される。

 

しかし、18や19歳はいい。まだ高校四年生。本当に賑やか。箸が転がっても笑う年頃とは、大袈裟な比喩じゃない。

 

なんだろう、新鮮で可愛い女の子たちと飲んでいるのに、隣に恵ちゃんがいて欲しくなる。マジに、魔法をかけられてる。

 

恵ちゃん……。

 

「正先輩、彼女とかいないんですか~」

 

ボーッと飲んでいたら、一年生の女の子が3人して寄って来る。

 

「いないよ」

 

「もったいな~い」

 

「3年間も?」

 

「うん」

 

「私じゃダメですか?」

 

つけまつげの角度の可愛い、幼い顔した女の子が一人、僕の至近距離に顔を近づけて来る。

 

随分お酒に酔っている。バイオリンの一年生、斎藤こずえちゃん。教育学部。華奢な体をしていて、小顔。もの凄く可愛い。背は少し高めで、ハイヒールを履くと僕と同じくらいの背丈になる。

 

可愛い顔して、春合宿の新入生自己紹介で相撲の四股入りを演じた陽気もの。ただものの女子じゃないことはよく知っている。

 

「こずえ、正先輩のこと、大好きなんですよ~」

 

ギュ~ッと右腕を抱きしめられる。胸の温もりも感じて……。こんなの恵ちゃんにもされたことはない。

 

陽気で若くて可愛い子から好きと言われて嬉しくない訳はないが、僕は、もうすぐ訪れる恋に縛られている。

 

「今度デートしましょうよ!」

 

「どこ?」

 

「渋谷とか新宿とか」

 

「ゴメンね。僕は、野山や公園の散策が好きなんだ。ごみごみした街中は苦手」

 

「野外プレイが好きなんですね!」

「そうそう、来月NHKホールでマーラーの巨人やるんですよ」

 

「えっ? そうなの」

 

「はい」

 

「こずえ、正先輩と一緒に行きたいな~」

「NHKホールのすぐそばの夜の代々木公園では、野外プレイが大流行りだし!」

「見るによし! するによし!」

 

「何々、正。こずえちゃんとしっぽり仲良くなっちゃって」

 

隆がやって来る。

 

「正よ。こずえちゃん、ものすごく競争率高いんだぞ」

 

「競争率高いんだぞ」

 

僕を上目遣いに見て、こずえちゃんの繰り返し言葉。誰かさんに似ているクセ。

 

「正。NHKホールの演奏会は絶対聞きに行くこと。俺らが定期演奏会でやる巨人なんだから」

「絶対だぞ」

 

「絶対だぞ」

 

またも誰かさんみたいな、こずえちゃんの可愛い声のおうむ返し。

 

「そう、あと正。夏合宿はどうする?」

 

「僕、キャンセルするよ」

 

「いやん、いやん。正先輩来る~」

 

こずえちゃんが体を揺らして拗ねる。

 

「皆んなには正は来れないだろうと言っておいたが、どうも今日の不出来もあるし心配だ。合宿に参加せざるを得ないな」

 

「せざるを得ないな」

 

こずえちゃんが首を傾げ、満面の笑みで微笑む。幼い微笑みだけど、普通の男の子は、この微笑みだけで腰抜けになるかも。僕は……、たぶん大丈夫。恵ちゃんがかけた、魔法の庭の中にいるから。今日は少し酔い過ぎているけど。たぶん……。

 

第43話

 

「へぇ~、そうなんだ。夏の色素研究会とか秋の学会とかもあって、結構忙しくなるね。当たり前だけど卒論もあるし」

 

明石さんが僕らにいたわるような優しい声をかけてくれる。

 

「加えて、植物検定もあるんですよ~」

 

恵ちゃんが話すと、僕らは揃って一斉に大きなため息をつく。

 

「そういえば、大樹。どさくさに紛れて皆んなと一緒にため息ついているけど、大樹はよ~く考えてみたら植物検定だけだろ、卒論以外」

 

「いや、伊豆での発表がある」

 

そのひと言で皆んなの軽い笑いを取る。

 

「あのさ、正が大丈夫かどうかだよ。心配だ」

「瀬戸際の魔術師の異名をとっているけど、いずれ恵ちゃんとのニャンニャンも始まるし。恋は楽しく盛ると、いくら時間とティッシュがあっても足りない」

 

「大樹。余計な話をしないでよ」

 

「だって卒論のバラ属のアイソザイムの研究だって、下書きベースで図表込み300ページくらいのボリュームになる予定だろ?」

「実験も複雑で、再現性試験もあって時間がかかるし」

 

義雄がそう言うと明石さんが驚く。

 

「そんなに! 正くん。ホント大丈夫? 普通卒論は80ページから、多くても150ページくらいのボリュームで済ませることが多いよ」

「300ページ近い卒論、見たことがない。しかも再現性試験あり?」

 

「うちの正は、ものごとを簡潔に済ませることが下手で下手で」

 

「恵ちゃん。お母さんみたいな口調はよして。黙っていてよ」

 

「明石さん、300ページと言っても、半分以上が図表、写真の予定です。本文は100ページちょっとくらいですよ」

 

「それでも長い。まあ、ありえない範囲ではないけど……」

 

「恵ちゃんは?」

 

「私は100ページちょいくらいかな? 図表込みで」

 

「義雄くんは?」

 

「俺も恵ちゃんと同じくらい」

 

「俺は150ページくらいはいきそう」

 

「誰も伊豆の発表が一番重荷の大樹には聞いてないぞ」

 

それを聞いて歩ちゃんがクスクス笑う。

 

「まあいい。大樹は花粉の電子顕微鏡写真、多そうだもんな」

 

「うん。それでかなりの部分を埋める」

 

「ついでに歩ちゃんの写真集も加えたら? 200ページは超えるんじゃない」

「正の卒論も、実は恵ちゃんの笑顔の写真だらけだったりして」

 

「義雄。いらんことは言わんでくれ」

 

ある意味正しい。僕は僕の卒論を、真っ先に恵ちゃんに読んで欲しい。そして最初から最後まで笑顔で見て欲しい。300ページ全てに恵ちゃんの笑顔を映して欲しい。

 

僕は卒論を、いや、ほかの発表も植物検定も、そして定期演奏会も恵ちゃんのために頑張っている。でも、恋仲になっても決してこのことは絶対言わない。気づかせるんだ、さりげなく。僕の美学だ。

 

明石さんが、ゆったりとした口調で話し始める。

 

「卒論とはね、青春時代の私小説みたいなものだと思う」

「もちろん、理系の僕たちは科学的知見、発見をベースに論理とストーリーを組み立てていって書かなければならないものだけど、やはり文章力やその構成には、強くその時の自分の想いや個性が出てしまう」

 

「あとで見直すと、書いてあるのは恥ずかしいことばかり」

「一気に一晩で書いた好きな人へのラブレターなんて、書いて渡したあと読み返せる?」

 

「明石さんでも卒論、そうだったんですか?」

 

「うん」

 

「でも、それがあるから、そのあとの論文だとか、修士論文だとかの完成度を高めることができる」

「最初から、格調高い完璧に近いものなど、誰も書けっこないんだ」

 

「卒論には気負いがあるだけ。もちろん、誰もがそうだとは言わないよ。素晴らしい卒論を丁寧に書き上げる人も沢山いる」

「でも、完成度の高いものなどと初めから求めてはいけない」

「それに気づくまで、書いたあと、ある一定の時間がかかるけどね」

 

「本来、研究の論理とストーリーがしっかりしていれば、あとは先人の優秀な研究者たちの人真似でいい。いや、人真似がいい。科学論文のフォーマットなんか決まっているものなんだ」

「そう言う風に、卒論以降、肩を楽にして論文をまとめていけるようになっていく」

 

「ねえ。だから正。無理をしないで、卒論だけでなく、いろんな発表もあるけれど、肩を楽にして簡潔にまとめていきなさい」

 

「だから恵ちゃん。お母さんみたいな横槍は出さないで」

 

恵ちゃんはいつものように微笑んでペロリと舌を出す。

 

「さて、皆んな卒論に戻りますか」

 

皆んなでゾロゾロ、ファミレスを出る。

 

明石さんが、全員分の代金を支払ってくれた。

 

「明石さん、いいお話を聞かせていただきましたし、ごちそうさまです」

 

「ごちそうさまです!」

 

皆んなで声を揃え、頭を下げた。

 

「おい、正。今日のホルンのパート練習来れるか?」

 

「来い、と言う意味だろ、隆」

 

「うん。サボらせる訳にはいかない。トレーナーの先生が来る日だからな」

 

「5時ー8時か?」

 

「うん。練習はね」

「そのあと、懇親会。バイオリンの一年生の女の子付き。トレーナーの先生のお酌対応。終電とまではいかないが、深夜10−11時までは覚悟だな」

「今日のパート練習には音楽練の部室を取ってある」

 

「了解」

「えっ! 5時まであと1時間もないじゃん」

「準備して、すぐ行くよ」

 

園芸学研究室の皆んなにオーケストラでのパート練習の経緯を話し、飲み会で夜遅くまで帰って来られないので、恵ちゃんだけにバイバイする。

 

「あら、いいわね。夜は若い女の子達のいるキャバクラなの?」

 

「僕は誰にも指一本手を出さないよ。今までもそうだし、これからもそう」

 

恵ちゃんの、とびっきりの大人びた笑顔。あれ? 恵ちゃんこんなにも、さらに違った可愛い笑顔ができるんだ。

 

「正くん。愛してるよっ!」

 

「えっ?」

 

僕は目の周りが少し赤らむ。

 

「冗談よ」

 

「……」

 

「でもね。こころはかなり本気みたい」

 

恵ちゃんに、少なくとも、今日の一年生女子とのアバンチュールは叶わないよ、という魔法をかけられる。もともと僕はそんなことはしない人間だけれど。


「そう、勉強は足し算よ。頑張った分だけ成果が出る」

「でもね、恋は掛け算よ。恋するまでににどれだけ時間を費やしても、努力したとしても、どちらの心がいつどこで変わるかはわからない」

「恋には不確定要素が多いの。男と女の間柄なんて、ちょっとしたアクシデントに簡単に左右される。自分も人間ならば相手も人間」

 

「正くん、こころに刻んでおいてね。恋は掛け算。盛り上がるのは指数的だけど、相手に0(ゼロ)を掛けられたら全てが終わるのよ」

 

「じゃあ飲み会、楽しんできてね!」

 

魔性の女なる恵ちゃん。僕に優しく語りかける笑顔。大人びて、すっごく可愛い。しかし、今日はいつにもまして、やけに念を押したような言霊。恵ちゃんの感は鋭い。今夜の飲み会。何か起こるのかな?

 

第42話

 

「さあ、歌だ! 踊りだ! 余興の練習だ!」

「緑風会館の2B室、午後いっぱい予約しておいたぞ」

 

「大樹よ。また俺たち忙しくなるよ」

 

「何、何?」

 

「あのさ……」

 

「正くん。何もかも忘れて、まずは歌って踊りましょうよ!」

 

恵ちゃんの割り切った勢いがいい。

 

「そうだね……。まずは踊ろう……。なっ、義雄」

 

「ああ……」

 

僕らはすぐに振り付けを覚えた。大樹は本当に演芸の天才だ。踊りやすくて、踊っている僕らも楽しい。

 

「ワンポイントの恵ちゃんの動き、もう少し大袈裟にしていいよ」

 

「はいはい」

 

「特に、月はゆっくり出て大きく沈むように。白いかもめは、もう少し羽を広げて飛んでいるように」

 

小一時間練習しただけで、なんとか余興としての芸になった。

 

「誰かに見てもらった方がいいな」

 

大樹がポツリ言う。

 

「僕、歩ちゃんとみどりちゃんを呼んでみるよ。有田先生も」

 

大樹は少しうつむき、義雄は落ち着かない。

 

皆んなにLINEを打つ。

 

「皆んなすぐに来るって」

 

「やあ、歩ちゃん。あれっ? 明石さんも一緒ですか?」

 

「ああ、暇な時間ができたから。何だか面白そうだから来たよ」

 

「おう! 正」

 

「おう。隆も来てくれたんだ」

 

「うん、みどりちゃんに誘われて」

「オーケストラでも正の芸は人気があるから、どんなものかと思って」

 

「有田先生は?」

 

「まだ」

 

「待っていられないな。じゃあ、早速始めるぞ」

 

大樹は知床旅情のカラオケの伴奏を大きなボリュームで流す。

 

大樹の演歌調の声を潰した渋い歌と、僕らのコミカルな踊りが始まる。

 

「プアー! ププッ!」

 

「ヒーッ! フフ!」

 

皆んな手を叩いたり、体を揺らしたり、各々笑いながら僕らの芸を楽しんでくれている。

 

曲の最後にはカモメの真似をしている恵ちゃんも被り物をして、可愛らしく丁寧に飛ぶ真似をして終演する。

 

明石さん、歩ちゃん。隆、みどりちゃん。皆んなに大ウケ。特に隆は腹を抱えて大笑い。歩ちゃんもお腹を押さえて微笑んでいる。

 

「上手! 上手!」

「皆んなの結束。息ぴったりのコミカルな動き。すごいね!」

 

明石さんからの大拍手とお褒めの言葉。

 

「ちょっとアドバイスするとしたら、大樹くんは歌に合わせて拳をもう少し強く握ったり、歌の感情を多少大袈裟に体で表現してもいいと思う」

「正くんと義雄くんは、もう少し動きをキビキビさせた方がいいかな。特に義雄くん」

 

義雄は、チラッとみどりちゃんの顔を覗き込む。みどりちゃんの見てる前での踊り。恥ずかしいのかな?

 

「恵ちゃんはいるだけで可愛いのに、もう三人に囲まれて最高! 文句なし!」

「頭の飾りも、小学校の学芸会を彷彿させるようでいい感じ」

「ひとつだけ注文するとしたら、ワンポイントで出て来るときに、腰をもう少しだけ円を描くようにくねらせてもいいかな?」

 

「腰を妖艶にくねらすのは、もうすぐ来る恋のためにとっておいているんです!」

「ねえ〜、誰かさん。楽しみでしょ?」

 

恵ちゃんが僕に色目を使う。

 

「いやっ……、僕は……。あの……その……」

 

「誰も正くんだよ、なんて言ってないよ」

「アレがね、気持ちいいのは、お互いのこころの波長とセンスと探究心が合うときだからね。学問のような論理やストーリーじゃないのよ」

 

「恵ちゃん、昼間っぱらから何エッチなこと言ってる。芸もアレも奉仕の精神が一番だよ」

 

「あら? ナンパ師の大樹くん。奉仕の精神? どこの口からその言葉出た? そうそう、言っておくけど、アレっていやらしい意味じゃないからね」

 

恵ちゃんの軽いジャブを受けた大樹に、歩ちゃんが微笑んで視線を送る。

 

「全く。恵ちゃんは脳天気なのに魔性の女なんだから……」

 

大樹も歩ちゃんに視線を送る。

 

「そうよ。相手の力量を把握したうえで自己の主調を述べるのが魔性の女。相手の力量を考えず、自分の都合だけを述べるのはわがままな女」

 

恵ちゃんが僕に視線を向ける。

 

「素直な気持ちに全部賭けなきゃ。凝り固まった自分を投げ出さなきゃ。アレなんて全然始まらないよ」

 

「まあまあ。恋のイロハの話はその辺で」

 

明石さんが仕切ってくれる。

 

「じゃあ、もう一回やりますね」

 

大樹が再度カラオケを流す。有田先生もやって来た。

 

また大樹の演歌調の渋い歌が始まり、僕らのコミカルな踊りも始まる。明石さんから頂いたアドバイスもちゃんと守る。

 

「ハッ!、ハ!、ハッ!」

 

再び皆んなに大ウケ。有田先生も笑っている。

 

「君たち、本当に面白いね。遊びも勉強も仲がいいし。羨ましい」

 

明石さんが感心する。

 

「面白いもの見せてもらったから、ファミレスかどこかでお茶おごるよ」

 

明石さんが皆んなを誘う。

 

「いいんですか?」

 

僕らはワイワイ喜ぶ。

 

「あの、研究や発表資料作成は……」

 

有田先生の言葉など、誰の耳にも聞こえない。

 

「全く……。困った人たちですね……」

 

有田先生は一人そう呟き、しかして、クスクスと下を向き、微笑みながら自分の研究室に戻っていった。